ノイバラ山荘

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祖父

2012-08-25 05:18:58 | 日常
私は祖父に甘えた記憶がない。

母方の祖父は母がまだ5歳のころなくなっているし、
父方の祖父母は私が生まれる前後に亡くなっている。

父祖の地は熊本だが、
私は12歳の時に行って以来、
行ったことがない。

妹は熊本が大好きで、
何度も遊びに行っている。

私は嫌いではないが、
12歳の夏に母の実家に1カ月あずけられて、
もう一生分堪能した。

あの時の蝉時雨、
広い家のひんやりと饐えた臭い、
おばばのこめかみに貼りつけられた梅干し、
大きな仏壇に毎朝おそなえするご飯、
うごめく蚕の様子、
祖母の実家のみかん畑と
土間にころがっていたスイカ、
父の実家への暑い夏の白い道は
昨日のことのようにリアルだ。

このお盆、妹が甥っこと一緒に
熊本に行って、祖父の肖像画を持ち帰った。
母の実家を継ぐ親戚から託されたのだ。


32歳で亡くなった祖父。(昭和10年頃)

この画は結婚した23歳頃の
姿ではないかということだ。
昭和になったばかりの頃の熊本男児。

なんだかやさしげな顔だし、
口数も多くなさそうだ。

体が弱くて、中学を中退して、
農業をしていたらしい。
体が弱くて農業というのは
つらいのではないだろうか?

祖父が自死した夜のことを
母は忘れられないのだそうだ。
戸板にのせられて
運ばれてきた祖父は
蔵で縊死していたのだという。

母はこの祖父のことを何も知らないのだという。
たった1枚の大家族の写真が
祖父の顔を知る唯一の縁なのだそうだ。

まだ27歳で寡婦となった祖母に
何も聞いてはいけないと思ったのだそうだ。
祖母も祖父については何も語らず、
亡くなってしまった。

母はもう人生も終わりの方になって、
どこから出てきたのか
肖像画を手にした訳である。

私には縁の薄かった祖父だ。

もし祖父が生きていたら、
母は父と出奔せず、
養子をもらって家を継いだろうから、
そうしたら私は生まれていない。


偶然だけれど、今日、木下利玄が届いた。
この歌人は昭和が始まったころ、
39歳で亡くなっている。

鄙の地の農民とエリートを
比べられるものではないけれど、
祖父は明治の終わりから昭和の初め、
利玄は明治後半から大正時代。
重なる時代を生きていたのだと気付いた。

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