教室の子の親御さんからいただいた非公開のコメントに、
「子どもの興味を保証することが私のやるべきことだと実感しました」
という言葉がありました。
ちょうどこの数日、自閉症の子たちのレッスンが続いていたのですが、
その度に、この言葉を心の中で反芻していました。
わたしの場合、保障という漢字を使ったほうが自分の思いに近いのですが、
「子どもの興味を保障すること」が、わたしのしたいことだし、できることだ、
と自閉っ子たちとの関わりの中で強く感じました。
虹色教室には、一部ではありますが、自閉症の子たちが通っています。
とはいえ、療育向けに構造化された空間ではないので、多動の激しい子の場合、
教室に来初めてからしばらくの間、次々新しい刺激に目移りしたり、
手あたり次第、おもちゃを出して散らかすことがあります。
これまで、何度も、そうした時期を経て、今では落ち着いて
さまざまな活動にじっくり取り組めるようになった自閉っ子たちを目にしていても、
新たに出会う子がうろうろそわそわして遊びが成り立たない期間は、
「ひとりひとりのケースは別物だから、多動が激しい子にすると、
この環境は刺激が多すぎるんじゃないか。この子の特性にとって、
うちの教室は適しているんだろうか」と気を揉んでしまいます。
それでも回を重ねるうちに、
「やっぱり、この環境でしかできないことがある。この子にとって、こうした関わりは大切だ」
と思う瞬間にぶつかるのです。いつも……。
周囲の環境の意味を
自閉症の人たちにわかりやすく整理して伝えるTEACCH(ティーチ)や
行動の原理をもとに行動の問題を解決しようとするABAという療育の方法が
自閉症の子らと接する上で欠かせないことは、確かなのです。
それは、自閉症の子らと過ごしていれば、体験的にわかってくることです。
でも、その一方で、
刺激過多のために一時は混沌としてしまうこともある今の教室の環境で、
自閉症の子たちにできることに魅力を感じているし、信頼を寄せてもいるのです。
いったい何ができるのか、どんな魅力があるのか、
これまで自分でもよくわからなかったのですが、
「子どもの興味を保障すること」ではないか、といただいたコメントから
思い当たりました。
教室での活動中、こんなことがありました。
人との関わりとコミュニュケーションの取り方に極端な偏りがあるAくん。
多動が激しく、次から次へと目についたおもちゃを出したがって
床にぶちまけておしまい、という遊び方が続いていました。
そんなふうに遊びとはいえないような遊び方をしている時期にも、
あれこれ手を出すゆえに、Aくんはこういう色や素材が好きなんだな、
こんな展開を面白がるな、こういうシチュエーションだと集中するな、
こんな潜在的な力がありそうだな、といった気づきがありました。
また、Aくんが選らんだものを使って提案した遊びが、Aくんに強く響いて、
教室に来るたびにやりたがるようなこともありました。
最初から目につく刺激を減らして、
Aくんが取り組む作業をこちらが設定してしまうと、Aくんの好みや関心に気づくのが
難しくなるし、Aくん独自の関心を出発点にして遊びを提案していくこともできません。
ですから、混沌とした時間は時間で、それなりに価値があると感じています。
といっても、いつまでも混沌とした時間が続くわけではない、という
自分の経験や勘への信頼があってのことなのですが……。
混沌とした時間にバラバラに気づいた子どもの好みや関心と
こちらの提案が子どもに響いたという体験が互いにリンクしあって
雪だるま式に大きくなっていき、最終的には、本人が心から満足して持続して
楽しめる活動というものが生まれてくるのです。
Aくんは上の写真にある人形劇の劇場が大好きで、それを目にしたとたん
取ってもらいたがります。以前、わたしが、「はじまり、はじまり~」と言いながら、
閉じていた劇場のカーテンを開いて、
人形を登場させるシーンを演じたところ、Aくんに大ヒット。
それ以来、毎度毎度、Aくんが「はじまりはじまり~」と言ってカーテンを開けて、
人形を登場させるシーンを演じてくれるのです。
といって、劇が始まるわけではなく、
まるで儀式のように「はじまりはじまり~」の場面だけが繰り返えされる
こだわりの強い遊びになっていました。
教室には、ハムスターのフィギュア、船の立体模型、ポタポタ液体が落ちてくるおもちゃ、
決まったミニカーなどAくんがいつも触りたがるおもちゃがあります。
ハムスターのフィギュアは算数の教具に使っているので
100匹以上あって、透明のケースに入っています。
先日も、「ハムスター、ハムスター!」と言い出したAくんに、
そのハムスターが入っているケースを取ってあげると、床にぶちまけて、
ぐちゃぐちゃにしていました。
この日、Aくんは、「はじまりはじまり~」と言いながら、
人形劇場のカーテンを開けて、舞台にぐちゃぐちゃにしたハムスターを並べ出しました。
たまたまなのかあえて選んでいたのか、Aくんが同じ色のハムスターを4匹並べたので、
わたしはハムスターの背中をなでながら、
「おんなじ、おんなじ、おんなじ、おんなじハムスターだね。」
と言いました。それから、異なる模様のハムスターを手にして、
「これはちがうね。おんなじじゃない!バツバツ~!」と言いました。
すると、Aくんの顔にたちまち満面の笑顔が広がりました。
Aくんはうれしくてたまらない様子で、それらのハムスターをどけると、
今度は背中に線のあるハムスターを並べ出しました。
わたしは再び「おんなじ、おんなじ、おんなじ、おんなじハムスターだね」と言い、
異なる模様のハムスターを手にして、
「これはちがうね~!バツバツ~!」と言いました。
それからAくんとわたしはしばらくこの遊びを繰り返していました。
これまでのAくんは、同じ台詞を言って、
同じ展開で遊ぶことへのこだわりがあったのですが、
この日のAくんは、4ひきの次は5ひき、5ひきの次は6ぴき、次は7ひき……と
自分でハムスターの種類を変えるたびに、並べる数を1ぴきずつふやしていきました。
途中から、背中に線のあるハムスター、線のないキャラメル色のハムスター、
背中に線のあるハムスター、線のないキャラメル色のハムスター……といった具合に、
2種類のハムスターを交互に並べていき、それに対するわたしの反応を
楽しんでいました。まるで、Aくんとわたしの間で、物を使って会話をしていて、
その会話が一方通行に停滞することなく、
次々新しいアイデアを含みながら進んでいるようでした。
そんなふうやり取りを楽しんだ後だからか、
この日の工作は、普段の何倍も熱心に長い時間、取り組んでいました。
ヨーグルトのカップでハムスターを作っています。お母さんといっしょに作っていた
立体のビー玉コースターは、いつの間にか、ハムスターが上へ下へと移動できる
迷路つきのお家になっていました。
写真は、いっしょにレッスンしているBくんとわたしが作った
車が上や下へ移動できるようになっている立体迷路です。
Bくんの今の工作での課題は、作ってもらいながら、工作時間を楽しむことと、
シールを貼ったり、マジックで描いたり、ハサミで切ったりする作業への意欲を
育てることなので、工作作品で遊ぶことが活動の主になっています。
久しぶりに覗いたblogでしたが何年間かモヤモヤしていた気持ちが本当にすっきりした思いです。ありがとうございます。
保障という言葉に惹かれて、恥ずかしながらの投稿です。
夏に初めてお世話になってから半年が過ぎ、昨日のレッスンでは不器用さを抱えながらも教室で過ごす姿に変化がでてきたなぁと思いました。決まり文句のいつかえるの~も今日は連呼することなく、流れに身を任せられる姿勢がゆったり育ってきたなぁと…。環境の違いに敏感な息子にとって、様々な空間の保障をいただいける機会は、想像以上に成長につながっているような気がしました。また、言葉の弱さをお話しいただいて、ふと我に返ったのが、私自身がどこかオーム返しのようなやりとりに甘えているのではないかと感じました。しつけでもなく、言い聞かせのような平坦な言葉、展開って息子の心に届いているのか、帰路につくまでそのことが頭から離れませんでした。結局のところコミュニケーションって何だろうなあと考えていくうちに、歯磨きの最中息子から、バイキンは見えないんだよ!ブクブクしない!と変化球が飛んできたので、エッ、見えるかもよ!バイキンさんの、、うーん写真を探してみる?と尋ねてみました。手持ちの図鑑ではリアリテイがなくわかりづらかったので、iPadで探してみたところ、世にも恐ろしい虫歯だらけの写真が山ほどヒットし、拡大してひとつひとつ恐ろしさについて感想を言い合いました。慌ててうがいをして布団に入り、恐ろしさを互いに繰り返し話していくうちに、虫歯電車を作ろうと発展し、その電車は歯医者駅に向かうかな~の辺りで息子は眠りにつきました。息子からでてくる言葉を手懐けることなく、かといってぞんざいな扱いをせず、まずは丁寧に聴こうと思った出来事でした。
まだまだ手探りの日々ですが、レッスンを受ける度に言葉にならない葛藤と漠然とした方向性が見えて、次のレッスンが待ち遠しく過ごしています。来年もどうぞよろしくお願いします。