奇妙な表現「板が走る」
スキー板に動力源があれば、加速するだろうけど、それはない。
物体が加速するように聞こえるのだが。
加速を生み出しているのは位置エネルギーの消費のみ。
滑走物体(人間+板)の速さは、人間が板の上にいる限り変える術はない。
自転車に乗って、ハンドルを押しても速さを変えることはできない。『内力』
「板が走る」って足が生えて地面を蹴っているのか?
ましてや「走らせる」って、馬にでも乗っているのか?
さらに、「たわみ解放で、加速」そんな馬鹿な。たわみは『内力』。
そもそも、たわみのベクトルはスキー板の進行ベクトルと直交している。
もし、たわみ解放が加速につながるなら、前段階のたわみを生むことは、
減速させることを意味する。±ゼロ。
スケーティングせず、たわませれば、斜面を登れる、平面を進めるとでも?
位置エネルギーしかない。
加速するはずがないのに。なぜそう感じるのか ・・・
地上からの絶対速度でなく、人間から板の挙動を相対的に観察し、そう感じるだけ。
1.人間が急に後ろに傾いたら、その分スキー板は前に ( 運動量保存 )
2.人間の移動ベクトルと板の移動ベクトルの外積の大きさが大きい場合。
(※加速はしていない。)
人間が加速度を与えることはできない。
(減速が続く状況から、その減速させるのをやた。これなら加速する。)
「走らせる」っていかにも加速のようで、違和感しかない。
似たような言葉に「推進力」 これまた一体なに?
加速を生み出すのは重力、位置エネルギーの消費しかない。内力では無意味。
人間ができるのは、加速でなく、減速させるか、させないか。
加速は重力まかせ。
それらしく聞こえても、そうではない。