甥(兄の長男)が怪我をして自宅療養していると聞いたので6月5日、弟と一緒に見舞いに行った。
後部座席に乗っていた大型3輪バイクが転倒し、左足骨折全治4~5週間の重傷を負った。
でも、頭など他の部分の負傷はなく、表情はいたって元気だったので一安心した。死んだって不思議はない事故だったのに、この程度で済んだのは不幸中の幸いと言えるだろう。
やはりこの甥は強運の持ち主だったのだ!!
今から10年前、平成9年の3月8日甥は雪の谷川岳で遭難した。
山頂からスノーボードで本谷を滑降するつもりだったが、誤って反対の沢を滑降してしまい、2晩雪穴で眠り、自力で尾根まで登ったところを捜索隊に発見され、遭難から3日目無事生還した。
吹雪で2日間捜索ができず、3日目に県警のペリコプターが飛んだが発見できなかったときは、もうダメだと思った。
捜索隊から無事発見の知らせを聞いた兄貴が、涙を振り払いながらケーブル駅に走っていった姿が今でも鮮明に目に浮かぶ。
私の日記には「生きていた。生きていた。10中8,9は死んだと思っていたが生きていた。2晩雪穴、運の強い子なのだろう。」と書いてある。
叔父としては、
「平凡でもいい。強運に頼らないような平穏な生活をおくって欲しい。」
と願っている。
後部座席に乗っていた大型3輪バイクが転倒し、左足骨折全治4~5週間の重傷を負った。
でも、頭など他の部分の負傷はなく、表情はいたって元気だったので一安心した。死んだって不思議はない事故だったのに、この程度で済んだのは不幸中の幸いと言えるだろう。
やはりこの甥は強運の持ち主だったのだ!!
今から10年前、平成9年の3月8日甥は雪の谷川岳で遭難した。
山頂からスノーボードで本谷を滑降するつもりだったが、誤って反対の沢を滑降してしまい、2晩雪穴で眠り、自力で尾根まで登ったところを捜索隊に発見され、遭難から3日目無事生還した。
吹雪で2日間捜索ができず、3日目に県警のペリコプターが飛んだが発見できなかったときは、もうダメだと思った。
捜索隊から無事発見の知らせを聞いた兄貴が、涙を振り払いながらケーブル駅に走っていった姿が今でも鮮明に目に浮かぶ。
私の日記には「生きていた。生きていた。10中8,9は死んだと思っていたが生きていた。2晩雪穴、運の強い子なのだろう。」と書いてある。
叔父としては、
「平凡でもいい。強運に頼らないような平穏な生活をおくって欲しい。」
と願っている。