何かしてます。

 無職だって退屈してません。「何か」してます。「何か」ってなんだ?

禁煙日記Ⅳ

2007年11月24日 18時04分50秒 | 禁煙日記
11月24日(土)
 夕方長男が立ち寄った。
 私が禁煙していることを知りながら、これ見よがしに煙草をテーブルの上に出した。まったく親不孝者である。
 そのうえ、「1本くれ!」と言ったら素直にくれた。ますます親不孝者である。

 いや、ちょっと待てよ、以前長男に頼んだことがある
  「もし入院などしてお母さんはじめ世の中のすべての人が『煙草を吸ってはダメだ』と言ったとしても、お前だけは隠れてでも私に煙草を吸わせてくれなくてはならない。」
 と・・・・・・・

 この頼みを率直に守ってくれた長男は親孝行者と言えるかも?

 貰った煙草に火をつけないまま、くわえている。
 火をつけようか・・ つけまいか・・
      迷っている

 

はじめての110番通報

2007年11月23日 12時16分57秒 | 近況
11月22日15時46分、生まれて初めて110番通報をした。

 孫達を迎えに保育園に向かうため自家用車で家を出たところ、スリッパのおばあちゃんが車の前を横切ろうとしている。普通のおばあちゃんでないと思ったので、5メートルくらい手前で停車した。
 おばあちゃんは、目の前で転倒した。顔面制動して立ち上がれない。助け起こすと左目付近から血が出ている。
 名前も住所も言えないほどの認知症だったので、すぐ110番通報した。
 まもなくパトカーでおまわりさんが到着した。ほぼ同時くらいにおばあちゃんを知っている通行人が来て、おばあちゃんの面倒を見始めた。
 おまわりさんと通行人が話し始めた。
 通報者である私も事情聴取されると思ってしばらく待っていたが、誰も相手にしてくない。しかたないので『そっと』その場を離れた。
 
 事情聴取されたり、お礼の言葉をいただいたり、名前を告げたりしたかったのに、無視された。
 
 ちょっと!残念だった・・・

私の持病(右足首関節炎)

2007年11月22日 10時18分58秒 | 病気
 私の人生に大きく影響を与えた病気の一つに『交通事故の後遺症である右足首関節炎』があります
 20歳のとき、オートバイ事故を起こし、右足のくるぶしを骨折し、3ヶ月も入院しました。そのときの後遺症です。
 事故の状況は、『ホンダドリーム2500ccに乗って南進しているとき、対向の乗用車が右折するのに気づかず、そのまま直進したため衝突した。』ものでした。

          

 右足首の関節に軟骨?ができてしまい、完全に伸びなくなり、曲がらなくなってしまったのです。、走ったり、長時間正しい姿勢で歩くと痛くなり炎症を起こします。

               

 この後遺症は日常生活や仕事上さまざまな障害を生みました。でも、一切気にしないことにしました。
 走ることが主な仕事内容の職種への転勤もあえて避けませんでした。密かな私の自己満足です。

禁煙日記Ⅲ

2007年11月21日 22時36分33秒 | 禁煙日記
 11月14日早朝、我が身を襲っためまいの原因が未だ判明していない。
  『17日(土)にMRI検査』
  『21日(水)に検査結果を踏まえた診断』
が決まっているので、少なくともこの結果が出るまで禁煙を継続することとした。

禁煙11日目(11/17)
 高花台へ野菜を貰いに行った。
 MRI検査ができなかった。ショックで煙草が吸いたかった。

禁煙12日目(11/18)
 すこし泳ぐ
 
禁煙13日目(11/19)
 観音山に紅葉狩り

禁煙14日目(11/20)
 お昼を食べたら腹痛
 保育園お迎え

禁煙15日目(11/21)
 日高クリニック診察

☆おかげさまで予定の3倍、15日間の禁煙が達成できました。有難うございました。
 しかし、このところめまいがしたり、風邪をひいたり、腹痛を起こしたり、腎臓が急に悪化したり、わけも無くイライラしたりいいことはなに一つもありません。 これは19歳から常に体内にあったニコチンを急に断ったためだと思います。
 今後どうしたらよいのでしょうか??

       

お散歩日記(観音山徳明園)

2007年11月19日 18時19分20秒 | お散歩
 お母さんに誘われお散歩に出かけました。
 目的は、観音山の日本庭園『徳明園』の紅葉です。
 丁度良い時期で、きれいな紅葉を見せてもらいました。

            

 この後、洞窟観音を見て、ひびき橋を渡ってきました。
 
 観音山には今までに何十回と来ています。
 一番最初に来たのは、万国博覧会?の見学にきた幼稚園のころでした。親父に連れられ家族全員で来た楽しい思い出が記憶にあります。
 以来、夜遊び・デート・子ども達とカッパピアなど数えきれないほど遊びに来ています。

 このように慣れ親しんでいる観音山なのですが、今日始めて知ったことが二つありました。

 一つは、観音山に『浦島太郎』がいたのです。

            


 一つは、観音様が猫背だったことです。

            


 帰りに、『小紋』というレストランによってお昼を食べました。
 ここは以前、前橋の義妹にお母さんがご馳走になったお店だそうです。

 「お肉もお刺身もおいしいね。今度マー君達と一緒に来たいね!」とお母さんが言っていました。
 

大変な事実

2007年11月18日 00時01分03秒 | 病気
 大変な事実が発覚した。私自身信じられない。

 昨日(11月17日)、日高クリニックにMRI検査に行った。
 検査手続きを済ませ検査室の前で待っているとき、以前(40歳ころ)MRI検査を受けたときのことを思い出した。

            

 

  【検査中気持ちが悪くなった。
   ぐっと我慢していたら、我慢できないほど気持ちが悪くなると同時に、逃げ出せない場所に閉じ込められている恐怖を感じた。
   気持ち悪い、逃げられない、もう我慢できないとパニクッているなかで吐いてしまった。
   検査は中止になった。
   20年以上も前の苦い思い出である。】


 後の検査で、気持ち悪くなった原因は造影剤のアレルギーであることがわかったので、今回は、造影剤を使わない検査にした。

 検査台に横になり頭を固定され、ドームの中に入っていった。
 いきなりパニック状態になった。検査を受けることが出来なかった。

 MRI検査を受けられない身体になってしまったのだろうか。?
 

いただき~

2007年11月17日 21時17分11秒 | 近況
 定年退職した後、第二の職場で働きながら趣味で家庭菜園をしている友人が高花台にいる。
 昨日、その友人から「野菜が出来ているから取りに来いヤ。」と電話連絡があった。
 本日早速出かけた。
 遠慮なくたくさんいただいた! 感謝! 感謝!!
 またお願いします。

【菜 園 全 景】
          

【キャベツを取ってくれている友人】

          

【いただいた野菜】

          

 ・キャベツ ・人参 ・大根 ・春菊 ・京菜(ミズナ) ・さつま芋2種類
 ・サトイモ2種類 ・トマト ・ミニトマト ・レタス ・食用菊の花 
 ・観賞用菊の花 一鉢と一束 ・バジル ・ブロッコリー 

禁煙日記Ⅱ 

2007年11月16日 20時59分39秒 | 禁煙日記
 限定5日間の禁煙が終了したにもかかわらず、のどのかゆみとこれに伴う空咳が治まらないのでもう5日間禁煙を継続することとした。

禁煙6日目(11/12)
 妻の言うこと、なすこと気に食わない。大喧嘩に発展しそうだ。やはり、この結婚は失敗だったのか。?などイライラが心を支配している。爆発しそうだ。!!
 そのとき、「いや、まてよ。これはニコチン禁断症状だ。ニコチン悪魔の仕業だ。」と気がついた。
 あわてて一人ドライブに出かけ、目についた日帰り温泉『リバートピア吉岡』に飛び込んだ。
 温泉効果でリラックスし、どうにか禁煙を継続した。

禁煙7日目(11/13)
 久しぶりに、コーヒーを落としてゆっくり味わった。おいしかった。
 その反動で、心の底から煙草を吸いたいと思った。
 DOへ駆け込み、ゆっくり泳いで欲望を抑えた。

禁煙8日目(11/14)
 朝、目が覚めた。時計を見ると7時少し前。もう一眠りと思い目を閉じたら目が回っている。ゆっくりだが、確かに回っている、少し気持ちが悪くなってきた。
 階下に降り、妻に告げ、お炬燵に入ってじっと待った。
  『更に体調が悪くなり、救急車か?』あるいは、『このまま治まるか?』
~脳梗塞か脳溢血か、あるいは心筋梗塞か・・・不安はつのる

 目が回っている状態が約1時間続いたが、やがて治まった。ご飯もおいしく食べられた。
 このときになって気づいた。もしかしたら、これは、『ニコチン禁断症状の一種かもしれない。』と・・。

 でも、それだけではないのかもしれないと思い、かかりつけのお医者さんに行った。
 案の定医師は、かねてから悪化していた慢性腎不全のせいにして「腎臓病の疑い」と診断し、日高クリニックに紹介状を書いてくれた。

禁煙9日目(11/15)
 自分では昨日目が回ったのは、ニコチン禁断症状に間違いないと思ったが、紹介状まで書いてもらったので、日高クリニックの診察を受けた。
 「悪性のものとは思えないが、用心のため頭の検査をしましょう。」とすすめられ、本当はニコチン禁断症状かも知れないと思いつつ、明後日(17日)MRI検査を受けることになった。
 
禁煙10日目(11/16)
 お母さんが前橋に遊びに行き、朝から留守番をしている。
 10日目になったにもかかわらず、今だ常に煙草を吸いたい。
 あと数時間で、5プラス5イコール10日間の限定禁煙が終わる。
 禁煙解除後の最初の一服は、目が回るだろうなー
              ~ 以上午後0時記載
 午後5時、お陰様で延長5日間の禁煙も成功裏に終了した。
 さて、一服するぞ・・・・・・・・・・  

私の持病(掌蹠膿疱症~しょうせきのうほうしょう)

2007年11月15日 23時07分01秒 | 病気
《参考文献》
○ 掌蹠膿疱症とは?

 《辞書すべて》を検索すると、次のように書いてあります。
【掌蹠膿疱症の症状 】
 手掌・足底に多数の膿疱が両側に急に出現し、しばらくするとガサガサになる。こういった経過が寛解、増悪を繰り返す。
 約10%に胸肋鎖骨関節、脊椎に関節炎を併発する。
 特に胸肋鎖骨骨化症を合併することが多く、その場合は、上胸部の疼痛や運動制限が見られる。

【掌蹠膿疱症の原因】
原因は不明であるが、溶連菌やスーパー抗原に対する免疫応答に異常があるという報告がある。不思議なことに膿疱が無菌性であり局所感染ではないと考えられている。そのようなことから慢性扁桃炎・虫歯・歯肉炎などの病巣感染や、金属アレルギーの関連性があるとされる。(皮膚疾患診療実践ガイド 文光堂)


《発病から消滅まで》

(1)発病
 24歳(S43年、渋川時代)のころ、発病した。症状は上記のとおり「手掌・足底に多数の膿疱が両側に急に出現し、しばらくするとガサガサになる。こういった経過が寛解、増悪を繰り返す。」というものだった。同時に胸肋鎖骨骨化症も併発し鎖骨、胸骨の関節が炎症をおこし、背中全体を激痛が襲った。
 この病気は、近年女優奈美悦子が患い、激痛の様子などを公表したことにより一般にも知られるようになったが、当時は医師でさえ正確な診断が出来なかった。2年間くらいは、水虫の治療をしていた。
掌蹠膿疱症と解った後の治療は、副副腎皮質ホルモンの軟膏を手掌と足裏に塗り(この部位は皮膚が厚いので)サランラップを巻いて手袋と靴下を履いた。
 鎖骨などの関節炎症や背中全体の激痛については、原因がわからなかった。肩こりの治療していたが我慢できないときは痛み止めを飲んだ。

(2)扁桃腺摘出~膿疱の消滅
 私の扁桃腺は生まれつき質が悪かったのか、子供のころから年2回くらい高熱をひきおこした。小学校2年生のとき、群馬大学病院で摘出手術したが、いっこうによくならず、成人しても更に悪化する傾向にあった。思い切って31歳のとき再び扁桃腺摘出手術をおこなった。(前橋の田中耳鼻科医院)
 2度目の手術の結果、扁桃腺の状況が良くなったのと同時に不思議なことにぴたりと膿疱が発症しなくなったのです。
 膿疱が出なくなったが、激痛は治まらなかった。原因は相変わらず不明で、我慢が出来ないときだけ痛み止めを飲んで対処していた。

(3)病名の判明
 34歳のとき太田の並木整形外科を受診し、初めて激痛の原因は『掌蹠膿疱症に合併する胸肋鎖骨関節炎』であることが判明した。
 病名が判明したものの、効果的な治療方法が確立されていなかった。効果があるといわれるビオチンなども試したが、激痛は治まらなかった。

(4)群馬大学病院で受診~我慢する以外方法がない
 40歳のとき、掌蹠膿疱症の権威の先生がいると聞いたので群大病院の診察を受けた。その先生は、
「3つの治療方法があるが、効果は定かでない。人によって効果がない場合もある。」
「この病気で起こる激痛で、死んだ人はいない。60歳になれば骨の新陳代謝が低くなり、それに伴って痛みがでなくなる。」
「治療の効果なければ60歳まで痛さに耐えるしかない。」
と言った。
 3つの治療方法を試したが、効果がなかった。
 痛みが消えるまで我慢しようとあきらめた。

(5)激痛消滅~59歳 
  56歳ころから、激痛の頻度が少なくなり59歳ころは、ほとんど痛みの症状が出なくなり、現在に至っている。

☆この病気の痛みで仕事を休んだことは1度もない。密かな私の自己満足である。

子守日記(ついに完治)

2007年11月13日 23時44分03秒 | 子守日記
 平成19年11月13日午前10時、医師から「怪我は完全に治りました。治療もリハビリも終了です。肘がわずか伸びきらないが、後は自然に治ります。」と孫の骨折完治宣言があった。

 本年8月1日に骨折し、2回の手術を経て3ヶ月と13日間、後遺症も無く治りました。
 これも一重に皆様のお陰です。深く感謝します。

 まずは、めでたし、めでたし!

 《毎日、元気よく遊んでいます。》