平成13年(2001)3月、56歳のとき太田に単身赴任し、定年退職までの4年間を過ごしました。
転勤2年目になり、公私に余裕が持てるようになったとき、東毛の山に登りたいと思いました。
一人で気楽に登ることにしました。
(20)鳴神山
平成15年(2003年)4月27日
(日記から)『前夜なかなか眠れず、やはり久しぶりの山行がうれしいのか?。6:30起床、道に迷いながら登山口に着く。2時間かかって山頂。
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ヤシオツツジが満開だった。山頂からの眺め。登ってよかった。
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やはり足が痛い。帰りに「コロナの湯」に入った。』
(21)吾妻山
平成15年(2003年)5月6日
(日記から)『5:30ころ目覚めて、なんだかんだ準備をして登り始めたのが8:00。杖を使い、山野草などの写真を撮りながら1時間のコースを2時間かけて登った。』
山頂に神様がいた
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山頂から桐生市内を望む
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(22)小中大滝
平成15年(2003年)9月27日
(ネット検索)【群馬県勢多郡東村 (渡良瀬川支流小中川) 小中大滝 落差96m 幅15m 段瀑 群馬県下有数の大瀑であり、・・・・】
(日記から)『袈裟丸山に登りたい。登山口などの下見に出かけた。途中、小中大滝に出会った。』
(23)根本山
平成15年(2003年)10月27日
(日記から)『根本山に登ってきた。1195m。次は袈裟丸山だ。』
(25)袈裟丸山寝釈迦まで
平成15年(2003年)11月5日
注釈【ここ袈裟丸山中腹の巨大なみかげ石の岩場に浮き彫りにされた寝釈迦像は、北を枕に西方を向き、右脇を下にして横たわっています。この寝釈迦像がいつ、だれによって作られたかは不明で、弘法大師説・勝道上人説などがあり、また徳川時代に足尾銅山に送り込まれ病死した多くの囚人の菩提を弔うために刻まれたとも言われ、この地で静かに時の流れを見つめています。~環境庁・群馬県】
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(日記から)『袈裟丸山中腹の寝釈迦まで登山、1時間04分。山頂は次の機会に。 ♪袈裟丸に一人で寝ているお釈迦様、起きて目を開け願いを聞いて!
水沼駅温泉で汗を流した。』
(24)栗生山
平成15年(2003年)12月14日
(日記から)『8:00ころ出発し、栗生山に登る。約1時間。いくら急な坂道でも、鼻歌を歌える程度のペースなら、まだまだいくらでも歩ける。帰りに友人の実家である医光寺に立ち寄った。コロナの湯で温まり、浜ツ子で豚骨ラーメン、おいしかった。』
(写真なし)
(26)袈裟丸山賽の河原まで
平成16年(2004年)4月15日
注釈【袈裟丸山中腹のこの場所は、木が生えておらず、大小の石ばかりが転がっているので賽の河原と呼ばれています。その昔、弘法大師が夜この地を通ると赤鬼青鬼に責められながら、子供たちが石を積み上げているのをみて三夜読経して救済したといわれています。~環境庁・群馬県】
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(日記から)『賽の河原まで1時間20分。山頂までは次の機会に!避難小屋で焚き火をした。左足のふくらはぎが痛い。平地や下りは痛くないのに?。草木ドライブインで回転急須と伸縮孫の手を買った。』
(27)袈裟丸山小丸山まで
平成16年(2004年)5月27日
注釈【袈裟丸山(1878m)の名称も弘法大師にちなんだものといわれています。中国から戻った弘法大師が赤城山に高野山を築こうとしたところ、赤城山の山神は仏の地となる事を嫌い、一谷を隠して九百九十九谷しか現さなかったそうです。大師は残り一谷を探して現在の袈裟丸山まで来たのですが、ここにもなく落胆し、袈裟を丸めてこの山に置いて下りたため、袈裟丸の名が付いたということです。~環境庁・群馬県】
(日記から)『袈裟丸山山頂登山をめざし、5時半出発。2時間で小丸山に着いた。足が痛いのを我慢し、だましながらやっとここまで来た。山頂まで無理と思い勇気ある撤退。三つ葉ツツジ、御用ツツジ(白ヤシオ)がたくさん咲いていた。水沼駅温泉に寄った。』
白ヤシオ
※ とうとう袈裟丸山の頂上には行けなかった。
東毛の名山 太田金山については、別の機会に書きます。!
転勤2年目になり、公私に余裕が持てるようになったとき、東毛の山に登りたいと思いました。
一人で気楽に登ることにしました。
(20)鳴神山
平成15年(2003年)4月27日
(日記から)『前夜なかなか眠れず、やはり久しぶりの山行がうれしいのか?。6:30起床、道に迷いながら登山口に着く。2時間かかって山頂。
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ヤシオツツジが満開だった。山頂からの眺め。登ってよかった。
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やはり足が痛い。帰りに「コロナの湯」に入った。』
(21)吾妻山
平成15年(2003年)5月6日
(日記から)『5:30ころ目覚めて、なんだかんだ準備をして登り始めたのが8:00。杖を使い、山野草などの写真を撮りながら1時間のコースを2時間かけて登った。』
山頂に神様がいた
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山頂から桐生市内を望む
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(22)小中大滝
平成15年(2003年)9月27日
(ネット検索)【群馬県勢多郡東村 (渡良瀬川支流小中川) 小中大滝 落差96m 幅15m 段瀑 群馬県下有数の大瀑であり、・・・・】
(日記から)『袈裟丸山に登りたい。登山口などの下見に出かけた。途中、小中大滝に出会った。』
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(23)根本山
平成15年(2003年)10月27日
(日記から)『根本山に登ってきた。1195m。次は袈裟丸山だ。』
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(25)袈裟丸山寝釈迦まで
平成15年(2003年)11月5日
注釈【ここ袈裟丸山中腹の巨大なみかげ石の岩場に浮き彫りにされた寝釈迦像は、北を枕に西方を向き、右脇を下にして横たわっています。この寝釈迦像がいつ、だれによって作られたかは不明で、弘法大師説・勝道上人説などがあり、また徳川時代に足尾銅山に送り込まれ病死した多くの囚人の菩提を弔うために刻まれたとも言われ、この地で静かに時の流れを見つめています。~環境庁・群馬県】
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(日記から)『袈裟丸山中腹の寝釈迦まで登山、1時間04分。山頂は次の機会に。 ♪袈裟丸に一人で寝ているお釈迦様、起きて目を開け願いを聞いて!
水沼駅温泉で汗を流した。』
(24)栗生山
平成15年(2003年)12月14日
(日記から)『8:00ころ出発し、栗生山に登る。約1時間。いくら急な坂道でも、鼻歌を歌える程度のペースなら、まだまだいくらでも歩ける。帰りに友人の実家である医光寺に立ち寄った。コロナの湯で温まり、浜ツ子で豚骨ラーメン、おいしかった。』
(写真なし)
(26)袈裟丸山賽の河原まで
平成16年(2004年)4月15日
注釈【袈裟丸山中腹のこの場所は、木が生えておらず、大小の石ばかりが転がっているので賽の河原と呼ばれています。その昔、弘法大師が夜この地を通ると赤鬼青鬼に責められながら、子供たちが石を積み上げているのをみて三夜読経して救済したといわれています。~環境庁・群馬県】
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(日記から)『賽の河原まで1時間20分。山頂までは次の機会に!避難小屋で焚き火をした。左足のふくらはぎが痛い。平地や下りは痛くないのに?。草木ドライブインで回転急須と伸縮孫の手を買った。』
(27)袈裟丸山小丸山まで
平成16年(2004年)5月27日
注釈【袈裟丸山(1878m)の名称も弘法大師にちなんだものといわれています。中国から戻った弘法大師が赤城山に高野山を築こうとしたところ、赤城山の山神は仏の地となる事を嫌い、一谷を隠して九百九十九谷しか現さなかったそうです。大師は残り一谷を探して現在の袈裟丸山まで来たのですが、ここにもなく落胆し、袈裟を丸めてこの山に置いて下りたため、袈裟丸の名が付いたということです。~環境庁・群馬県】
(日記から)『袈裟丸山山頂登山をめざし、5時半出発。2時間で小丸山に着いた。足が痛いのを我慢し、だましながらやっとここまで来た。山頂まで無理と思い勇気ある撤退。三つ葉ツツジ、御用ツツジ(白ヤシオ)がたくさん咲いていた。水沼駅温泉に寄った。』
白ヤシオ
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※ とうとう袈裟丸山の頂上には行けなかった。
東毛の名山 太田金山については、別の機会に書きます。!