《奈落の底の6日間》についても その当時ブログの草稿を書いています。
下記のとおり カミングアウトします。
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平成19年12月に下書きしました。一年たったら公表したいと思っています。
記載事項はその日に書いた10年日記の抜粋です。
11月30日
とんでもない日になった。脳神経外科○○医師からナースセンターにおいて、「鞍上部腫瘤下垂体腺腫の疑い」を告知された。まいったねー、手術はしたくないねえ、ガックリした。夕方幸さんが来たので話した。やっとすっきりして手術でもなんでも受ける気になった。
12月1日
どうにか眠れた。朝食も食べられた。しかし、『下垂体腫瘍の疑い』の事実から逃れられない。ブログに病気のことを書く気が起こらず、榛名山のことを書いた。午後長男が孫を連れてお見舞いに来てくれた。脳腫瘍については話せなかった。看護士の腎臓病指導の際、『安楽死・自殺』などを口走ってしまった。
12月2日
一日中脳腫瘍のことが頭を離れない。マサオとリュウイチが来てくれた。
リュウイチが持って来てくれた漫画さえ見る気になれない。
12月3日
脳神経外科の座間医師から、「水曜日にご家族に説明したいが、都合はどうか?」と聞いてきた。いよいよ死刑宣告か。
12月4日
朝気持ちが悪かった。ご飯を食べたら胃が痛む。このまま透析になってしまうか?脳腫瘍のほうはどうなる・・・・不安ばかりつのり、奈落の底に引き込まれていくようだ。キクエさんとマサキさんが来てくれたが、脳腫瘍のことは言えなかった。
12月5日
群大の先生から「腫瘍は良性と認められる。経過観察」
※ 「経過観察」? うっそ~・・
本当に良性なの? 組織の病理検査もしないでわかるの・・・・・
なんか信用できない。このことは一年たっても生きていたら公表しよう。
下記のとおり カミングアウトします。
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平成19年12月に下書きしました。一年たったら公表したいと思っています。
記載事項はその日に書いた10年日記の抜粋です。
11月30日
とんでもない日になった。脳神経外科○○医師からナースセンターにおいて、「鞍上部腫瘤下垂体腺腫の疑い」を告知された。まいったねー、手術はしたくないねえ、ガックリした。夕方幸さんが来たので話した。やっとすっきりして手術でもなんでも受ける気になった。
12月1日
どうにか眠れた。朝食も食べられた。しかし、『下垂体腫瘍の疑い』の事実から逃れられない。ブログに病気のことを書く気が起こらず、榛名山のことを書いた。午後長男が孫を連れてお見舞いに来てくれた。脳腫瘍については話せなかった。看護士の腎臓病指導の際、『安楽死・自殺』などを口走ってしまった。
12月2日
一日中脳腫瘍のことが頭を離れない。マサオとリュウイチが来てくれた。
リュウイチが持って来てくれた漫画さえ見る気になれない。
12月3日
脳神経外科の座間医師から、「水曜日にご家族に説明したいが、都合はどうか?」と聞いてきた。いよいよ死刑宣告か。
12月4日
朝気持ちが悪かった。ご飯を食べたら胃が痛む。このまま透析になってしまうか?脳腫瘍のほうはどうなる・・・・不安ばかりつのり、奈落の底に引き込まれていくようだ。キクエさんとマサキさんが来てくれたが、脳腫瘍のことは言えなかった。
12月5日
群大の先生から「腫瘍は良性と認められる。経過観察」
※ 「経過観察」? うっそ~・・
本当に良性なの? 組織の病理検査もしないでわかるの・・・・・
なんか信用できない。このことは一年たっても生きていたら公表しよう。