長男夫婦と孫のゆう君が迎えに来てくれたので 私ども夫婦が乗り込みました。
やってきました金古のお墓、妻のご両親が入っています。
やがて私ども夫婦も入る予定です。
いやはや暑い暑い
早々に引き上げ 長女の家に寄り所要をすませました。
長女方の孫が出向かえてくれ、うれしかった。
とり平 のお弁当を買って家へ戻って食べました。
夕方前橋の義妹(実弟の奥さん)からメールが入りました。
前橋のお墓(私の実家の墓)にお参りに行った様子を知らせてくれたのです。
1944年(昭和19年)8月19日前橋市旧田中町において、タクシ一運転手をしていた父親 専業主婦(結婚前は看護婦)の母親のあいだに
3番目の二男として生れました。兄弟3人とともに両親の手元で育てられました。
4歳くらいで(ょうか?手元にある一番幼いころの写直です。
これから70年くらい経ち今現在の私です。
私の人生も終りに近かずいていますが 今までの人生を振り返って ーロで言えば 「幸せだった。」ということでしょうか!(今やっている透析は、苦業ではあるが 妻の十分な介護を受けていますから我慢できないほどのものではない:,)
退院以来 車椅子生活を送っている。自力で歩けないこともないのだが、医師のご命令である。
当然自家用車の運転はできない。筑縄詣で が出来ないので淋しの心である。
午後楝高ファミリーが遊びに来た。
外は雨 あっ君とかず君は、爺のタブレットで遊んでぃる。
やす君は、お外で遊びたいがママに止ぬられ大泣き。
爺の身体が衰えてしまい積極的に遊んでやれなぃのが残念である。
5月4日
透析~結果良好
5月5日 子供の日 あきバアさんの命日
おばあさんが亡くなって 丸9年経つ。 近々自分が逝きそうなのに人の墓参りもねえもんだ!
死んだら食えねえ 生きているうちに食っとくべえ
あっ君 お誕生日おめでとう 元気で大きく育っていく あっ君を見ている 爺婆は、とっても幸せです.
2008年(平成20年)10年前の今日 長女の長男 あっくん が誕生しました。私は満63歳 3人目の孫です。
当時は仕事を持たず 病気も出ていない健康体で毎日遊んでいたので「この世は桃源郷か?」とまがう幸せな日々でした。
そのうえ3人目の孫を抱っこ出来たのです。幸せの絶頂期だったかも?
その孫も今年は5年生になります。丈夫で優しくてお利口さんで器量好しです。爺婆にとってこの上ない存在です。
今私ども夫婦には中学3年生を頭に5人の孫がいますが、みんな良い子ばっかりです。
長男長女は、案外子育てが上手なのかもしれません。