悩んでいます

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
現在の悩み、心のうち

気配り

2018-04-18 19:31:38 | 日記
昨日、『超一流の「気配り」』という本を読んだ。

気配りはやったもの勝ち。
気配りは相手にあなたの気持ちが伝わればそれでOK。
しかし、誰に対しても同じ気配りをすることを心がけよう。
と言ったような内容だった。

でも気配りをすると疲れてしまうのじゃないか・・・という意見も聞こえてきそうだ。

筆者は、疲れない「気配り」のコツとして【自分を大事にする】ということをあげている。
何故かというと、自分を大事にすれば、
「気配り」をされた時の気持ちが分かるようになるからだという。

自分の心の声を聴いて、自分の心や身体が喜ぶようなことをする。
これを習慣にしていれば
「自分がされて嬉しいこと」が分かってくるので
それを他人にもしてあげられるようになるという。

けれども、自分では気配りをしているつもりでも
相手が喜んでくれるとばかりは言えないはず。
人によってはいったい何なの?と思われるだけで
自分が気配りをしていることに気付いてもらえないこともあるだろう。

だのに、この本では
「相手のためになること」を一生懸命に考えることを勧めている。
「他人とは分かり合えないのが自然だと受け止め、
 どうすれば相手が喜んでくれるかを一生懸命考えることこそ
 意味があるのではないか。」
と言っている。

そしてそんな「気配り」は老若男女、全世界共通で人の心に届くものだというのだ。

そこで私は考えた。
自分は【自分を大事にする】ということが出来ているか?
自分がされて嬉しいことを、他人にもしているか?
どうすれば相手が喜んでくれるだろうかと考えているだろうか?
一生懸命に考えているだろうか?

例えばエレベーターに乗ろうとしている時、
自分の後から乗ろうとやってきている人がいることに気付いた場合は
【オープン】のボタンを押してその人が乗るのを待つ、
そして降りるときにも【オープン】ボタンを押して
「どうぞ!」と声をかけて先に降りていくのを待つ。

こんなことであれば、私もできている。
いわばささやかな気遣いでしかない。
気配りと言えるかどうか???

相手がもしも間違ったことを言っている時
一緒にその答えを探すふりをするというのも気配りだということも書いてあったが
なかなかそううまくできないだろうというのが正直なところだ。

「それって、○○なんじゃなかった?」な~~んて私なら言いそうだ。
そう言ったら相手はガックリくるかもしれないなんて
きっとその時には思わないんだろうな、この私は。

間違いを指摘されたら、自分なら嫌だろうに・・・。

それから「誰に対しても同じように気配りをする」というのも難しいような気がする。

自分は小さい人間でしかないのか??
分かっていたけどやはりそうかと実感するのは情けない。

気配りのできる人間になれるように
もう少し自分を成長させたいと思うばかり。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする