Kオジサンの新・山歩きの記

山歩き&ウオーキングのサイト

山が好き 花が好き 自然が好き!!

一宮友歩会・第60回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・西尾張編Part13 一宮市から稲沢市へ歩く

2016-02-06 23:17:20 | 一宮友歩会

一宮友歩会の2月例会が開催されました。今回は一宮市の真清田神社をスタートして鎌倉街道沿いを稲沢市のJR稲沢駅まで歩きます。まず、最初に浄土宗寺院の常念寺に寄ります。常念寺は鉢の蓮の花のお寺です。次は牛野神明社の境内にある照手姫袖掛の松を見ます。歌舞伎などで有名な照手姫が小栗判官助重と鎌倉街道を通って京へ向かう途中、ここで小袖を掛けて休憩したと言われています。
次に一宮市博物館へ向かいました。ここではトイレ休憩しました。その後、妙興寺に向かいました。妙興寺は梵鐘や勅旨門がある臨済宗の大きなお寺です。新陰流開祖上泉信綱が修行した無刀取り発祥の地です。修行道場として僧堂が設置されています。この後、特定区画整理事業で整備された多加木緑道を歩き円光寺を経由してJR稲沢駅に向かいました。

一宮市の中心部に有る真清田神社をスタートしました。歩くにつれて、中心部から住宅地へ。そして田や畑が見えるところを歩きました。歩いていて、住宅の多い所から郊外の住宅の少ない場所へ推移していく様子を眺める事が出来ました。

 真清田神社(9:30) ― 常念寺(9:35~9:40)  ― 照手姫袖掛けの松(10:07~10:12)
― 東市場社(10:26) ― 妙興寺(10:45~10:53) ― 三十八社(11:32)  ― 
多加木緑道  ― 下赤池児童公園(12:15~13:00)  ― 下津城跡(13:22~13:30)  ― 
鎌倉街道碑(13:40)   ― 円光寺(14:03~14:22)  ―  JR稲沢駅(14:02)


今回のコース地図です。
真清田神社からスタートして、部分的には鎌倉街道を歩きます。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/60map.pdf

真清田神社

 真清田神社に着きました。
 真清田神社は一宮市の中心部に有りますが、神社の真ん前に一宮市道路元標が埋め込まれています。 真清田神社へは、七夕祭の時に来た事が有りますが、祭で沢山の人がいて、気づきませんでした。このように道路元標が神社の正面に埋め込まれているとは知りませんでした。
例会の集合時間は9時です。
その時間まではまだ、早いので 真清田神社にお参りしました。




手洗舎で手を清める二人に巫女さん。
朱の袴が輝いているように見え、カメラを向けました。
朱色には五穀豊穣等に結びつく色だと言っているのをテレビで見た事が有ります。




本殿に向かいます。




本殿でのお参りです。
こちらのご夫婦も例会に参加される方でした。
本殿の中に先ほどの二人の巫女さんの他にも巫女さんが居まして座っていました。朝の神事が始まる時だったのでしょうか。


出発式

例会に多くの人が集まってきました。
右は出発前に準備体操をしているところです。


常念寺

 真清田神社から出発して、常念寺に着きました。




境内に梅の木が有ります。
枝が下に垂れ下がっていますので、枝垂れ梅なのでしょう。
一厘だけ咲いています。




境内に入ります。
右側に立派な門が有りました。




門の前に鉢に入った蓮が有ります。




常念寺を出て、住宅街を歩きます。
前方に牛野神明社の森が見えてきました。


照手姫袖掛けの松

牛野神明社に着きました。右側は境内を掃き掃除をする親子が居まして、微笑ましい姿をカメラに収めました。




照手姫袖掛けの松です。
牛野神明社の境内に照手姫袖掛けの松が有ります。小栗判官と照手姫が鎌倉街道を通って京に向かう途中にここで休み、小袖を掛けたと伝わっています。松の寿命は100年から200年程度と思います。何代目の松でしょう。




牛野神明社の境内に有る狛犬です。
Mさんがこの狛犬は砂岩で出来ていると解説してくれました。砂岩の狛犬が奉納されているのはこの地方と徳島地方だけだそうです。
狛犬の話をしていて横から、最近、狛犬が盗られていると言う声が有りました。それは私もテレビでやっているのを見た事が有ります。備前焼の狛犬が盗まれると報じていました。一対の狛犬で、片方だけが盗られていました。




妙興寺を目指して歩きます。
参加者が大人数で列が長くなっています。




一宮市博物館の駐車場に来ました、
博物館の駐車場は広いところです。




一宮市博物館です。
駐車場にトイレが有りましたが、一時にトイレを使う人が集中しま下ので、博物館のトイレを使わせて貰いました。博物館では「くらしの中の民具」と言う企画展が開かれています。


妙興寺

博物館の北側に妙興寺が有ります。妙興寺は臨済宗の大きなお寺です。









妙興寺に来ました。説明があります。




境内の立て札を見ます。



立て札に上泉伊勢守信綱巨士修道跡と有ります。
信綱の弟子に柳生宗厳は無刀取りを完成させ信綱より印可状を受けたと有ります。このようなことから無刀取り発祥の寺となりました。






立派な門です。
この門は勅使門なのでしょうか。



額には祈祷と有り、上の額には妙興報恩禅寺と有ります。





立派な門です。
その門をくぐり、次へ向かいます。


鎌倉街道

三十八社を過ぎて、鎌倉街道を来たに歩きます。




県道513号線を東に向かいますと、東海道線の踏切です。
丁度、列車が通過しました。




東海道線の踏切です。
左はこの踏切から来たの方角で、高架となります。
右側は稲沢方面です。
上り線で、貨物の線路が分岐して行きます。


多加木緑道

踏切から東に来ました。
ここからは多加木緑道を歩きます。
道路と立体交差となっていて道路の下を通ります。



道路の下を通るのですが、両側の壁にはモザイク画が施されています。
単に、壁と言うよりもこのように壁絵が有るのは安らぎにつながります。




整備された多加木緑道を進みます。




左は前方に向かっていく様子です。
右は流水の湧出し口でそこから水が流れ出ています。



前方にブリッジが見えます。
ブリッジで道路と交差しています。
右はブリッジの上を歩いた時に、後ろを振り返りました。




緑道を歩いて来て、案内表示を眺めます。




多加木緑道の案内板です。延長が700メートルほどの道ですが、公園の中を歩いているように感じる道です。都市景観大賞を受賞していて、受賞を表す石碑が設置して有りました。




区画整理で出来た緑道のようです。
立派な道ですが維持費に多額の費用がかかるのではと思いました。



赤池地蔵

右の道路は旧国道22号線です。
歩いて来た所が赤池地蔵の有る場所で一里塚跡のような場所です。




赤池古蹟と言う石碑が設置されていますが、漢文で読めません。
赤池里とか鎌倉街道の文字が有ります。




この場所白い札に太平洋と日本海を結ぶ桜。奥美濃の桜守 佐藤良二氏植樹と有ります。
白い札が小さく誰も、この桜の木を木に留めていませんでした。一緒に歩いたカミさんもこのプレートに気が付いていませんでした。桜が植えられて、もう、30年以上経っているでしょう。写真を見ると桜の木がノコギリで切られています。誰かが故意に切ったのでしょうか。



田んぼの横の道を歩きます。
左側の高架は名神高速です。




下赤池児童公園で昼食としました。
公園の隣が金龍寺です。寺の境内で分散し、昼食を取りました。
昼食後に、今日の参加者、全員で写真を撮りました。




金龍寺の境内に咲いていたスイセンです。




前を歩く3人の女性。
一宮友歩会では、氏名と住所地のカードを希望が有れば無料で作っています。
このカードで何処から来た、なんと言う名の人か判ります。
私はカードが付けていて、各務原市・・・・・。と言われました。



左。稲沢市に入りました。稲沢市のマスコット。いなっピーと言うのですね。裸祭の裸男の姿で植木鉢を持っています。


下津(オリヅ)城址

Mさんから下津城について、説明を受けています。
電柱の向こうに石碑が有ります。



出発したときに渡された資料です。
説明を聞きながら資料に目を落とします。




下津城跡の説明資料です。




資料の地図です。鎌倉街道、青木川と自然堤防。今の現地の姿とはかけ離れています。




立派な門の家屋。その前に鎌倉街道の石碑が有ります。


豊田佐吉が滞在した野村織工場跡

豊田佐吉が滞在した野村織工場跡で説明板が設置してあり、説明文を読みます。




説明盤は設置されてから歳月が経ち、かなり痛んでいます。
読み難いですが、野村職工場でバッタン織機の試作機研究に打ち込んだと有ります。その試作機が野村家に保管されていたが、昭和23年に豊田家へ引き渡されたと有ります。


豊田佐吉記念館

2013年1月に湖西市の豊田佐吉記念館を訪ねました。生家を復元したものなのですが、茅葺の平屋家屋です。屋内には佐吉の母が機織をする像が有りました。母親が苦労して機を織る姿を見て、母の手助けをしたいという気持ちから織機の発明に結びついたのでしよう。
豊田佐吉記念館。
http://www.toyota.co.jp/jp/about_toyota/facility/sakichi/




豊田佐吉記念館へ訪れた際、別棟で織機の体験をさせて貰ったカミさんです。
手と足と、両方動かします。

想像では有りますが、豊田家へ引き渡された織機は恐らく、湖西市の記念館へ行ったものだと思います。かつて行って来た記念館と今回のウオーキングで訪ねた場所。点と点で有ったものが線として結びつきました。
あの記念館に行った時もトヨタの社員のような人が来ていました。トヨタの物づくりの原点がこのような織機の開発からだと思います。
ウオーキングで、タマタマ見た事が、かつて出かけた場所と結びつく事が面白いです。
朽ちて来ている案内板。新しく設けると同時に、豊田家に引き渡されたと有ります。その当時の事を、もう少し掘り下げてみてはどうかと思います。

圓光寺

圓光寺に着きました。
黄色い帽子を被った男性が待っていてくれました。




待っていた男性は、郷土史研究会の松田と名乗られまして、圓光寺の解説が有りました。




解説する松田さん。
圓光寺の檀家は、2軒しかないと説明されました。
それでは、何で維持しているのだろうと思いました。




圓光寺の東側。本堂です。




本堂に上がってお茶を飲んで、と言われて、本堂に上がりこみました。


JR稲沢駅

今日のウォーキングのゴール。
稲沢駅まで歩いてきました。
電気機関車が見えます。




JR稲沢駅東広場で整理体操をして、その後に解散式です。




帰路。
稲沢駅で列車を待っていましたら、貨物列車が入線してきて、停車しました。




乗務員の交代が有りました。
東海道線の駅で、名古屋駅や大垣駅で乗務員の交代を見た事が有ります。それらの人はJR東海の社員だから名古屋や大垣が乗務員交代の場所となるのでしょうか。
となると、JR貨物は稲沢機関区が乗務員の活動拠点となっているのでしょう。





貨物列車を見送る運転士。
この貨物列車は何処まで行くのと聞きましたら東京までと応えてくれました。東京まで乗務して行く訳は無いので、何処で乗務員の交代をするのだろうと思いました。




感想
この日の参加者は59名でした。このところ、30人ほどの参加者の例会が続いていましたので、多くの人が参加した例会となりました。一宮友歩会のウォークは男性の参加者が多いのも特徴です。男女比は7対3程度でした。
一宮友歩会のウォークは現地で解説が有る事も特徴です。妙興寺や下津城址で説明を受けましたが、活きた社会科の勉強が出来ます。
コース上で設定されていて、寄った場所が野村織工場跡でした。以前、出かけた湖西市の豊田佐吉記念館と結びつきました。このように点と点だったものが、関連付けて考察できたのも面白いことでした。
真清田神社から JR稲沢駅までの13キロを歩きましたが、好いウオーキングでした。

この日、一緒に歩いたMさんのホームページです。
http://www.geocities.jp/jk2unj/nisiowarip13.htm

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 鈴鹿の珍しい名の山  笠 岳... | トップ | 渥美トレイル  大 山(328.0... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

一宮友歩会」カテゴリの最新記事