ノーブル・ノーズの花の穴

麗しき本音のつぶや記
~月に1度ブログ~

ゲートオーバー

2017-11-15 09:33:03 | Weblog

ゲートキーパー講習を受けた。

自殺者を止めたいわけじゃない。
仕事上、人の話を聴かねばならないし、
脳(精神)に障害がある人が、
何を考えているのか、知りたいからだ。

自殺願望者が、9人殺された事件で、
犯人と関わっていた女性が、
「話しているうちに恐くなって、死にたくなくなった。」と言っていた。

皮肉にも、犯人は、アンゲートキーパーであると同時に、
ゲートキーパーにもなっていたわけだ。

人は、「殺される!」と思ったら、死なない。
テレンス・リーも、戦場では、
「こんなところで死ねるか!」と思ったらしい。
戦中戦後、人は、「どうやって生きていくか。」を考えたはずだ。

死ぬのって恐くないの?

資料の中にある、自殺の原因で、
男性の方に、「失恋」とあったのに笑えた。

人を好きになる事は、素晴らしい。
しかし、死ぬのはマズいだろう。
一時的な感情なんだから。

ただし、経営者の倒産はキツい。
自分だけの問題じゃないから。

社会人も、仕事を辞めればいいのにって思うんだけど、
それが、なかなかできないものだ。
「次は、どうすればいいんだ。」って、考えてしまう。

でも、子供の自殺はダメ。
自分が、そこから逃げたって、
周りが食いっぱぐれるわけじゃない。
どうにかしろ!

小学生であろうと、社長であろうと、
その器にその重さ、精一杯の苦悩に変わりはない。

でも本当は、「死にたい」んじゃなくて、
「生きるのが辛い」だけなんだろ。
育ってる環境で、その人の強さが決まると思う。

追い詰められても、自分は死なずに他人を殺す奴も、
実は、死にたい奴なのだ。

老人ホームの介護職員が、
入居者を風呂場で殺した事件。
入浴させている最中に、排便した事が、
ストレスになったらしいが、残念としか言えんなぁ。

殺意は、自分に負けた瞬間なんだな。

25才は、体力的にはいいのだけれど、
全てを受け止めるには、若いのかもしれない。
それぐらい、本気で人に寄り添うという事は、難しいという事だ。

受講している年寄りの中には、
「知り合いが悩んで、何度も、夜中に電話してくる。」とか、
「奥さんを介護しているご主人が、会うたびに、『死にたい。』と言う。」とか、
リアルに、対処しようとしている人達もいる。

後者のおじいさんは、ご自身は、経済的不安は全く無し。
フルマラソンが趣味なのに、
美味しい物を食べ過ぎて、太ってしまうのが悩みだとか。
裕福で、体を動かしている人は、最強なのだ。

最近読んだ、「大往生したけりゃ医療とかかわるな」中村仁一著では、
「繁殖を終えたら死ぬというのが自然界の掟」とある。

しょせん身体は、生きている間のレンタル。
人生も、客観的に見てはどうか。
前向きに、あきらめるしかない。

命は、バトンである。
ヨボヨボと歩いている老人を追い抜いた瞬間、
私は、いつも思う。
「まだ動ける。生きねば!」と。

私は、人間以外にはなりたくない。
しかし、人間嫌いなので、生まれ変わりたくない。

よって私は、一度きりの人生を、死ぬまで生きる。

先日、珍しく、スズメが死んでいるのを見た。
「ただ生きて、死ぬ。」
同じだ。

 

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