いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

羊たちは安らかに草を食み

2011年04月09日 | ピアノ・音楽
 河村尚子さんのリサイタルで久しぶりに聴いた、バッハ作曲ペトリ編曲の「羊たちは安らかに草を食み」。感激しました。大好きな曲でありながら最近ご無沙汰していた曲を、あんなに素敵な生演奏、しかもアンコールで聴けたので。プログラムに入っていなくても聴けた、というのがうれしい偶然でした。初生演奏が彼女の演奏だったのもうれしかったです。
 はじめてこの曲に出会ったのはカツァリスのCDででした。最後に入っていたこの曲が一番好きで、何度も何度も聴いていました。なんとやさしくて包み込むような曲なんでしょう。しかし大変うかつなことに、いろいろあってこのCDは実家に置いてきてしまい、行方も分からなくなってしまいました。(持ってこれなかった特にお気に入りのCDが他にも数枚あります・・アホですね)だから聴く機会もなかったのです。そう思ったら本当にラッキーでした!
 そして仮○○吾さんをお見かけしたのもうれしいパプニングでした。彼に初めて会ったのは広島のデパートでの展示会でした。大胆で派手で、生ける花も華やかそのものの方だと思っていたのですが、もともとは内気で美しいものに心惹かれる少年であったこと、お花ばかりではなく音楽も好きでピアノもたしなむという話を買った本で知りました。サインももらったなあ。しかしその本も持ってこなかったため、気持ちとしてもちょっとご無沙汰していましたが、お見かけしたためによみがえってきました。
 まったく一方的な私の思いなのですがどちらも河村さんが引きあわせてくださったんだと思っています(笑)そういう点でも感謝しています。

 あの「羊たちは安らかに草を食み」の演奏があったのでyoutubeをアップします。残念ながら河村さんの演奏ではないのですが、いい演奏があったので。

Schafe können sicher weiden 演奏:レオン・フライシャー(Leon Fleisher)
 

えへへ

2011年04月09日 | 日記
 昨日は仕事、締切間近の書類をえいやってつくりました。土壇場になると人って頑張れるものですね。しかしプログラミングのほうは取り掛かっている人たちの話を聞くと面白そうな点もありそうなものの生半可ではないとのこと。ぼちぼちやっていこうと思っています。しかしこの時勢、電気がないとあきらかに出来ないことに関わっている点で後ろめたさを感じるべきかしら、という気もしているんですよ。でもそうしないとやっていけない現状なのですが。

 先日アップしていた音源、削除しました。もともと恥ずかしかったのですが、河村さんの演奏を聴いたあと自分の演奏を聴いてますます恥ずかしくなりまして(汗)。彼女の演奏を対象にすること自体おこがましい話でもあるのですが。でもあきらめずに心がけていれば私も少しは変われるかな。積み重ねが大切だと思うので、こつこつがんばっていこうと思います。

河村尚子 ピアノリサイタル リストへの旅 生誕200年に寄せて

2011年04月07日 | ピアノ・音楽
 今日は河村尚子さんのピアノリサイタルに行ってきました。非常に上手な方、という噂はちらほらきいており、録画を見せていただいたりもして、ぜひ生演奏を聴きに行きたい、と思っていました。プログラムは以下のとおりです。


J.S.バッハ作曲ブゾーニ編曲 コラール前奏曲「主イエス・キリスト、われ汝を呼ぶ」BWV639
J.S.バッハ作曲ブゾーニ編曲  シャコンヌ
R.シュトラウス作曲  5つの小品 op.3

 休憩

ワーグナー作曲リスト編曲 イゾルデの愛と死
シューベルト作曲リスト編曲 糸を紡ぐグレートヒェン
シューベルト作曲リスト編曲 「美しい水車小屋の娘」より 「水車屋と小川」
シューマン作曲リスト編曲  献呈
リスト作曲 「愛の夢」 第3番
リスト作曲 「巡礼の年 第2年 イタリア」 より 「ダンテを読んで」

アンコール J.S.バッハ作曲ペトリ編曲「羊たちは安らかに草を食み」BWV.208-9

 平日の夜でしたが会場にはたくさんの人がいました。周囲の人たちの会話から、音楽に通じているような方が多かったような気がします。ピアノ仲間のTさん、Nさんも来られていました。華道家の仮○崎○吾さんも来られていました。
 ステージに現れた彼女はかなり大柄な方だったような気がします。祈るような最初の神聖なコラールから惹きこまれました。そんなに前へ前へと主張する感じでもないのにしっかりと思いがつたわってくる感じでした。シャコンヌで世界はぐんと外向きに広がりました。私の席は一番後ろだったのですが、弱音もしっかりと届いていました。しかも弱いところはしっかりと弱く幅の広い音でした。彼女の音には強弱だけではなくて遠近、柔軟、寒暖、いろいろなパレットがあるように思えました。とくに遠近のパレットの存在が印象的に思えました。そのために立体的な演奏になっていたような気がします。R.シュトラウスの5つの小品は彼が16歳のときに作った曲で、父親の教育の影響かシューマンやメンデルスゾーンのような雰囲気の曲です。確かに最初の曲はシューマンの曲ではないか、と思えました。無言歌にも近い曲がありました。全体的に可憐な感じの曲でしたが、しっかりと磨きがかかっていて歌いこまれていて素敵でした。

 後半は今年記念年のリスト作曲編曲の曲が登場。前半は編曲物でした。リストが編曲したのだから難しいはずなのですが、そのようには思えないぐらい弾きこまれていました、いや歌いこまれていました。メロディーラインが出ている、というだけのものではなかったような気が。間のとりかたもフレーズの作り方もぴったりと腑に落ちる感じ。シューベルト原曲の二曲は初めて聴いたのですが、ダイナミックな見事な歌曲になっていました。どれだけの力がかかっているのだろうか、弾き方にどんな秘訣があるのだろうかと思いながら見ていたのですが、よく分かりませんでした。細かい音も細やかに美しくでていました。どの音もピアノのツボをつかんで出しているのだろうと思います。一音でもツボをつかんで出すのは難しいのにすごいと思いました。音が羽ばたいていてしかも聴衆をふんわりと包み込みまきこんでいるような感じがして見事でした。胸がすくような演奏でした。
 その後はリストのオリジナルの曲でしたが、これもすばらしかったです。あんなに弾けたら本当に楽しいだろうな、と心から思いました。そしてアンコールがまたよかったです。曲自体が好きだったのもあるのですが、本当に愛しんでいるような演奏で、温かい気分になれました。

 このような演奏を常に聴いていたら、あんなに弾けるようになるのだろうか、少しでもエキスを吸収したいとも思いましたが、自分のことはさておくにしても、すばらしい演奏会だったと思います。また彼女の演奏を聴きに行きたいです。

魚の感じる痛み

2011年04月06日 | 日記
 今日面白い話を聞きました。魚には痛みの感覚がないそうです。釣りをする人の間ではよく言われている話らしいです。こういうサイト(英語)もありました。つまり魚には痛点がないらしいです。一方その説はまったくの嘘だという説もあります。実際のところは分かりません。なにしろ魚は話さないですしね。人間の持っている痛みとは違うのでしょうけれども、どのように違うか、そういう根拠が示せたら大きなことでしょうね。
 しかし汚染された水が流されたりしたら泳いでいる魚も決していい気分にならないでしょうね。泣いていると思います。(う~ん、私が書くとどうも文体が悠長すぎる(汗))

支えの感覚 他

2011年04月05日 | ピアノ・音楽
 今日は仕事は休み。予定していたレッスンが来週にのびました。練習の成果を見せてね、というお言葉も一緒でした。でもピアノをじっくり練習できるのだから有難いと思わなくちゃね、本当に。震災のためにピアノが弾きたくても弾けなくなっている人たちもたくさんいるのだから。
 ピアノの練習で、個人的に課題だと思っているのは手の支え。音が思うようにでなかったり、細かいところになると弾きづらくなったりするのは、手の支えがしっかりしていないから、というのが大きいように思えるのです。そう感じた理由は弾きにくいところで、弾いていないほうの手を手のひらの下に持って行って添えてあげるとちゃんと弾けることが多いから。また音もしっかりと出しやすくなるから。そしてそのときに添えてもらった感覚を覚えながら弾くとものすごく弾きやすくなっていることに気づきます。別の手による支えがなくても、支えの感覚を保ちつづけられる、というのが課題のように思えてきました。

 他には服の入れ替えをしていました。何の服を着て行こうか、と思うことが多いのですが、ありますあります、たくさん。着そうにない服も(汗)今日でだいぶ整理できた気がします。そういう気持ちをちゃんと持っていつも把握しておけばいいのですよね。

 仕事での新たなことというのはプログラミングです。一つ言語を覚えろ、と言われても(しかもその言語名の指定がはっきりとしていないか、もしくは話に飛躍が感じられます)。。。そうすぐにできるものではないし、今までそちらとは無縁できたので頭が痛いです。かつて何度かやろうと思いながらも実際に仕事ですることがなかったので覚えることはありませんでした。覚えたかと言って本当にそれで仕事でするかといえば、それもはっきりとしていないし。確かに動いたら楽しいだろうとは思います。自分の頭で考えられたりしたらもっと楽しいでしょう。しかしそこまでの道のりが険しそう。他の仕事もあるし。そうぼやきながらも、つぶしが効きそうだと判断した言語の独習書を買ってしまいました。機械さんとあまり相性がいいと思えない私がどこまでやれるか分かりませんが。それでも仕事があるだけありがたい、と思わなくちゃいけないのかも(汗)。

 そのように頭が痛くなりそうになった時、ピアノでがーっとやるといいんですよ、もちろんちゃんと弾くのも大切です。しかしスケールやアルペジオをやって鍵盤のすみからすみまで手を動かすと、体も伸ばすことが出来て健康にもいいことに気づきました。肩こりも治ることもあるし。相当邪道に近い発想ですが、実際に体感したのだから侮れないですよ。肩こりには鍵盤の隅から隅へ、防音が気になるかもしれませんが時にはもたれかかって、お勧めです。

実は

2011年04月03日 | 日記
 年度初めだから、というわけではないのですが、仕事で新たなことをやることになりそうです。やりがいがありそうなのはいいのですが、勉強が大いに必要なのがあきらかです。なんだか難しそうなのですが人によっては20代の方もされていることです。というわけで私も20代になったつもりでいきます。そう、学び始めるのに年齢は関係ないですよね。しかしその新たな事の内容を書きたくない、ということは、年齢を気にしている、ということにもなるのですが(汗)。
 
 新たなことと言えば他にもやりたいと思っていることがあります。しかしこれも本当に始められてから書きます。こちらは仕事ではないです。
 
 上のことと震災関係のこと等で頭が忙しくて、ピアノの練習にも正念が入っていなかったような気がしますが、今日は少しは集中できたような気がします。これからもこのように集中できたらいいな。2台もソロも頑張ります。

遠藤郁子「ショパンの遺言」

2011年04月02日 | ピアノ・音楽
 昨年ショパンの曲を全曲演奏されたピアニスト、遠藤郁子さんの「ショパンの遺言」というテーマの演奏と講座を聴いてきました。
 中学2年生のときカセットテープで初めて幻想即興曲の演奏に出会いました。なんてすばらしい曲なのだろう、そして素早く指が動くのだろう、こんな美しい曲が弾けるのだったら私もピアノが楽しかっただろうに、と思えました。ショパンは本当に天才だと思いました。しかしそう思ったのは、残念ながらピアノを中断した後の話でした。演奏者の名前をみたら「遠藤郁子」とありました。こんなに美しい曲をここまで感動的に演奏した遠藤郁子さんにあこがれ、うらやましく感じました。きっと素敵な人なのだろうと。
 その後いろいろなピアノ曲やピアニストに出会い、音楽やピアノの世界も広がりましたが、中学生の時の幻想即興曲との貴重な出会いをもたらしてくれた遠藤郁子さんが横浜に来られるとなれば行かないわけにはいかないと思い、行くことにしました。遠藤さんは乳癌を克服され、お母さんの介護をされながらピアノを続けられています。ショパンの「音霊」を伝えられる方だとも言われています。おかっぱ頭で着物を着てピアノを演奏される方だという印象もありました。

 遠藤さんは今日ははっぴにもんぺ、そして足袋というお姿で出てこられました。この時世だからでしょうか。地震のあった3月11日は次の日のショパンのリサイタル(歌舞伎の舞台も考えられていたそうです)に向けて茨城県にいらっしゃったそうです。リサイタルは中止になったそうですが、震災後自分にもなにかできないだろうか、と考えられ、チャリティーリサイタルの開催をされているそうです。
 ちなみに遠藤さんは被爆経験が3回おありで、しかもそれを克服されたそうです。1度目はチェルノブイリ事故後ユーゴスラビアにいらしたとき。乳製品を体の中に入れるとよくない、と言われていますが、ユーゴスラビアの食事にはチーズは欠かせないのでどうしても食べる羽目になったそうです。2度目は乳癌の治療で放射線治療を受けた時。このとき放射線のこげたようなじりじりとした匂いも感じたということです。3度目はワルシャワに行った時。車はあるのに人がいなくておかしい、と感じたので尋ねたところ、オゾン層の穴があいているところだったらしく、そのときは避けたほうがよい場所だったそうです。現地の人たちから情報を得る必要があると感じられたそうです。
 そして今回の地震後も放射線からの克服法を茨城(だったと思います)の親戚に伝えたとのこと。どういうことをされたのか、というと、盲腸部(右下腹)を数回、上にすり上げられたそうです。(盲腸がない人でも右下腹をさすりあげるといいそうです)そうすることで愉気(手をあてて気をおくる)そうです。癌で放射線治療を受けている人が体力を回復させるために実際に行われていることらしく、ユーゴスラビアから帰国されたときにアドバイスを受けたそうです。また海藻類もたくさんとるといいそうです。そうすることで、体内に放射線を体の外に出されたそうです。
 それにしてもそのような話をたんたんとされていた遠藤さんはタダものではない、と思いました。厳しい試練を乗り越えられて語られる言葉、語り口は静かでありながらも力強いものを感じました。

 演奏されたピアノ曲は全曲ショパンです。

プレリュード20番(大震災で犠牲になられた人たちへの追悼の意をこめて。オルガンでもよく弾かれる曲だということです。私もショパンコンサートで弾いたなぁ)
ノクターン20番 (映画「戦場のピアニスト」で使われた大変有名で美しい曲です)
エチュードOp.10-12 革命 
ワルツ3番  
幻想即興曲 (○年前の記憶をよみがえらせながら聴きました。指の動きはカセットの演奏ほどスムースではありませんでしたが、あのときの思い出がよみがえってきました。)
スケルツォ3番 (ジョルジュ・サンドとのマジョルカ島への逃避行のころの作品。この作品の由来についてはあまり語られていないようですが、ジョルジュ・サンドの小説との関連性があるとも言われています。汚れた世界に激しい怒りのなかに差すきらきらとした光が輝いています。大好きな曲だそうです。)
マズルカ (番号を忘れました、すみません。心のこもったいい演奏だったのですが。。。)
幻想ポロネーズ (英雄ポロネーズを予定されていたのですが、震災後ということで変更されました。最後の歓喜の部分はまさに力強い希望をあらわしています)

 音霊を伝える、というだけあって、出される音の重みを感じました。指の動きは少したどたどしいところもあったし、解釈もすべてぴったり、しっくりときたわけではありませんが(私が書く分際でもないのですが)、試練を克服され力強く生きてこられたというのが伝わってくる、骨太な演奏だったと思います。ノクターン20番、ワルツ3番、スケルツォ3番、マズルカの演奏が気にいりました。一音一音、考えながら納得されながら、そして語りかけるように弾かれていました。
 勇気を与えられるいい講座だったと思います。

 そうそう、仏教用語に「諸行無常」というのがありますが、これは「人生は変化に満ちているのだから、いいこともたくさんあるよ」と解釈するといいというゲストの方の話もよかったです。

いよいよ

2011年04月01日 | 日記
 私もついにスマートフォンを買っちゃいました!私のことをご存知の方たちからみたら、ありえなそうですよね、そう、ありえなそうです。でも買っちゃったんですよ。そしてアンドロイドのアプリも搭載しました。













 アンドロイドというのは人造人間という意味でもありますが、ここでいうアンドロイドとはコンピューターのオペレーションシステムの一つです。オペレーションシステムは機械(例えばパソコンや端末の本体)とソフトウェア(アプリケーションもソフトウェア)との間に入ってしこしこと働いています。
 久しぶりにこういうネタを・・・(汗)。みなさんのほうがそういうアプリケーションについてはくわしいかもしれませんね。


 ちなみに今日は何の日だったでしょうか?