ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

ユネスコ「世界の記憶」登録記念企画展「脇坂安董と朝鮮通信使-易地聘礼 最後の通信使-」

2018-04-06 14:46:39 | 日記 博物館・美術館...
今日,たつの市立龍野歴史文化資料館に行ってきました。

今回は,
ユネスコ「世界の記憶」登録記念企画展「脇坂安董と朝鮮通信使-易地聘礼 最後の通信使-」
(安董は,「やすただ」と読むそうです。)

2月に行った,同じたつの市の
室津海駅館特別展と同時開催していたものです。

「朝鮮通信使」と思って会場に入ると,
まずあったのは,脇坂安治にあてた秀吉の朱印状でした。
いわゆる「朝鮮出兵」に関するものです。
しんみりと解説を読んで,
次のコーナーに行きました。

結果的に最後の朝鮮通信使となった文化8年(1811年)の通信使は
対馬での聘礼(へいれい)となりましたが,
実質的な責任者として,龍野藩の脇坂安董が副使として取り仕切ったそうです。

史料の中で私が面白かったのは,
聘礼にかかる費用を1万5千両を貸与され,
聘礼が終わるとその働きが認められ,その返納を免除されたというものです。

おもしろかった理由は,
単に,読みやすい字だからだったのかもしれません。


桜はもうほぼ散っていましたが,
ついでにのんびり龍野公園周辺を散歩してきました。


PS.
あとで思ったのですが,・・・,
脇坂安董がはじめ借りた「拝借」は,
のちに返さなくてよくなったとのこと,
これって,脇坂安董が立派に役目を終えたからでしょうか?
当時,「立派に役目を終えた」と言って,
このような重要な役目をした藩主は,みな,返さなくてよかったのでしょうか。

地震関係の史料を見ていても,
地震で困ったから,
藩主は「拝借金」をもらっています。
本来は,無利息で貸してくれるものだそうですが,
地震の後,藩主たちは返したのでしょうか?
それも,幕末混乱期に。

このブログの本題とはそれますが,
そんなことを思いました。
*裏まで考えないといけませんね。
(4月7日 追記)
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