私の母は
私が大学三年生の時に
くも膜下出血で亡くなっています。
倒れたその日は
私も確か午前から授業があり
お母さんの出勤と同時だったので
一緒に駅まで向かいました
何気ない
いつも通りの朝
[バイバイ]
をしてそれぞれのホームへ向かい
いつも通りに駅の改札を抜けました
結果的にそのバイバイが
母と最後に交わした言葉となりました
ちょうど大学に着いて
これから授業が始まるという直前で
普段滅多に電話をかけてこない父からの着信
お母さんが職場で倒れたこと
タクシーを使ってでも早く病院に来ること
そんな内容だったと思います。
我が家はどちらかというと
お金に余裕がある方では無く
タクシーに乗った記憶なんて
ほとんどありません
そんな我が家の大黒柱が
タクシーを使って病院に来るように
指示を出してきたのです
ただ事ではない
そう感じた私でしたが
すでに席に着き
友達と授業を受ける寸前だった為
なんと言って離席するか悩みましたが
結局答えは出ず
[ちょっと帰えるね!]
と伝えて教室から飛び出しました
遅刻することは多くても
割りと真面目に授業を受けるタイプだったこともあり
もちろん友達も
[え、今帰るの?どゆこと!?笑]
と困惑していましたが
ちょっとね!で通して荷物をまとめて
すぐに帰りました
病院に着いて母の元へ向かうと
そこには酸素マスクを着けた
ベッドの上で目を閉じたままの母の姿が目に入り
お父さんが椅子に座ってました
確かその時
先生も看護師さんもいて
くも膜下出血で倒れたこと
植物状態で目を覚ます確率が低いこと
そんな内容を
告げられたのか
父から聞いたのか
正直もう思い出せません
もちろん
ただ事ではない、ということは
分かっていたつもりでしたが
まさか植物状態で
もう目を覚ますことがないかもしれないなんて
そこまでの状況だとは思ってもいなくて、、、
だんだんと
頭の中で理解が追い付いてきて
今まではテレビ中や物語の中で起こっていた
母の死
という非現実的な場面に
自分が直面している事が信じられなくて
その内容を告げられた時
息を吸い込むように
[ハァッ、、、!]と声漏らしながら
たった一度だけ母が目を開けたんです
父がすかさず
母の名前を必死に呼び掛けていたのを
覚えています
普段あまり声を大きくしない父が必死に
それでも母は一言も答えること無く
ゆっくりと目を閉じました
その後
状況が好転することはなく
一週間程で母は亡くなりました
突然の母の死に
私は何もできなくて
こんなお別れ方をするとは思っていなくて
これから就活が始まって社会に出て
色々と相談したり
頼りたい時期にさしかかる頃だったのに
まだまだ
聞きたいこととか
一緒にやりたいことあったのに
お通夜には
大学でいつも一緒に授業を受けていたいつメンに加え
ゼミの先生とゼミのメンバー全員約20名が来てくれて
今思うと先生が掛け合ってくれたんだろうなと
優しい先生に出会えたことに
感謝しなければと思います
倒れたと報告を受けてから亡くなるまで
たったの一週間程でした
たったの
しかも会話をすることはできず
手を握るしかできなくて
実はこんなこともありました
後半になると
ギュッと力強く握れば
母からもギュッと握り返してくれたんです
初めはとても驚き
もう一度同じ様に握ってみると
先程と同じタイミングでやはり握り返してくれて
でも私は瞬時に分かりました
そこに母の意思はなく
ただ単純に体が反射してるだけだと
先生に聞くと
やはり体が硬直してる状況で
反射的に動いてるだけだと思う
と教えてくれました
その事を知っていても
[握り返してくれる]
という事実だけで藁にもすがる思いで嬉しくて
ギュッと握るという動作を
何度も繰り返しました
葬儀も終わり
改めて部屋を見ると
慌てて取り込んだ洗濯物を
放置していたのに気付き
母が最後に洗濯し干してくれたもの
であることを思うと
なんとなく外して畳んでしまうのも
忍びなくて
それぐらい日常の中で起こった
あっという間の出来事であったことを
思い知らされました
そこから早何年か経ちましたが
今でも色々と思うところはあります
まず、アラサーにもなると
結婚式の参加が増えていきます
そこでの服装の注意点など
今はもう当たり前に分かりますが
当時二十歳そこらの私には
そこでの服装の注意点があるなど
知るよしもなく
子育てをしてる友達の話を聞けば
親の助けありきで成り立っていたり
父は存命ですが、
やはり女性ならではの視点というのは
母が一番良く分かってるし
聞きやすい存在であったと思います
これから先、
みんなが当たり前に受ける
恩恵であったり知識を自分で頭を下げながら
誰かに教えてもらわなければならないこと
また
気付けば教えを乞うけれど
特に冠婚葬祭の場面では
知らずに相手を不愉快にさせてしまう場面も
出てきてしまう可能性があること
知らないでは済まされない年齢になり
色々な事に気を付けながら
生きていかなければならないと思いました
今はネットで調べれば
ある程度の情報を得られる時代なので
この時代に生まれて良かったと思います
私の人生において
結婚して義母ができない限り
母の日を考える機会はもうありません
自然災害やウイルス、軍事的出来事も勃発し
様々な状況下におかれる昨今
人生が当たり前に続くものではないこと
やりたいことは先延ばしにせず
どんどん挑戦していった方がいいと思います
どうぞ今を大切に
存分に楽しんで下さい♪
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