ぐうたらかあさんのなげき

二人の息子は発達障害、家事は嫌いなダメ主婦、そんな母のぐうたらな、でも悩み多き日々・・・

イジメは大人になっても禍根を残す

2006-10-30 11:24:26 | 日常生活
今朝はとっても寒かった。猫もストーブの前で、暖をとる。まあうちの猫は、暖を取るというより、だらけた感じだけれど・・・


今朝も、ニュースやワイドショーを見ていて、イジメの話題がひっきりなしに流れているのを見聞きして、自分のことをふと思い出した。

私は中学生のころ、軽いものであったがイジメにあっていた。
細かいことを言えば、小学生、もしくはそれ以前から、ちょっとした仲間はずれであったりシカトであったりというのは単発的にはあったが、たいしたものではなかった。
田舎であったので、幼稚園はなく、地域の子供達はみな同じ保育所にいく。
人数も少ないので、小学校も中学校もクラス替えなく持ち上がり。
高校に入学するまで、多少の増減はあるものの、3歳くらいからずっと同じメンバーで過ごさなければならないので、人間関係も偏ったものになり、一度はぶられるとそこから脱却するのはかなり困難になる。
クラス替えすらないのだから、人間関係が変わっていくきっかけがないのだ。


私の場合、理由の一つは、親が変わり者であったので、私自身もかなり世間ズレしていたというのもあり、クラスメートやその親から奇異な目で見られることが多々あったこと。
例えば、クラスメートが全員同じ教材をそろえるところを、私だけ『こんなもの、家にあるもので代用しろ』などという父や母の考えのもと、買ってもらえず、クラスで一人浮いていたとか、父母世代のお下がりを無理やり着せられ、時代遅れとバカにされたりとか。
小学5年のころ、たびたび仲間はずれにされるようになり、親に相談し、担任の先生に電話をかけてもらったときに、仲間はずれをしている子達が先生のお気に入りの児童達であったのもあると思うが(ひいき・差別をする先生であった)『あなたの嘘・勘違い』『あなたがそんなんだからいけないのだ!』などと先生に一蹴され、『嘘をつかないこと』と約束させられ、全て私が悪いように仕向けられた。
思春期になり、中学校入学後、運動系の部活をはじめてから、人に比べるとひどく汗かきになっていることに気がつき、そのことで部活仲間から『汗臭い』『汚い』『きもい』などと、ばい菌扱いされるようになり、それがクラス全体に広がってしまって、どんどん学校に居場所がないように感じていった。
就寝時間(午後8時、中学2年後半までこの時間であった)や、見ても良いテレビ番組がきっちり我が家では決められていて、クラスメートともどんどん会話が合わなくなっていった。

部活も休みがちになり、成績もどんどん落ちて、親にも部活をやめるように即されけっきょく2年の2学期に自ら退部。
その後、体育の授業もつらくなり、具合が悪いと授業をサボって保健室にいたり、早退したり、学校自体を休んだり。
クラス内でグループ分けしたり、ペアを組むなんてときにも、私はいつも一人で残ってしまい、残り物である自分をとても悲しく感じた。
クラスの中心になっていた女の子達は、私をいつも頭の先からつま先まで、舐めるようにあら捜しをするように見回し、見下すような、鼻で笑うような態度だった。
クラスメートと同じものを持っていないと、『そんなものも持っていないの(笑)』とからかわれたりした。

でもその子達は、先生や、大人たちにとっては、積極的に活動し、成績も良い、『いい生徒』達だった。

親は体のどこかが悪いのかと心配し、検査したところ『起立性調節障害(私の場合は体の大きさに対して心臓などの内臓が小さく、バランスよく成長していないため、血液の循環も悪く、動機・息切れ・貧血が頻発していた)』と診断され、成長すれば体調もよくなるので、できるだけ普通の生活を送りなさいと医者に即され、学校をサボる理由を失ってしまった。
そこでもうごまかせないと、親にクラスで無視され、仲間はずれにされていると告白。

親にも先生にも言いたいことをぶちまけ、クラスメートとも話し合い、そのときはイジメは収まった。
そのころ、保健の先生がとっても親身に相談に乗ってくれて救われた。
そうして、何事もなかったように卒業できた。
高校時代も、かつてのクラスメート達と同じ列車で高校に通っていたが、それなりの付き合いをしていた。

その後、大人になって数年、クラスメートは町ですれ違ったとしても、私に話しかけてくれることはない。私が話しかけようとすると、見なかったふりをするのだ。
成人式でも、私に話しかけてくれたのは、高校時代の友人達だけ。
みな、他人のふり。
またその数年後、いつのまにか作成されていたらしい、小学校・中学校それぞれの○○周年記念誌が、実家に届いた。
私の名前は卒業名簿にはあったが、どちらにも、行方知れずになっていた。
親も地元を離れてはいない。私も家は離れたが、同じ市内に住んでいる。
母が『名簿の取りまとめしてた○○ちゃんに、△△町に居るよって言って置いたのにねぇ?』と言っていた。
弟たちも引越しはしたけれど、引越し先の住所が書かれている。
私だけなぜ行方知れず?

クラス会もやってるのかやってないのか知らないけど、案内も来ないので一度も出たことがない。

もう、この年になってみれば、どうでもいい感じもするけれど、なんだか、寂しい気もする。

けっきょく、イジメはどんな形であれ、のちのち禍根を残すのだなぁと、今になって思う。
イジメの原因の宝庫だったと、当時の自分自身に対しては思うが(苦笑)もっと楽しい子供時代を送りたかったなぁ。
保育所時代から、中学卒業まで長らくずっと同じ教室で過ごしてきたのに、幼馴染と呼べる人がいないなんてね。。。。。



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