ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

ようこそ,地獄へ;次は加須屋誠『地獄めぐり』です。

2019-10-10 14:45:28 | 日記 本
『京都・江戸 魔界めぐり (NHK趣味どきっ!)』(9月25日)
Eテレの「趣味どきっ!」テキスト。
テレビと合わせて読みました,というか,見ました。
前半の京都編は貴族たちの,
後半の江戸編は,江戸庶民の「魔界」だったという印象です。
関西人の私,ぜひ,京都・一条周辺の百鬼夜行巡りをしたいです。


青山邦彦『地獄めぐりの橋』(絵本)(10月6日)
閻魔はもちろん,奪衣婆や浄玻璃の鏡などけっこう詳しいです。
歴博(姫路)にある「熊野勧進十界曼荼羅」を近いうちにもう一度見てきます。
小野篁の話は何度か聞いたことがあります。
六道珍皇寺に行ってみたいです。
加須屋誠氏の『地獄めぐり』はネットで注文。
まもなく届きます。
Eテレの趣味どきっ!「京都・江戸 魔界めぐり」がまだ尾を引いています。


白仁成昭,中村真男,貝原浩
『絵本 地獄――千葉県安房郡三芳村延命寺所蔵』(10月10日)
何年か前に,流行った絵本。
「子どもたちよ,いのちをそまつにするなよ!」はいいにしても,
都合よく「道徳」に使われそうな気はする。
風濤社の解説によると,
元の絵は,千葉県安房郡三芳村延命寺に所蔵されている,
天明4年に江戸の絵師によって描かれた,
16幅の絵巻をもとに構成されているそうです。
風濤社は,
「死を恐れることのない子供らが育っていくとしたら,こんなにこわいことはありません。」
と解説を締めくくっています。
まさにその通り。
・・そういえば,先日のブラタモリを思い出しました。浅間山の噴火は天明3年です。

以上,「読書メーター」からです。

『絵本 地獄』は初版は1980年。
図書館に入ったのは,平成4年となっていますが,(ということは,1992年)
かなり傷んでいます。
何人の人が読んだのでしょうか。


次は,加須屋誠『地獄めぐり』です。(2019年6月第一刷発行:講談社現代新書)
本の帯には,
「地獄ガイドの決定版」とか,
「ようこそ,地獄へ!」とか書かれています。


歴博の「熊野勧進十界曼荼羅」は明日,もう一度じっくり見てきます。


PS.(10月11日)
歴博の「熊野勧進十界曼荼羅」ですが,展示入れ替えのため,
見ることができませんでした。
加須屋誠『地獄めぐり』は現在読書中。
分かりやすく,興味深いです。
後日改めて。


(10月19日)
「熊野勧進十界曼荼羅」です。


加須屋誠『地獄めぐり』については後日。


(10月23日)
やっと,加須屋誠『地獄めぐり』

聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)の「六道絵」など
たくさんの図版が載っていて,
とても分かりやすい本です。
でも,この本は,『往生要集』や絵巻の地獄はこういうものだ・・・
と書いているだけではありません。
地獄の亡者を見て,
地獄は怖いと思う,行きたくないと思う,
それだけではない,と著者は言うのです。
「縛り上げる獄卒たちの側に感情移入することもできるし,
 縛り上げられる亡者の姿に自己投影することも可能」と。(74ページ)
そして,
「絵画を歴史資料として用いる場合,
 絵の中になにが描かれているのかという考察に閉じられるものではなく,
 誰がその絵を観たのか,
 どう観たのかという外部の「まなざし」にも
 目を開かなければならない」(166ページ)

これ以上書くのは,やめます。
興味ある方は,読んでください。
私は地獄絵の見方が変わるような気がします。






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本郷和人『世襲の日本史』『武士とはなにか』&「日本中世の自由と平等」

2019-09-28 14:41:08 | 日記 本
今日は,本郷和人氏の本から

本郷和人『世襲の日本史 「階級社会」はいかに生まれたか』(2019・9初版発行)
(「読書メーター」より)
久しぶりにずっしりくる本郷和人氏の本でした。
最近,一般向けのわかりやすい本が多い(?)本郷氏ですが,
この本は,学生時代ちょっとだけですが,歴史学をかじったことがあるけど,
専門書を読むのは難しくて読めない・・という私のような人にちょうどいい本だと思います。
『文明としてのイエ社会』「職の体系」がこの本の幹だと思います。
・・・『武士とはなにか』を再読したくなりました。


ということで,
本郷和人『武士とはなにか 中世の王権を読み解く』
(平成25年5月初版発行,ただし,2007年5月発行の『武士から王へ』を改題文庫化したもの)
(「読書メーター」より)
昨年(2014年のことです。)4月,
JMOOCで本郷和人先生の「日本中世の自由と平等」を受講した。
大学卒業以来,久しぶりに「歴史学」を勉強した。・・・と思った。
この講義を本にまとめてもらえないだろうか・・・と思ったのだが,逆だった。
本が先にあったのだ。
それがこの『武士とはなにか』だった。
抽象的で難しい本だが,JMOOCとかなり重なっていたので,理解できた部分が多かった。
今年(2015年のことです。)9月にもう一度同じ講座が始まるので,
(ただし,課題はかわる。)
その頃もう一度読み直しながら,「日本中世の自由と平等」を学び直したい。


ということで,


最初の本郷先生の講義「日本中世の自由と平等」最終レポートを載せます。
一応講義は,選択問題と記述で,96点でした。

     
     「日本中世における自由・平等・平和」について                                          
 
 「日本中世における自由・平等・平和」を本郷先生の考えに沿って述べます。    
 
 まず,「自由」について。  
日本の中世は荘園制における職の体系に見られるように,
土地の『所有権の未成熟』が考えられます。
権利は分けて持ち,所有が確立していません。
ヘーゲルは「自由は所有」と言っていますが,
本郷先生もこの考えに基づき,
自分の意思・身体を自分で所有することが自由であると述べておられます。
そして,男衾三郎絵詞にみられるいつ理由もなく殺されるかもわからない時代から,
所有権が確立し,
所有概念が成熟していく過程が中世であると考えています。
本郷先生は,網野氏のまさに男衾三郎の世界である自由論・無縁論を批判し,
「日本中世は自由が徐々に確立していく時期であると言える」
と結論づけておられると考えます。
 
 次に「平等」について。  
「仏の前では平等」という考えを唱えたのは法然です。
それまでの天台宗・真言宗ではトップは皇族であり,
高い位を持った僧侶は貴族の子でした。
これに異議を唱えた法然は,
「南無阿弥陀仏」を唱えれば
武士でも貴族でも庶民でもみな差別なく極楽浄土にいけると説きました。
弟子の『熊谷直実』は法然と九条兼実の話を
部屋の外のさらに段の所にいたため聞くことができません。
直実は「極楽にはかかる差別はあるまじきものを」と言ったとされ,
平等というものを求める人の叫びが現れている
と本郷先生は語っておられます。
また,この中世的平等(リゾーム)の考えは,
一向宗が広がるとともに拡大し,
ツリーの考えに基づく信長には脅威となりますが,
信長によってリゾームは滅ぼされます。
「中世では平等の考えが生まれ,広まった。
 しかし,中世的平等は中世が終わるとともに消滅した(一向宗は残っても)」
というのが,本郷先生の考えと思います。
 
 最後に「平和」について。  
まず,日本の『人口の増加』から平和について考えます。
西暦1600年から1700年の100年間に
人口が1200万人から2500万人に増えています。
江戸時代のシステムが人口を大幅に増やしたと考えられます。
このことから,江戸時代は平和な時代であったことが想像できます。
本郷先生は今回の講義では,中世の平和について多くを語られていません。
しかし,中世のはじめの男衾三郎絵詞の時代は
いつ殺されるかわからない時代でした。
それが,戦国時代には,自分の国を治めるのが戦国大名の義務となり,
検地を行う一方で,治水・灌漑などの事業を行い,
自国を守ることが重要な時代となりました。
そして,江戸時代には大幅な『人口の増加』が見られます。
このことから,私は
「庶民にとっての平和は中世において少しずつ蕾をふくらませ,
 江戸時代に一気に開花した」と考えます。

 
ということで,江戸時代の本に戻ろう!

と思ったのですが,
趣味どきっ!の「魔界めぐり」がおもしろかったので,
ただいまネットで
加須屋誠『地獄めぐり』を注文中!
合わせて,
『近世古文書解読字典 増訂』も注文!


やっぱり,歴史って楽しいね。

最後まで読んでくださった方,ありがとうございました。
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新訂版 幕末下級武士の絵日記

2019-07-08 12:06:44 | 日記 本
気がつけば,10日以上更新していません。
ばたばたしていると,すぐに日が過ぎていくものです。
現代人は,忙しいです。

それでも,そんな合間に,ちょっと読んでいる本です。

大岡 敏昭 『新訂版 幕末下級武士の絵日記』



絵日記の主人公であり,書いた人物は,
尾崎石城

この本は,文久元年6月(1861年)から約2年間の石城の絵日記『石城日記 七巻』
をもとに書かれています。(日記そのものではありません。現代文です。)

石城は,独身。2度目の咎めにより,強制隠居。
江戸から,忍藩に戻り,
養子の進夫婦と同居。
下級武士で家は決して広くないのに,6畳の書斎を充ててもらい,
友人の下級武士や中級武士,
寺の和尚や料亭の女将たちと飲んでいる。
でも,絵心があるので,
日記だけでなく,行燈に絵を描いたり,
なんと,「石城真蹟画」が忍東照宮有・行田郷土博物館に残っている。
本もたくさん持っていた。・・・中国の古典?その解説書,
日記には408冊の本の名前を書いている。
売る前に,本の名前を日記に書きあげている。
(もちろんこちらは残っていません。)

うらやましいほどのんびり・・・
(でも,強制隠居・・・か。)

うらやましい・・・といいたいが,
養子の進は,
和宮の行列の警護もしている。
和宮が京から江戸への道中,中山道の熊谷宿を通る時だ。
石城の家にも緊張が走る。
やっぱり,幕末。

この本を読んでいると,
ほかにも食事や家の中の様子もわかる。
なんせ,もとは絵日記で,
本には表紙のようなカラーの石城の絵日記の絵が載せられているので,
とってもわかりやすい。

実は,まだ半分しか読んでいませんが,
おもしろいです!




コメント (2)
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『播州名所巡覧図絵』

2019-06-26 14:18:37 | 日記 本
太子町立歴史資料館『お殿様ご到着』に載っていた本です。

『旅からわかる江戸時代[全3巻]』という児童書を読み,
江戸時代の旅がおもしろくて,
『現代訳 旅行用心集』を読んでいっそう面白くなって,
『東海道名所図会』の「〈上〉京都・近江・伊勢編」も図書館で借りたのですが,
地名や名所がわかるようでわからなくて,
そのまま読まずに図書館に返しました。

次は,『播州名所巡覧図絵』を借りたわけですが,
現代語訳ではないので,難しいのですが,
適当にそれも我が家の近く,
姫路や網干周辺だけ読み(?)ました。

さて,「姫路鎮城(ちんじやう)」
「古城主は村上帝第七乃皇子具平親王十五世の苗裔赤松播磨守則村二男筑前守貞則
 初めは後醍醐帝に従ひ元弘の頃営館を姫山に構へて・・・」と28行もの説明が続く。
「豊臣秀吉を号し関白を歴(へ)て太閤に昇進給ふ
 依之日本乃諸侯領地を変改ある
 慶長五年に池田少将輝政に当国を賜り播備淡三州の太守たり・・・」
え?秀吉が池田輝政を播備淡三州の太守にしたわけではないでしょ?
秀吉は死んで,関ヶ原があって,その後,家康から播備淡三州の太守に任命(?)されたのでしょ?
「家康」が出てこない?
きっと,理由があるんでしょうね?(単なる読み間違いだったりして)
でも,秀吉だけでなく,官兵衛のこととかも詳しい。

おもしろい!

姫路総社・・・
「総社伊和大明神」;今と同じ建物の並び?空襲で焼けたはずなので,建物は変わっているはずです。
「総社臨時祭礼行列」;4ページにもわたって祭の絵が描かれています。
           姫路城の絵はないのに。(姫路城は描くことができないのかなあ?)

けんか祭の「松原八幡」も描かれています。
じゃあ,魚吹八幡神社は?
・・・ない・・・?
と思ったら,
「網干 宇須幾(?)八幡宮」とありました。
もちろん,イラスト付きです。

ほかに,網干では・・・と見ると,
土井(?),熊見(これは今もあります。)
宇須幾浜祠(うすきはまやしろ);網干宮津八幡宮也
                福井の庄宮内村ニあり
投石城址;福井の庄網干にあり 元亀年中(1570年~1573年)明石備前守正景(?)これを守る
(投石城?・・・ネットで調べると,出てきました。姫路市網干区網干にあるそうで・・・?
 ・・・思い出した!『峯(峰)相記』!悪党で有名な本。
    明石と投石の警護して,悪党の活動がおさまった?)
朝日山大日寺;福井庄朝日谷村にあり 真言宗・・・今もあります。
鶴立山大覚寺;網干 沖の浜(現在は興浜) 真言宗(今は浄土宗)
林松寺;今もあるある!
丁(よほろ?)村;福井庄よほろ村 朝日山の南なり
         今は丁(よろ)といいます。
陣屋;沖浜村揖保川尻にあり 丸亀領舟の入川あり
   今も網干の史跡です。
化粧(けわい)坂;新在家にあり(?)
         どこ?
         調べると,なんと網干小学校ホームページ「歴史ウォーク」に
         「網干小学校に残る龍野藩蔵屋敷跡化粧坂の由来を学習した」
         え?網干小学校内にあるの?
         私も,うちの子たちも網干小学校なのに知らなかった・・・。で,何?

「福井庄」というのが気になります。
網干周辺は中世は神護寺領福井庄でした。
もう荘園はないのにねえ。

ものすごくローカルになりました。

ほかにも,廣峯,増位,書写,飾磨津(飾間津と書いているところもありました。)などなど・・・

きりがないので,今回の超ローカルなブログ,これで終わりにします。
失礼しました。

PS.この本,もとは文化元年の本です。


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江戸時代の旅の本:『現代訳 旅行用心集』

2019-06-12 15:01:46 | 日記 本
『旅からわかる江戸時代[全3巻]』のおかげで,
江戸時代の旅の本がおもしろくなりました。

『旅からわかる江戸時代』の2巻『庶民の旅』に載っていた
八隅 蘆菴 (著), 桜井 正信 (翻訳)『現代訳 旅行用心集』
まず,現代語訳の部分を読みました。



「読書メーター」感想より
『旅からわかる江戸時代2庶民の旅』を見て,面白くなって借りた本。
江戸時代の旅のまさに「用心集」。
細かいことまで注意点を書いている。
30数年前,初めて海外旅行に行った時,
旅行社の方が,いろいろ注意点を話してくれたことを思い出しました。
…江戸時代,意外と薬を持っているんですね。
歩きはじめの注意など,今にも通じそうです。
でも,
「船に酔ったときは,ひどく吐いた後,のどが渇くものだ。」(ここまでは納得)
「そのときは,子どもの便を飲ませなさい。」(えっ?)
「それがなければ,大人の尿を飲ませなさい。」(きゃ~!やめて!)でした。

時々,絵も描かれていたり,温泉や観音霊場の紹介もあったり,
「駄賃付け」といって,次の宿までの馬代などの表もあります。
現代語訳ですし,楽しく読めますよ。


さて,現代語ではなく,
江戸時代のものも縮小コピーで載っていますが,
拡大コピーすると,なんとか読めるところもあります。

当時の表現がわかっていいですね。
やっぱり現代語に訳すと,
訳す人が現代人向けにしていることがわかります。

たとえば,
「伊勢参宮に行くというのは,日本に伝わるありがたい習わしではないだろうか。」
と訳していたところ,
江戸時代の原文の方は,
「伊勢参宮の願は成就することのなわらしハ 我神国の有かたきことならずや」
です。

違いますね。
だいたいこの本が作られた
「文化7年」
「日本」という感覚はどの程度あったのでしょうか。
私は???です。


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