ゲートキーパー講習を受けた。
自殺者を止めたいわけじゃない。
仕事上、人の話を聴かねばならないし、
脳(精神)に障害がある人が、
何を考えているのか、知りたいからだ。
自殺願望者が、9人殺された事件で、
犯人と関わっていた女性が、
「話しているうちに恐くなって、死にたくなくなった。」と言っていた。
皮肉にも、犯人は、アンゲートキーパーであると同時に、
ゲートキーパーにもなっていたわけだ。
人は、「殺される!」と思ったら、死なない。
テレンス・リーも、戦場では、
「こんなところで死ねるか!」と思ったらしい。
戦中戦後、人は、「どうやって生きていくか。」を考えたはずだ。
死ぬのって恐くないの?
資料の中にある、自殺の原因で、
男性の方に、「失恋」とあったのに笑えた。
人を好きになる事は、素晴らしい。
しかし、死ぬのはマズいだろう。
一時的な感情なんだから。
ただし、経営者の倒産はキツい。
自分だけの問題じゃないから。
社会人も、仕事を辞めればいいのにって思うんだけど、
それが、なかなかできないものだ。
「次は、どうすればいいんだ。」って、考えてしまう。
でも、子供の自殺はダメ。
自分が、そこから逃げたって、
周りが食いっぱぐれるわけじゃない。
どうにかしろ!
小学生であろうと、社長であろうと、
その器にその重さ、精一杯の苦悩に変わりはない。
でも本当は、「死にたい」んじゃなくて、
「生きるのが辛い」だけなんだろ。
育ってる環境で、その人の強さが決まると思う。
追い詰められても、自分は死なずに他人を殺す奴も、
実は、死にたい奴なのだ。
老人ホームの介護職員が、
入居者を風呂場で殺した事件。
入浴させている最中に、排便した事が、
ストレスになったらしいが、残念としか言えんなぁ。
殺意は、自分に負けた瞬間なんだな。
25才は、体力的にはいいのだけれど、
全てを受け止めるには、若いのかもしれない。
それぐらい、本気で人に寄り添うという事は、難しいという事だ。
受講している年寄りの中には、
「知り合いが悩んで、何度も、夜中に電話してくる。」とか、
「奥さんを介護しているご主人が、会うたびに、『死にたい。』と言う。」とか、
リアルに、対処しようとしている人達もいる。
後者のおじいさんは、ご自身は、経済的不安は全く無し。
フルマラソンが趣味なのに、
美味しい物を食べ過ぎて、太ってしまうのが悩みだとか。
裕福で、体を動かしている人は、最強なのだ。
最近読んだ、「大往生したけりゃ医療とかかわるな」中村仁一著では、
「繁殖を終えたら死ぬというのが自然界の掟」とある。
しょせん身体は、生きている間のレンタル。
人生も、客観的に見てはどうか。
前向きに、あきらめるしかない。
命は、バトンである。
ヨボヨボと歩いている老人を追い抜いた瞬間、
私は、いつも思う。
「まだ動ける。生きねば!」と。
私は、人間以外にはなりたくない。
しかし、人間嫌いなので、生まれ変わりたくない。
よって私は、一度きりの人生を、死ぬまで生きる。
先日、珍しく、スズメが死んでいるのを見た。
「ただ生きて、死ぬ。」
同じだ。
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