いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

ピエール・アンタイ氏 チェンバロリサイタル

2012年11月22日 | ピアノ・音楽

 それは夏のことだった、ドメニコ・スカルラッティの曲、そして演奏に非常に印象が強かったものがあって、その演奏者はピエール・アンタイ氏というチェンバリストだということを知ったのは。(参考リンク)そのときから、ぜひ彼の生演奏を聴いてみたいと思っていた。もっと前にあった武蔵野市文化ホールはすでに席が埋まり、今年はあきらめようと思っていた矢先に浜離宮でリサイタルがあるということを知って本演奏会に申し込んだ。

 会場にはぎりぎりに駆け込んだ。舞台中央には外は暗い色中は赤のチェンバロが置いてあった。ピアノの演奏会で行くことが多い浜離宮だが今回舞台中央に置いてあるのはチェンバロ。静かで優くて包み込まれるような雰囲気を感じた。

 演奏曲目は以下の通り。

ヘンデル作曲 組曲ニ短調「忠実な羊飼い」より

          Ouvertune

                    Allemande

                    Courante

                    Sinfonia

                    Gigue

         組曲第1番 イ長調HWV426

          Prelude

                    Allemande

                    Courante

                    Gigue

          組曲第2番 

          Adagio

          Allegro

          Adagio

          Allegro

休憩

バッハ作曲 ゴルドベルグ変奏曲ト長調 BWV988 全曲

          Aria with 30 Variations

アンコール 

バッハ作曲 イギリス組曲第2番 

          Prelude

 アンタイ氏が弾き始めた瞬間、チェンバロの周りに小花が次々と開きはじめた。近くにはマイクが置いてあった。ピアノのように流れるのではなく、一枚一枚花弁が開き、しばらく咲いたまま、それから散る、そういうような感じだった。チェンバロの鍵盤近くから小花が上へ上へと登って行き、花弁が開き、しばらく咲いたままでいる、というような感覚は、ちょっとピアノでは味わえないような気がする。目に見えるわけではないのに、視覚的な華やかさを感じた。花の色は白やピンク。バロック時代の花の絵画に出てきそうな花。そして香り、チェンバロの周辺から花の香りもしてきた。なんということだろう、チェンバロの音を生で聴いたのは1年ぶりだったが、ここまでとろけそうな気持ちになるとは。

 チェンバロは2段鍵盤だったに違いない。即座に調整しながら単音、重音を使い分けており、表情豊かで遠近感のある立体的な演奏が繰り広げられていた。ヘンデルの組曲はまともに聴いたことがなかったのだが、生命力と躍動感があって、胸がすいた。かっこよかった。これからはもっとヘンデルも聴こうと思った、同時代のバッハはたくさん聴いているのにこれではあまりにも気の毒だ。レース編みのような装飾音から扇を何枚も何枚も重ねたような華麗なものまで華麗な装飾音まで多くの装飾音が登場していた。非常に速くて細かい音がたくさん。ピアノで装飾音で苦しんでいる私としては、楽器が違っていても、あのような装飾音を一度に出せるというのは驚異。鍵盤はピアノよりも軽いため、ピアノで出すよりは出しやすいとはいえ、やはりそこは名人技だと感じた。これを超絶技巧というのだとしたら、まさに超絶技巧そのものだった。強弱も十分にあったと思う。脱力奏法はしていたのだろうか。タッチを曲の場面によって変えていたのだろう、ねっとりした音からきらきらとした音まで、手触りや色彩が多様な音が聴こえた。彼の持っているパレットはそれはそれはカラフルなのだろうな。楽しくてたまらない演奏のように思えた。

 そして後半ゴルドベルグ。グールドの演奏で途中で止めたりしながらぼちぼちと聴いていたこの曲を生演奏で全曲、しかもチェンバロで聴くのは夢のような話であった。はじめのゆったりとしたアリアでたちまちバッハの世界に連れていかれた。バッハの弟子であるヨハン・ゴットリープ・ゴルドベルグが不眠症に悩むカイザーリンク伯爵を慰められるように書いたと言われるだけあって、かなり長い曲でありながらも変化に満ちていて全く退屈することがなかった。後半あたりの変奏で、手を非常に速く上げ下げしていて弾いているというよりもただ手をひらひらさせているように見えたところや、手の交差が急速なためばたばたと泳いでいるように見えたところもあったのだが、鍵盤は確実に音楽を鳴らしていたのには舌を巻いた。まるで職人芸だと思った。パレットも多く、感情表現も豊かだった。歌い込んで盛り上がっていた。チェンバロ奏者の生演奏をたくさん聴いているわけではないので多くのことは言えないが、彼の音楽に込められた思いが演奏全体からあふれんばかりに伝わってきた。本当にすごいものを聴かせてもらったと思う。

 アンコール。華麗な分散和音らしきものが聴こえてきた。ヘンデル、バッハときたし、彼の演奏と出会うきっかけでもあったスカルラッティの演奏を期待していたが、分散和音の後に聴こえてきたのは、比較的聴きなれた音楽だった。バッハ作曲のイギリス組曲第2番プレリュード。大好きな曲でグールドの演奏で飽きるほど聴いていたことがあった。しかし最近あまり聴いていなかったのもあっただろうか、こみ上げるものがあってたまらない気持ちになった。久しぶりに聴くイギリス組曲第2番のプレリュードがアンタイ氏のチェンバロだったなんて素敵すぎる。。その後も割れんばかりに拍手して、スカルラッティの登場を期待したのだが、イギリス組曲で今日のすべてを出されてしまったのか、おねんねのポーズでお開き。残念。

 とはいえ、やはり今日はすごいものを聴いたという印象が強かった。とてもいい演奏会だった。会場で出会った方とも盛り上がり楽しいひと時を過ごせた。持っているスカルラッティのCDにサインもいただいた。そして今も彼のチェンバロの暖かい音が頭をかけめぐっている。夢のようなひとときだった。