海水浴の季節になってきた。海なし県に生まれ育った私にとって、海は『あこがれ』です。
特に、思い出がある海水浴場が3つある。
ひとつは、独身時代に遊んだ角田浜
ひとつは、家族と楽しんだ東の輪海岸・すぐ隣の西番神海岸
ひとつは、熟年になってから趣味(スキンダイビング)を楽しんだ椎谷海岸
【まずは角田浜】
昭和45年の夏(渋川時代、当時24歳)、職場の先輩と角田浜海水浴に行くことになった。先輩たちは家族を連れてゆき、独身の私は彼女を連れてゆく約束をさせられた。(先輩には逆らえない)
私は困ってしまった。見栄を張り彼女がいるようなことを言ってしまったが、つれて行けるような彼女がいなかったのである。
背に腹は変えられず、やむを得ず『元カノ』に声をかけた。
幸か不幸か『元カノ』は、二つ返事でついて来てくれた。(後々考えると、これが運命の分かれ道だった。)先輩には『元』を省いて紹介して面目を保った。
それから4年後、再び角田浜に行った(2度目の高崎時代、当時28歳)。
職場の後輩たちと海水浴に行ったのであるが、当時の写真を見るとなんと『元カノ』が写っている。
実はどう結う訳か(??)、『元カノ』と縁りが戻っていたのです。
特に、思い出がある海水浴場が3つある。
ひとつは、独身時代に遊んだ角田浜
ひとつは、家族と楽しんだ東の輪海岸・すぐ隣の西番神海岸
ひとつは、熟年になってから趣味(スキンダイビング)を楽しんだ椎谷海岸
【まずは角田浜】
昭和45年の夏(渋川時代、当時24歳)、職場の先輩と角田浜海水浴に行くことになった。先輩たちは家族を連れてゆき、独身の私は彼女を連れてゆく約束をさせられた。(先輩には逆らえない)
私は困ってしまった。見栄を張り彼女がいるようなことを言ってしまったが、つれて行けるような彼女がいなかったのである。
背に腹は変えられず、やむを得ず『元カノ』に声をかけた。
幸か不幸か『元カノ』は、二つ返事でついて来てくれた。(後々考えると、これが運命の分かれ道だった。)先輩には『元』を省いて紹介して面目を保った。
それから4年後、再び角田浜に行った(2度目の高崎時代、当時28歳)。
職場の後輩たちと海水浴に行ったのであるが、当時の写真を見るとなんと『元カノ』が写っている。
実はどう結う訳か(??)、『元カノ』と縁りが戻っていたのです。
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