何かしてます。

 無職だって退屈してません。「何か」してます。「何か」ってなんだ?

年末のご挨拶

2010年12月31日 14時03分35秒 | 日々是好日
 私がブログを書く目的は、まずは『暇つぶし』です。
 次に離れて暮らす長男・長女に対する『連絡メモ』的な効用です。

 にもかかわらず、たくさんの方が見てくれています。

 ここ1週間の『1日平均閲覧者数 183PV』『1日平均訪問者数 78IP』
 『トータル閲覧者数 10万6153PV』『トータル訪問者数 4万4055IP』
   (アクセス・ランキング調べ)(『PV』『IP』ってなんのこと??)

 これらの皆様方に年末のご挨拶申し上げます。
  併せて「皆様に見ていただいたことが、ブログ継続の後押しになっていた。』とおもいます。ありがとうございました。来年もよろしくね・・・・・・・ 

差し入れ

2010年12月30日 23時04分48秒 | 日々是好日
          

 今朝方、小平さんが急に訪ねてきて歳末の差し入れをしてくれました。
 立派な下仁田ネギをたくさんいただきました。
 「奥さんが作ったんだろう?」と問うと「馬鹿いうな!俺が作ったんだよ。特別うまいぞ」と答えました。ほんとかね??

 写真の白菜は、長女の婚家(こんか)からのいただき物です。このほかお餅や大根、卵などもありました。

 夕方お隣の高橋さんが、あんぴん餅と大根を持ってきてくれました。
 下仁田ネギ2本をお返ししました。

 そういえば今年は、空井菜園からお招きがなかった。
 夏の暑さで不作だったのかな?・・・・・・

壁に耳有り障子に目有り

2010年12月30日 14時53分08秒 | 日々是好日
 我が家には昔、『妻』が経営していたパーマ屋さんの店舗がある。
 座敷等にリフォームしようという話が出たこともあったが、『私の遊び場』として残してもらった。

 先日(12月28日)の夜、お風呂から上がってこの遊び場で裸のままアイスクリームを食べていた。
 風呂上り、暖房の効いた部屋で、裸のまま、妻に隠れて(医師の節水命令がでている)食べるアイスクリームはなんともいえない!

 そのとき、「じいしゃん、おじいちゃん」と子供の大声が聞こえる。
 孫でも来たかなと思って外へ出てみると、なんとお隣の子供(小1と3歳)が二階の窓からこちらを見てキャキャと騒いでいる。
 「じいちゃんが裸でアイスを食べてる!!」と大笑い

 歳末の大掃除のためブラインドを開けたままになった窓から丸見えだったのだ。
 まいった!まいった!

2010年私の10大ニュース

2010年12月27日 16時21分02秒 | 日々是好日
1 大穴スキー場で雪遊び
  1月24日、孫達と雪遊びに行ってきた。楽しかった!

2 妻長期体調不良 
  1月下旬から妻の体調が崩れた。完治まで4ヶ月くらい。
  私の入院も重なり、体調不良のなか苦労をかけました。

3 心筋梗塞
  4月18日からまる45日間入院して、6月1日に退院した。
  お蔭様でどうにか無事に生きています。

4 長女、次男を出産
  5月27日私は、右冠動脈ステント留置手術を受けたあと、疲れて寝ていた。
  目覚めて受信メールを確認したら、なんと長女の次男誕生の知らせが入っていました。
  手術の苦しさも忘れました。もう入院なんかしていられねえ!
  はやく会いに行かなくちゃ。

5 海水浴
  7月25日(日)、海水浴に出かけました。
  一号車をりゅう君(甥)が運転し、ばあちゃん(妻)としゅん君(孫)とゆう君(孫)が乗りました。
  二号車をとも君(甥)が運転し、じいちゃん(私)とはやと(孫)とりん(孫)が乗りました。
 
6 飲み食い放題会の開催
  義弟が亡くなって以来開催されなかった『飲み・食い放題会』が12月18日復活しました。甥たちの仕事がうまくいっている証拠と思いうれしかった。

7 筑縄ばあちゃん大腿骨骨折・入院
  10月13日に負傷し翌日入院して、大腿部骨折と判明した。18日には手術しなければならない。2ヶ月以上の入院予定らしい。
  ~12月26日快気祝いが届きました。

8 奈良旅行 
  12月6,7,8日に妻と兄弟たちが参加した。
  私は透析治療があるため、あきらめた。

9 透析治療1年間継続
  昨年12月22日透析開始、以後週3回一年間継続実施

10 長男禁煙3ヶ月
  増税に伴い10月1日から、長男が喫煙を開始した。
  開始してからすでに3ヶ月、禁煙継続中です。
  さらに頑張ってもらいたい。

透析記念日~写真追加

2010年12月26日 11時51分04秒 | 腎不全闘病日記
 昨年12月中ごろから、体調が悪くいよいよ透析が必要な身体になってしまいました。
 同月21日に透析を開始するために入院し、翌22日始めての透析を実施しました。
 
 それから、雨の日も風の日も心筋梗塞で入院中も週3回の透析を継続し1年たったわけです。
 透析は延命治療です。やらなければ死んでしまうそうです。
 先日、透析を拒否して亡くなっていった女性のドキュメントを観ました。感無量でした。
 
 私自身は、延命治療をしているとは言え、まだまだ毎日が楽しく充実しています。
 まあ、気楽に頑張りましょう・・・

          
           追加写真(12月26日)
 これは『ダイアライザー(人工腎臓)』です。
 体内から抜かれた私の血液すべてが、管を通ってこの人工腎臓のなかに浸透します。その際、老廃物や水分が除去され再び体内に戻されます。
 かくして私の命が永らえているわけです。    

榛名山雪景色

2010年12月26日 10時46分33秒 | お散歩
 昨日(12月25日)午前中、お隣のお兄さんが「榛名湖できれいなイルミネーションをやっている。行きたいけどノーマルタイヤだからいけない。』と言っていました。
 私は、先日古くなったスタッドレスタイヤを新品に買い替えてノーマルと付け替えていたので「よし!それなら代わりに俺がイルミネーションを見に行こう。」と思いました。

 午後一人で出発し、明るいうちに榛名湖畔に着きました。
 すこし雪が舞っていました。
 驚いたことに、この寒いのに見物人がいっぱい来ています。強制的にイルミネーションからかなり離れた駐車場に誘導されました。
 誰かがマイナス5度と言っています。

 かなり歩かなくてはならないし、寒いし、帰りの雪道が心配だし、総合的に検討して『心臓に悪影響を及ぼしかねない』と思ったのでイルミネーション見物はあきらめ、雪景色だけを見て帰ってきました。  

          

私が登った群馬の山37(№57 私だけのパワースポットⅡ)

2010年12月25日 23時48分39秒 | 群馬の山
 榛名山の中腹にある榛名神社が、金運上昇パワースポットとして有名で参拝が急増しているといううわさを聞きました。
 それはそれで結構ですが、榛名山には『私だけのパワースポット』が別にあります。
 それは、相馬岳山頂です。山頂には黒髪神社の奥殿社があり、相馬様、天神様、毘沙門天などの石仏があります。

 あるとき山つつじが満開のころ、一人で相馬岳に登りました。

          

 山頂の社で休んでいると、忽然と一人の山伏が現れたのです。
 『これから祈願をするが、ここで会ったのも何かの縁、ついでにあなたの祈願もしてあげましょう!』とかなんとか言ってくれたので氏名・住所を告げ家内安全を祈願してもらいました。

          

 以来、相馬岳が私のパワースポットになったのです。

          
           相馬岳(本日午後5時ころ、榛名湖畔から撮影)

私が登った群馬の山37(№56 独りで歩いた尾瀬)

2010年12月20日 13時21分57秒 | 群馬の山
          
 
 45歳?ころから独りで尾瀬に行くようになった
 合計すれば10回くらいは行っているかも
 この写真のときの独り尾瀬ヶ原歩きは、「ヘリコプターが飛んでいた尾瀬ヶ原」として記憶に深い。

          

 これを撮ったのは誰だったのか?やはり妻が一緒だったのかもしれない。
 (しかしアルバムには、妻のものが一枚もない?)


          

 この岩は、鳩待峠と山ノ鼻のほぼ中間あたりの木道沿いにある岩です。
 体調が戻りつつある今日このごろ、ちょっとした夢が生まれました。
 『もう一度この岩の脇の木道を歩いてみたい。できたら孫たちと一緒に!』

復活!飲み・食い放題会

2010年12月19日 15時53分32秒 | 日々是好日
 かって毎年のように、鉄工所を経営する義弟が主催して『飲み・食い放題会』が開催されていた。
 この会は、近い身内の家族全員を招待して割烹『弥助』において『お刺身』や『てんぷら』冬なら鍋を加えるなど、まず基本的な料理をテーブルの上に置いて宴会を始めます。
 後は『金に糸目はつけず』に自由に個人の好みで飲み物(子供はジュース、大人はアルコール)・酒の肴・お好みの一品料理・お食事・デザートを注文して『嫌という程』飲み食いします。
 サラリーマンで毎日ぎりぎりの生活を営む私どもにとっては、こんな贅沢な宴会をさせていただきそれは、それはうれしい限りでした。

 こんな楽しい会合も3年前(2007年5月30日)に義弟が病死してから、開催されることがありませんでした。

 ところが『なんとうれしいこと』に、義弟の後をついで社長になった甥の主催で
12月18日『飲み・食い放題会』が復活したのです。

 私ども夫婦・長男家族4人・長女の家族4人
 亡き義弟の妻・次男家族4人そして三男プラス主催者の長男 
合計17人が参加して、それはそれは楽しい時間を過ごしました。
 
 もちろん飲んだり、食べたりは、この上なくうれしいものです。
 それと同時に、みんなが集まって楽しく過ごす時間がもてたこともうれしいことでした。
 そして、『親父の後を継いだ甥達が、しっかり仕事をしている』ことが実感でき、なによりもうれしく感じたものです。

 さて、こんな感じで楽しい宴会もお開きになりましたが、なんと
  私ども長男と長女の婿さんが示し合わせて
 ネオン街に消えてゆきました。
  海老蔵みたいにならねばよいが?と心配の種はつきません。

一番美しかったころ

2010年12月19日 08時22分29秒 | 学生時代
 アルバムをざーと見て、このころが私の『一番美しかったころ?』かもしれないと思いました。

          

 病を抱え、ジジイになってシミだらけになった現在の私とは似ても似つかない美しい十代でしょう?



 このころ、詳しいことは覚えていませんが弟と赤城山地蔵岳に登った写真が残っています。
          

 今は、両親が逝き、姉も兄も亡くなり『この弟』と仲良くやっています。