参院選の公約では、自民党を除く各党が「原発ゼロ」を掲げている。が、選挙のため、耳に聞こえの良い「原発ゼロ」を叫んではいるが、各党とも有効なエネルギー対策を示せないでいるのが実情である。まあ、それもそうだろう。電力を安く、安定的に確保するエネルギー政策への転換が容易でないことは政治家にも分かっており、福島原発事故から2年余を経てもなお、原発政策に対する方向性がはっきり見えないということは、いかに「原発ゼロ」が難しいかということだろう。
わが購読紙に『自然エネルギーへ転換図れ』と題した投稿があった。要約すると、【今こそ、経済よりも命を優先し、世界に誇れる安全・安心な自然エネルギーに転換するときである。まず原発を停止し、当面は現在の火力、水力発電などを利用しながら、太陽光、風力、地熱、バイオマスなどの多様な、それぞれの地域に即したエネルギー・電力産業に転換を図るべきだ】という意見である。
至極ごもっとも、誰もが願っている理想的なエネルギー政策である。が、太陽光は雨や曇りの日はダメ、風力もいつも強い風が吹くとは限らない―というように、自然が相手ではどんなに日本の技術力、英知を結集しても安定的な電力の確保は難しいだろう。
次世代を担う子どもたちの安全を考えれば「原発ゼロ」が望ましいに違いない。だが、日本経済の再生には安定的な電力の供給は不可欠という意見も無視できないと思う。日本経済がお先真っ暗では、子どもたちの未来のためにしてやれることも限られてくる。
現在、電力供給のために老朽化した火力発電所まで酷使しているそうだが、原発を代替する火力発電所の追加燃料費は4兆円近くにのぼるという。このコスト増が利用者に転嫁されるのは誰もが知っていることで、すでに東電、関電、九州電力の3社が値上げに踏み切り、北海道など3電力も申請中である。もし「再稼動ゼロ」となると電気代は50%増になると、電気料金審査専門委員会の安念潤司委員長は言っている。
また、「原発ゼロ」で廃炉するにしても30年以上もの年月と膨大な廃炉費用が必要である。各電力会社にはこのための積立金の準備はできていないという。再稼動するにしても廃炉にするにしても、最終的に国民も負担を強いられるのは間違いないが、「原発ゼロ」になった場合、電気料金は今の2倍に跳ね上がるだろうという専門家もいる。
気象予報士の森田さんが「日本はすでに“千年猛暑”の時代に入っている」と指摘した。連日の猛暑・酷暑は、今のところ異常気象と言われているが、この現象が異常ではなくなり通常の気象となったら、電力使用量は跳ね上がり、一般家庭の節電だけではとても追いつかないだろう。どこまでも上がる電気料金、命を落としかねない猛暑にあえぎながら、それでも「原発ゼロ」を言い続けられるだろうか、気持ちは複雑である。
考えてみれば、今、怖いのは原発だけではない。中国の大気汚染による健康被害も怖い。鳥インフルエンザウイルスの猛威にもビクビクし、地球温暖化による感染症の増加も心配である。そして、日本の近隣には中国・ロシア・インド・北朝鮮など核保有国だらけ。北朝鮮の狂気じみたバカボンは何を考えているやら、弾道ミサイル発射も核実験の放射能漏れも怖い。こんなことをいうと叱られそうだが、いつ起きるか分からない原発事故より、今、現実に起きていることの方がよほど怖い。
「より安全にして、これ以上は増やさない」。期限付きで
原発を減らしていく
これしかないかなぁ・・。エアコンつけてTVみて、冷た~く冷やした物を食べて本気で心配しているのか?と叱られそうですが
自民党以外は「原発ゼロ」、いかにも選挙ありきの発言のように思えます。現実に目を向ければ不可能に近いと分かっているだろうに、自民党と反対のことを言えば票が取れると思っているのでしょうか。
社会保障は手厚くせよ、でも消費増税は反対。電気料金の値上げ反対、でも原発もダメ。何かを得れば何かを失う、これが世の中というものではないかと…。
国民に迎合して票を得んがために甘い事をいう政治家、それを信じる国民、どちらが悪いのでしょうか。
より安全を重視し、動かせる原発は動かしながら、一方で代替エネルギーに本気で取り組む。そして最終的には「原発ゼロ」。それしかないように思いますね。