何かしてます。

 無職だって退屈してません。「何か」してます。「何か」ってなんだ?

駒形の叔母さん三回忌

2012年10月23日 11時24分48秒 | 冠婚葬祭
 10月20日(土) 駒形の叔母さんの三回忌が執り行われ 弟と連れ立って供養してきました。
 
 思い返すと 駒形の叔母さんが亡くなった時点で 私の血のつながりがある『おじ・おば』は すべて鬼籍に入った。
 父方の
  安掘の伯父さん 戦死した伯父さん 銀行の伯父さん 駒形の叔母さん
 母方の
   二ノ宮の伯父さん 芳一叔父さん 司叔父さん ひろみ叔父さん

 そして 両親はもとより 姉と兄もすでに逝っている。
 次は誰だ? などと順番を考えると ちょっと寂しさを感じる。

 とは言え 自慢でないが 私は週3回は必ず病院に行っている。(透析のためですが!)
 悪いところがあれば 黙っていたって 医者が見つけてくれます。
 
 こうして『憎まれっ子 世に憚(はばか)る』のたとえのとおり 私は案外長生きするでしょう??

お墓参り

2012年09月22日 23時44分37秒 | 冠婚葬祭
 今日は秋分の日 お彼岸のお中日です。お墓参りに行かなくっちゃあ~

 幸さんと二人で 午前11時ころ家を出て 途中 『食の駅』に寄って
  お花 と お供えのおはぎ と お稲荷さん と のり巻き
を買いました。

 お墓に着いたら 八重子さんご夫婦が来ていました。
 「やあ やあ 」と挨拶していたら 『ふさこさん』と『てっちゃん』がきました。
 打ち合わせもしないのに 三組一緒になるなんて これも仏様のお引き合わせか?なんて馬鹿言いながら みんなで三つのお墓をお参りしました。

 後でわかったのですが 私達三組が帰った後 まだお線香が四分の一くらい残っているとき 『きくえさん』も来たそうです。

 もう少しで 4組勢ぞろいでお参りできたのに・・・ちょと残念! 

  

新盆

2012年08月14日 23時18分35秒 | 冠婚葬祭
 新盆を迎えた 前橋の義姉さんの 3人目の孫に当たる『由優ちゃん』です。
          
 
 義姉さんが亡くなってから 約4ヵ月後に誕生しました。
 「義姉さんの生まれ変わりかもね・・」
などと話しながら 新盆に集まった近しい身内で かわるがわる抱っこして 微笑みました。
 由優ちゃんの重みを両手に感じたとき 「義姉さんにも この重みをあじあわせてやりたかった 抱っこさせてあげたかった。」と強烈に感じました。

「あんなに元気だった義姉さんが 死んじゃったなんて 未だに信じられない。 残念でたまらない」
と思いながら 住職のお経を聞いていました。

 

お葬式

2012年08月13日 23時43分54秒 | 冠婚葬祭
 孫たち(しゅん君・ゆう君)の ママ方の ひいおばあちゃんが亡くなった。
 8月11日通夜 翌12日告別式が行われ 妻とともに参列しました。
          

 あと2�・3日て“ 満98歳になると聞きました。
 品のよい きれいな おばあちゃまでした。
 天国で 孫やひこ孫を守ってくださるよう くれぐれもお願いしました

兄貴の命日

2012年07月08日 14時09分57秒 | 冠婚葬祭
 7月6日は 兄貴の命日だった
 すっかり忘れていたが 夜になって思い出した
 忘れたまんまならともかく あいにく思い出してしまったので 翌7日お墓参りに行ってきた
 
 まず 実家に寄った
 バツいちの甥が 一人暮らししているが留守だった
 洗濯物が干してあり 家の内外も整理整頓され 独身貴族を楽しんでいる様子が伺われ ひと安心

 その足で お墓参り

          
○ ♪^俺のとうちゃん死んじゃった 俺のあんちゃんも死んじゃった
    俺のかあちゃんも死んじゃった 俺のねえちゃん(義姉)も死んじゃった♪^
    ~「おたまじゃくしはかえるの子 ・・・」の替え歌です~
    《 つぎは 俺の番かしらーー》             
          
○ 嫁に行った実姉も・・

 その足で 実弟の家に立ち寄った
 留守だった 
  緑ガメが ものすごく大きくなっていた 今度借りていって孫達に見せてやろう
  金魚もいた 私より面倒見がよく きれいな水の中 元気に泳いでいる
  
 まもなく弟が帰ってきてしばし談笑

 これで兄貴の供養も万全か?
 まあ 俺の気が済んだから よしとしよう


ばあ・ばあちゃんの命日

2012年05月07日 23時48分25秒 | 冠婚葬祭
 こどもの日は ばあばあちゃん(同居していた妻の母)の命日です
 三年前のこどもの日 朝気分が悪いと言い出し 夕方には亡くなっていました
 行年97歳でした
 今考えると 本当に立派な死に方をしたものだと思います
 あやかりたいものです

          

 来られる者が 現地集合してお墓参りをすることになりました
 前から まさお君・とも君家族・りゅう君・きくえさん・私ども夫婦の車列です

 『ガスト』でお食事して 解散しました

 花音ちゃん(とも君の長女 もうすぐ2歳)と 何回も乾杯しました 
 女の子は また格別な 可愛さがありますね・・・  

法要

2012年02月12日 14時42分56秒 | 冠婚葬祭
一昨日《2月10日(金)》
 『辨秀和尚十七回忌 辨徳和尚十三回忌』の法要に夫婦で参列しました
 10人以上のお坊さんが 一斉にお経をあげて供養する 盛大かつ荘厳な法要でした

          

 法要後の清宴は 高崎ビューホテルで行われました
 《メニュー》
    カリフラワーのムースと海の幸の盛り合わせ   
    蟹と野菜のフラン サフランソース
    きのこのパイ包みスープ
    パッションフルーツのグラニテ
    牛ヒィレ肉のステーキ ファワグラ乗せ
     デザート三種盛り合わせ
     ~ショコラノワール、柚子シャーベット、フルーツ~

          コーヒー

          パン

 大小のスプーンやホークがやたらたくさんあったけど 箸で食べました 
    

 

納骨

2012年01月24日 10時37分32秒 | 冠婚葬祭
 1月21日(土) 前橋の義姉さんのお骨を嶺霊園のお墓に納めました
 あたりは雪景色 こんな寒いところに義姉さんを置いていくのは切なかった

 孫のまきちゃんが 小さな雪だるまをお供えしました
 昔の人が 古墳に埴輪を供えた気持ちがわかるような気がしました
          

 先に入っている親父と兄貴に みんなに内緒でタバコを供え
 「ちょっと早かったけど 義姉さんが行ったよ また仲良く暮らしてね」
と言っておきました

義姉逝く~その2

2011年12月21日 23時00分00秒 | 冠婚葬祭
 彼女は、2009年8月14日に済生会病院に入院し、同年9月10日(死亡の約2年2ヶ月前)千葉医大で『肝口部胆菅癌』の手術をし、肝臓の約半分を摘出しました。
          

 その後健康を回復し、趣味に励んだり旅行をしたりして通常の毎日を送っていました。
 
 今年(2011年)夏、体調を崩し短期間入院しましたが、すぐ回復しました。
 (再発の前兆か?)

 同年10月10日入院
 (再発)

 同年10月28日緩和ケアー室に移動

 同年11月26日クリスマスゴスペル音楽会

 同年12月6日麻酔が効かないほどの激痛
        睡眠薬を使用

 同年12月7日こん睡状態

 同年12月9日逝去

       合掌

義姉逝く

2011年12月15日 23時17分58秒 | 冠婚葬祭
 12月9日、前橋の義姉が他界しました。
 残念でたまりません。
 言うべき言葉がありません。

 12月11日にお通夜、同12日に葬儀・告別式を行い、本日初七日を迎えました。 早いものです。

 通夜払いの席において、『締め』を指名されたので次の言葉を添えました。
《本日は、お寒いなかを亡き義姉のためお集まりいただき誠に有難うございました。 
 義姉は、一昨日他界致しました。

 故人は、兄亡き後も我々兄弟の中心にあり、常にやさしい気配りをしてくれました。
 私ども兄弟の心のよりどころでした。
 孫の成長を見守ったり、趣味に励んだりまだまだ楽しいことがたくさんあったはずです。
 残念でたまりません。

 これまで皆様方に大変お世話になりました。
 故人になり代わりまして心からお礼申し上げます。

 あまりにも突然のことでしたので、気持ちの整理がつかず皆様にご迷惑とご心配をおかけしておりますことをお許し下さい。

 葬儀及び告別式は明日午後零時より、ここ○○○にて執り行いますのでお時間がございましたら、ぜひお別れをしていただきたく存じます。

 本日は遅くまでまことに有難うございました。》