2日前に胚移植の話をアップしましたが実はそれは2週間前のことで、昨日妊娠判定日を迎えました。
今回は妊娠しているかもしれない!だって胸もボリュームアップしてるし、おりものもサラサラで水っぽいし。体温も高いからクマ吉にもなんでこんなに体が温いの?!って驚かれてるし。
クリスマスプレゼントにとうとうベビーが来たのかもしれない!!そんな期待を持っていたので、結果を知ったときは奈落の底に落とされた気分でした。
2回目もダメでした。前回同様2個移植したけれども着床せず。3つ融解したので残りの1つを培養してもらっていたのですが、こちらも前回同様細胞が分裂した状態から育つことはなかったそうです。
「クマ子さん、お辛いでしょう・・・。もしかしたら遺伝子の相性が悪いのかもしれません。その場合は卵20個のうち1つ育つぐらいなのです。」
つまりクマ子の子宮に入った卵は子宮に入ったものの、細胞分裂した状態のまま育たないということ。着床するかしないか、以前の問題なのです。
「そうですか。では引き続き挑戦しますのでよろしくお願いします」
全然ショックでないようにふるまってクリニックを後にしました。
クマ子は滅多に泣かない。泣いてたまるものか。でもこらえきれなかった。クリニックからの帰り道、涙があふれ出てきて、泣きながら駅に向かいました。
1回目はそこまでショックじゃなかった。でも、2回目は・・・。2回目で成功する人が多いと聞いていたこともあり、それでも自分はダメだったという現実を受け止めきれず、あまりにも苦しかった。クマ吉にはクリスマスの日に妊娠報告しよう、とかいろいろ一人で舞い上がっていた自分がどうしようもなく腹立たしかった。
このどうしようもない怒りと落胆をどこにぶつけて良いか、どうやって自分の中で消化したらいいか、わからない。だから苦しい。助けて。こんなに私は苦しいの。
この気持ちは経験した人しかわからない。実際、クマ子がまだ独身だった時、不妊治療している先輩が「だめだった・・・」と落ち込んでいるとき、何がそんなに悲しいんだ??そもそも赤ちゃんができないんだから悲しむ意味ないじゃん、と心で思っていたぐらいだから。
赤ちゃんが物理的にできている、できていない、の問題ではないのです。移植の時、私たちの受精卵が私の子宮にはいっていく様子をモニターで見ている。肉眼では見えないけど、それは確かに私たちの命の源だった。
この目で見て、感じたんだ。ああ、今子宮にこの子がはいったのだ、と。そしてその命の源は育つことなく私の子宮の中でそっと永遠の眠りについた。だから辛い。
ある人に言われたことがあります。体外受精がうまくいかなかった悲しみは流産の時の悲しみとまったく一緒だよ、と。体外受精する前は「そんなわけないでしょ」と思っていたけど、今ならわかる。失う悲しみは一緒なんだ。
夫の前で泣けない。泣いたらきっと「そんなにつらいならやめよう」と言うから。
母親の前でも泣けない。泣いたらきっとどう応答したら良いかわからずおろおろするから。
友達の前でも泣けない。泣いてもきっと理解してもらえないから。
だから私は一人で泣く。こうして人目を憚らず涙を流して駅に向かう。
夜、夫が仕事から帰ってきたら何事もなかったように笑顔で迎える。「おかえりなさい」と。そして前回と同じように「まただめだったわ~」と明るく報告するんだ。
だから今は一人で泣く。
涙が止まるまで泣くんだ。