次に連れて行っていただいたのは、北口本宮冨士浅間神社でしたが、鳥居のところから、そのスケールに圧倒されました。
参道の杉の木も、ド迫力です。
この鳥居は、木造では最大の鳥居らしいですよ。
手水の龍さんに、Iさんが水を掛けていました。
この位置からが、記念撮影に一番良い場所のようですね。
遠くからも見えましたが、私も近くに行って、風が入る場所があるか確認しましたが、それはなくてやっぱり不思議でした。
【祭神 】
建御名方神(たけみなかたのかみ)
八坂刀売神(やさかとめのかみ)
勧請年代は不詳であるが古くから当社一帯の森を「諏訪の森」と呼ぶことや、『甲斐国志』巻之七十一神社部第十七上「諏方明神」の記述からも古社であることが伺える。
流石に、あまり人は来ない場所のようでしたが、女性が二人でカメラを持って訪ねていました。
K会長は、休憩時間で廻ってくれたので、ここで別れ、Iさんと私は東京へ帰りました。
続きます。
参道の杉の木も、ド迫力です。
この鳥居は、木造では最大の鳥居らしいですよ。
手水の龍さんに、Iさんが水を掛けていました。
近くで見ていた、中国人?の若い女性が真似ようとして、柄杓から勢いをつけて水を掛けたら、向こう側にいたK会長にしっかり掛かってしまい、sorry!sorry!と慌てていた女性にも、穏和な笑顔で応えていました。
拝殿の横には大きな御神木が、両側にありました。
この位置からが、記念撮影に一番良い場所のようですね。
団体さん用の段々がありました。
ぐるっと廻って最後に行ったのが、諏訪神社でした。
ここで、Iさんが興奮していたのは、ガラスのケースの中に入っている赤い富士山の前にある鳥居の二本の紙垂(しで)が、激しく動いていたことです。
遠くからも見えましたが、私も近くに行って、風が入る場所があるか確認しましたが、それはなくてやっぱり不思議でした。
K会長が、
ねーさん、今。
ズシンとしたんだけど誰かな?
いつもここには来ているけど、初めての感覚なんだ。
と言ったので、振り子で聞いてみると、
タケミナカタだよ。
と読めたので、伝えると何だかとても感動していました。
やっぱり諏訪神社には、タケミナカタなのだということなのですね。
🌟北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)は、山梨県富士吉田市上吉田にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。
【祭神 】
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
天孫彦火瓊瓊杵命(てんそんひこほのににぎのみこと) ー 夫神
大山祇神(おおやまづみのかみ) ー父神
天孫彦火瓊瓊杵命(てんそんひこほのににぎのみこと) ー 夫神
大山祇神(おおやまづみのかみ) ー父神
人皇十二代景行天皇40年(110年)に、日本武尊が東方遠征の折、箱根足柄より甲斐国酒折宮に向かう途次、当地を通過、「大塚丘」に立たれ、親しく富士山の神霊を遥拝され、大鳥居を建てしめ、「富士の神山は北方より登拝せよと」勅され、祠を建てて祀ったのが始まりとされている。
🌟北口本宮冨士浅間神社 摂社 「諏訪神社」
【祭神 】
建御名方神(たけみなかたのかみ)
八坂刀売神(やさかとめのかみ)
勧請年代は不詳であるが古くから当社一帯の森を「諏訪の森」と呼ぶことや、『甲斐国志』巻之七十一神社部第十七上「諏方明神」の記述からも古社であることが伺える。
元々は当地域の氏神であったが明治維新の際に北口本宮の摂社となる。
古来より社中に「諏訪の森」が位置し、諏訪神社の鎮座地に浅間神社を勧請したと伝わる。
古来より社中に「諏訪の森」が位置し、諏訪神社の鎮座地に浅間神社を勧請したと伝わる。
現在当社は浅間神社であり祭神も木花開耶姫命を主祭神としているが、当初は諏訪神社であったと考えられている。
元々は、諏訪神社からの始まりだったみたいですね。
その後に行ったのは、上記の文中にある「大塚丘」でした。
流石に、あまり人は来ない場所のようでしたが、女性が二人でカメラを持って訪ねていました。
パワースポットということで、知る人ぞ知る場所なのでしょうね。
K会長は、休憩時間で廻ってくれたので、ここで別れ、Iさんと私は東京へ帰りました。
続きます。
私も今年の3月に浅間神社の五社をまわってきました。大塚丘も登ったのでなつかしかったです。
諏訪神社の紙垂が動くなんて!さすがIさんですね。
諏訪神社の紙垂は、本当に激しく動いていました。
今までも、大きな提灯が動いたり一緒にいると、驚くことはありましたけどね。
K会長が存在を感じたというのも、やっぱりビックリすることですね。