つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

『「被災地より政局」の小沢一郎の1年』・・・

2012-03-21 | いい話ですね

 消費税増税関連法案の23日の閣議決定は絶望的な情勢で、執行部の一部からは4月以降に先送りする声も出始めたという。小沢グループや周辺の反対派は、増税法案の処理が解散・総選挙に行き着きかねないという不安があるからだというが、それだけで議論を遅らせるというのはもってのほかである。
 
ある情報サイトに「落ちそうな時に選挙をしてほしくない、一日でも長く議員バッジを付けていたいというのは、議員として当然の心理である。とりわけ、民主党は野党から与党になり、政権のうまみ、政権党だからマスコミから脚光を浴び、霞が関官僚からもちやほやされる喜びを知ってしまった。」とあった。まことに的確な表現だなとおかしかった。が、有頂天になって政治家としての本分を怠って、自己の保身ばかり考えている者に政治家の資格はない。
 
また、同サイトには「民主党議員がいかに解散を恐れようとも、解散がないとは言い切れない。消費増税法案が5月にも特別委員会での採決を経て衆院本会議に上程された時、小沢系の議員が大挙して反対票を投じるなら法案は否決され、野田首相が衆院解散に踏み切る可能性がある。また、自民党が消費増税法案に賛成する見返りに、野田が解散を約束することも考えられる。」とあった。
 
今でもこれだけモタモタしているのに、これで小沢氏が無罪となって復権したら、よりややこしくなるのは目に見えている。また、野党は小沢氏の説明責任を問うとしており、「政治とカネ」問題が再燃するだろう。こんなことの繰り返しでいいのだろうか。それならもう、いっそのこと解散・総選挙でガラガラポンしたらどうだろう。総選挙が早かろうが遅かろうが、国民はもう民主党に政権を委ねようとは思わないだろうから…。

 
話は変わって、19日、政治資金規正法違反で強制起訴された小沢氏裁判の審理が全て終了した。判決言い渡しの期日は4月26日、双方とも決め手となる証拠に欠けるといわれる。小沢氏は「全て秘書の一存で……」と自身の関与を否定したが、この主張を裁判所がどう判断するかだろう。私的には、あれだけの大金が動きながら全く知らないとは絶対にありえないと思っている。  
 
19日の「日経ビジネス」に『「被災地より政局」の小沢一郎の1年』という記事があった。副題は「岩手選出2議員に見る“政治家”と“政治屋”の分岐点」で、同じ岩手県選出の平野達男復興相と小沢一郎民主党元代表の政治家の本性の違いを挙げている。詳しくは記事を読んでいただくとして、これまで私が小沢氏に感じていた諸々の思いを代弁してくれているように思えスカッとした。その箇所を本文より抜粋した。  

 ―前略―。一方、政界の実力者と称されてきた小沢氏のこの1年はどうだったのか。一言で言えば、「被災地より自分の裁判と延命」に心を砕いてきたのは間違いない。
 
実は、小沢氏が震災後、公に岩手入りしたのは3回だけだ。しかも、そのうちの1回は県庁での達増拓也知事との会談。被災地の沿岸部の一部は中選挙区時代に小沢氏の選挙区だったにも関わらず、震災後、初めてかの地に足を運んだのは、今年の正月のことだ。
 
被災地入りをほとんどしていないことに関し、小沢氏は朝日新聞とのインタビューで、「それは本質的な問題ではない。情緒論だ。まず復興予算を手当てするのが僕の役割だ。現に知事はしょっちゅう来て、話をしている」と語っている。
 
しかし、この発言を見たり、聞いたりした地元関係者からは「故郷を思うなら、飛んできてほしかった」「国民の生活が第一、というのは口だけか」といった失望や怒りの声が続々とあがっている。
 こうした指摘に対し、小沢氏の周辺は「警護の問題などもあり、地元に遠慮してあえて現地入りを避けてきた」と小沢氏を擁護する。しかし、民主党のある幹部は「陳情されてもあまり対応できないことが明らかになり、“神話”が崩壊するのを避けたかったのだろう」との見方を披瀝する。
 
この指摘は、正鵠を得ているかもしれない。小沢氏は昨年1月に政治資金規正法違反の罪で検察審査会に強制起訴され、党員資格停止処分を受けた身。民主党内で最大のグループを率いているとはいえ、小沢氏の影響力をかなり排除した野田政権では、予算編成作業に関与できる余地が乏しかったのは間違いない。
 
まして、ゼネコン(総合建設会社)との関係が自身の裁判の焦点の1つになっている最中に、地元の予算配分や工事の発注に“天の声”を下すことなど困難だろう。「現地入りしたくともできなかった」面もあったはず。そんな見方が政界では広がっている。
 
 
自分の関心は天下国家――。法廷での陳述も含め、小沢氏はこう語る。その言葉と、毎晩のように自らの支持グループ議員と会合を開き、政権批判を繰り返す小沢氏の姿との間に埋めがたいギャップを感じるのは筆者だけではあるまい。
 
そんな時間があるなら、少しでも被災地に寄り添ってはどうか。最大の問題は、こんな被災地の不満を一蹴できるだけの国家像や具体的な施策を本当に小沢氏が持ち得ているのか、疑わしいことだ。
 政策は権力奪還のための道具に過ぎない。小沢氏のそんな姿勢が色濃く反映されているのが、経済政策だ。1993年に上梓した「日本改造計画」では規制緩和や市場開放などの構造改革路線を訴えた。しかし、小泉純一郎・元首相にお株を奪われたとみるや一転して農家への戸別所得補償制度を打ち出すなど、構造改革路線と一線を画した。
 
財源問題で行き詰まったマニフェスト(政権公約)の見直しや消費増税には明確に反対する。しかし、かつて民主党代表時に、自民党の福田康夫首相(当時)と大連立を画策した狙いの1つが消費増税の実現だったことは、知る人ぞ知る事実だ。さらに言えば、小沢氏が強調するように、予算の組み替えや国有財産の証券化などで本当に必要な財源はねん出できるのだろうか。
 
4月末の自身の判決を控え、小沢氏の最大の関心が「衆院解散・総選挙の阻止」にあることは衆目の一致するところだ。党員資格停止処分中で身動きが取りにくいうえ、選挙基盤の弱い支持グループの大半が落選する事態となれば、小沢氏の力の源泉である「数」を失いかねないためだ。
 
自分が拳を振り上げるほど、民主党内が揉めている様子が世間に伝わり、内閣支持率が低下する。それは自分を追いやった政権の瓦解につながる――。政権批判を繰り広げる小沢氏の行動には、こうした思惑が透けて見える。
 
しかし、それが、天下国家を論じる“大物”政治家の振る舞いだというのは、あまりに寂しい。「数の力を頼みとする古い政治屋の振る舞いそのものだ。こういう政治を変えることが政権交代の目的の1つだったのに」。民主党のある大臣経験者はため息交じりに話す。
 
既に触れたように、「小沢王国」の足元でも不満のマグマがたまっている。「地元がこんな窮状だからこそ、小沢さんには自分の口で、県民への励ましと、自分が復興の先頭に立つ、というメッセージを発してほしかった」。小沢氏を支持してきた岩手県のある首長はこう漏らす。
 
言葉の力で人々を奮い立たせる。それも政治家の重要な役割であることは論を待たない。それを果たそうとしない小沢氏がいくらあるべき国家観や政治家像を語っても、説得力を持たないのは当然だろう。―後略―。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 最近、掃除がおっくうに・・・ | トップ | かわいい2歳児の踊り・・・ »

コメントを投稿

いい話ですね」カテゴリの最新記事