今日は快晴、雲一つない空に真っ赤な太陽が顔をだした。
山桜が満開、きれいだなあ!
英劇作家バーナード・ショーは言ったそうだ。「年をとったから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなるから老いるのだ」と。なるほど、そうかもしれない。が、一般的に加齢とともに心身ともにスタミナが減って、何をするにも億劫になる。また我慢や堪えることができなくなって、他人との付き合いも難しくなってくる。
若い時の友人とは旅行したり、ショッピングしたり、遊んでいて楽しい人がいい。が、年取ってからの友人とは空いた時間を埋める気晴らしのような関係がいい。
私は昔から好き嫌いが激しく、嫌いとなると顔を見るのもイヤという質だった。が、社会に出るとそうは行かず、腹の中ではイヤと思っても顔には出さない。狐とタヌキの化かし合いみたいだが、そんな腹芸もできるようになった。
今、私には3人の友人がいる。1人は40年来の大親友、身内以上に私のすべてを知っている大切な人。彼女はとても穏やかな性格で、自己ちゅうでわがままな私に合わせてくれる奇特な人である。いつも彼女が一歩引いてくれるからこれまで一度もケンカしたことがない。あとの2人とは15年くらいか、気が置けない友人で、みんな車の運転ができるので、私は何かとお世話になっている。
国内外のツアー旅はいつも親友と一緒だった。「以心伝心」といおうか、いちいち何も言わなくても分かり合えるから気楽だ。15年くらい前になるか、一度だけ彼女以外の人とイタリアのツアーに参加した。が、どっちも自己ちゅうでわがまま、1週間も一緒にいると不快な気分になることが多かった。やはり旅行は親友とでないとダメだと思った。
このマンションに越してきたとき、マンションの住人や近所の人から老人会やいろいろな集まりに誘われたが、老人会へは会費だけで勘弁してもらい、あとはすべてお断りした。無理して地域のコミュニティに参加しても、気を使うだけで楽しくもなんともない。老人が集まると、話題といえば嫁や孫の話、他人のうわさ話や陰口と決まっている。そんなどうでもいいお付き合いに出るのはまっぴら。昔から「馬には乗ってみよ 人には添うてみよ」というが、乗ってみて落馬することの方が多い。
マンションの住人とも近所の人とも、出会えば挨拶はするし、立ち話くらいはする。が、就活とともに人間関係も就活して、「老後に友人は必要ない」。その代わり、勝手なときだけ人を当てにはできない。私に何があっても誰にも頼れない、そう覚悟している。
手本に出来るような友人、心から尊敬できる親友と付き合うことをモットーにして
50年以上1番長い幼馴染とは70年以上
よくまあ飽きもせずつかず離れずで
言いたい事言う仲、とても恵まれていると感謝の日々、そろそろ「私より早く逝くな」とみんなに声明❓を出さねばね。
この頃、同年齢の知人の訃報や認知症になったとか、そういったことを耳にすることが多くなって、心穏やかではいられなくなります。が、どうしたって寿命だけは変えられないなら、親友たちの訃報だけは聞きたくないから、一足お先に逝けるよう祈ってます。
一人でも心許せる友がいればそれで充分ですね。
友人、親友は数人いればいいくらいだと、美輪明宏さんが本でそうおっしゃっていました。
友人が多い=幸せという価値観がいまいちわからないですね。
何のプラスにもならない友人なんていない方がいい。真の友達にはなかなか出会えません。が、長い時間一緒にいても飽かない人ならいい友達になれるでしょうね。ストレスを感じる人間関係は整理しましょう。