何かしてます。

 無職だって退屈してません。「何か」してます。「何か」ってなんだ?

私の甥は、強運だ!

2007年06月06日 08時42分34秒 | 病気
 甥(兄の長男)が怪我をして自宅療養していると聞いたので6月5日、弟と一緒に見舞いに行った。
 後部座席に乗っていた大型3輪バイクが転倒し、左足骨折全治4~5週間の重傷を負った。
 でも、頭など他の部分の負傷はなく、表情はいたって元気だったので一安心した。死んだって不思議はない事故だったのに、この程度で済んだのは不幸中の幸いと言えるだろう。
 やはりこの甥は強運の持ち主だったのだ!!
 
 今から10年前、平成9年の3月8日甥は雪の谷川岳で遭難した。
 山頂からスノーボードで本谷を滑降するつもりだったが、誤って反対の沢を滑降してしまい、2晩雪穴で眠り、自力で尾根まで登ったところを捜索隊に発見され、遭難から3日目無事生還した。
 吹雪で2日間捜索ができず、3日目に県警のペリコプターが飛んだが発見できなかったときは、もうダメだと思った。
 捜索隊から無事発見の知らせを聞いた兄貴が、涙を振り払いながらケーブル駅に走っていった姿が今でも鮮明に目に浮かぶ。
 私の日記には「生きていた。生きていた。10中8,9は死んだと思っていたが生きていた。2晩雪穴、運の強い子なのだろう。」と書いてある。

 叔父としては、
  「平凡でもいい。強運に頼らないような平穏な生活をおくって欲しい。」
と願っている。
 

義弟逝く

2007年06月03日 16時50分42秒 | 近況
平成19年5月30日午前6時13分、義弟が逝った。
 元気に旅立ちました。



 本年1月、本人にがん告知、家族には余命3ヶ月が宣告されました。しかし故人は回復を信じ前向きに治療に専念したのです。
 亡くなる2日前、長いお付き合いの先輩と幼馴染の同業者が見舞いに来てくれました。およそ2時間くらい談笑していました。故人は終始ニコニコしており、見舞いのお二人も故人の元気そうな様子とあまりに嬉しそうだったので帰るに帰れなかったようでした。
 亡くなる1日前も元気でした。看護士さんに下着を替えてもらい、ベットに起き上がり足を洗ってもらいながら冗談を言っていたほどです。

 その翌朝、奥さんと息子達に看取られて苦しむことなく旅立ちました。
 まさに、元気いっぱいの旅立ちでした。

 故人は工場を始めてからは、言葉どおり仕事一筋でした。少しでも良い仕事をしたい、少しでも立派な工場を息子達に残したいという気持ちだったのです。
 
 職人気質の故人が工場を経営するのは大変なご苦労もあったことと思います。

 故人の長年のご労苦に感謝するとともに謹んでご冥福をお祈り致します。