何かしてます。

 無職だって退屈してません。「何か」してます。「何か」ってなんだ?

お大事に・・・・

2010年09月07日 23時47分51秒 | 病気
 長男が膝を痛めているらしい。
 仕事を休むほどではないが、医者に行ってきたと言っていた。
 
 社会人のクラブサッカーで活躍しているので、無理したのかもしれない。

 実を言うと爺も若いころの怪我の後遺症で、今も苦労している。
 20歳のころ、当時流行っていたバイク(本田ドリーム250cc)に乗っていて交通事故を起こし、右足首を骨折した。
 2~3年前に診察した野口整形外科は、「70歳ころは車椅子になるかも?・・」などと言った。

 なにはともあれ、膝や足首など関節の障害は歳をとってから出やすいことは確かである。
 ちゃんと治療して完全に治してもらいたと思っています。

ちょっと、気が利かなかったかな~

2010年09月05日 00時16分24秒 | こんにちは!赤ちゃん
 9月2日妻は外出、爺が留守番をしていました。

 そのとき長女が、2歳の孫を連れて来ました。
 孫を置いてお買い物に行きたいらしいのです。
 孫は、最初のうちは爺と留守番するといっていたが、いざママが出かけそうになると「ママと行く」と言ってきかないのです。

 結局、ママが連れて買い物に行きました。

 帰ってきた妻に、その様子を話すと、
『一緒に行って、孫の面倒を見てあげればいいのに、まったく気が利かないね。』
と叱られてしまいました。

 そうか、そうか、そういう手もあったか
 ちょっと、気が利かなかったかな~~

倒立~秘かな自慢

2010年09月04日 23時03分33秒 | 秘かな自慢
 6歳の孫が倒立のまねをしていた。

 ひとつ、じいちゃんが、見本を見せてやろうと思った。

 じいちゃんは、子供のころから倒立が得意だった。
 なぜかというと小学5年のとき、担任の島田先生が体操クラブをつくり、希望者にマット運動(前転、後回り、倒立、跳び箱など体操競技の基礎的なもの)を教えてくれました。
 20人くらいの生徒が指導を受けていましたが、そのなかでじいちゃんが一番うまかった。
 人には言ったことがありませんが、これはじいちゃんの秘かな自慢です。

 『よし!かっこいい倒立を見せてやるぞ!』

 床に両手をついて、足を蹴上げようとしたとき『ダメだ、できそうもない』と身体が悲鳴を上げたのです。どうしても足を蹴上げる動作ができないのです。
 やればコケルゾと身体が言うのです。

 自分で思っている以上に身体に弱っていることを自覚しました。
 がっかりして何だか悲しくなったものです。

 よし・・明日から体力増強に努めよう! と決心した。

大鯉

2010年09月03日 23時19分08秒 | ペット
 いつもの年なら夏ともなれば、一貫堀川を大きな鯉が必ず泳いでいました。
 ところが、今年はまったく姿を見せません。 
 いよいよ一貫堀川も汚染され鯉も住めなくなったかな・・・と思っていたところ

 9月1日午後1時46分今年初めて鯉が泳いでいるのを見つけました。
 それも、長さ50センチくらい、丸々と肥っていました。1匹だけでした。

          
○ ちょっと見ずらいですが、右端ほぼ中央に大きな鯉が写っています。
  たびたび姿を見せて貰いたいものです。楽しみに待っています。 

 我が家から一貫掘川まで約30歩で行けます。私の憩いの場所です。
 一日に何回となく川を眺めに足を運びます。
 時には、オシッコをさせてもらいます。なんとも気持ちがいいものです。
 (最近はあまりオシッコがでなくなったので、楽しみ半減です。)
                               以上9月2日草稿

追記~9月3日
 まった~
 9月3日午後1時12分 6匹の大きな鯉が泳いでいるのを発見した。

          
 携帯電話で3匹だけ撮影 

DS

2010年09月02日 12時25分54秒 | 子守日記
 孫達がDSなるゲーム機に熱中しています。

 何がそんなに面白いのか不思議に思うくらいゲームで遊びたがります。
 もちろん、遊ぶ時間などについては、親がかなり厳しく規制しているらしいのですが?

          

 つい先日までは、「じいちゃん じいちゃん」と後を追っていたのに、DSを始めれば『じいちゃん』なんか見向きもしません。

 孫達の成長に大きな喜びを感じるとともに少しの寂しさを感じる今日この頃です。

そのとおりです。恐れ入ります。

2010年09月01日 18時00分46秒 | 日々是好日
 45,6年前、高崎市内で2箇所のアパートで独身生活をしていたことがある。
 成田町の3畳一間の部屋(下記②)と末広町の古いアパート(下記③)です。

【 昭和39年(1964)3月、高崎へ赴任。当時19歳。同市で2年4ヶ月勤務した。住居は4箇所変わった。
     ①天神町のわが家
     ②3畳一間
     ③アパート
     ④石原の寮    】 
 
 先日末広町のアパートの前を通ったら、朽ち果てる寸前ながら未だ建物が残っていた。
 妻に話したところ、「そんなアパートなど私は知らない。」とそっけない返事をした。

 しばらくたってから、「そういえば末広町のアパートは私が捜してやったんだっけ!成田町の部屋も私が捜してやったんだ。」と言って思い出してくれた。
 そしてちょっとした表情の変化を見せた。

 そのとき、その表情の変化から妻の心の声が聞こえた。
 「今だって、昔だっていつも私に面倒をかけているんだから!」

 そのとおりです。恐れ入ります!