「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

御津神社(みとじんじゃ)

2019-04-20 07:30:13 | 日記

御津神社(みとじんじゃ)は、蒲郡市と豊橋市の間の豊川市にありました。


豊川稲荷のあるところなのだと、私は下書きをしながら思っています。
豊川稲荷には、行ったことはないからですね。

私はららさんの車に乗っていて、みーららさんの車は後からついてくるようにして、カーナビ通りに行った訳ですが、なんだか狭い道を行ったりして、初めての道のりは大変そうでした。

そして、御津神社に着いたのは、4時少し前でした。



由緒書きも立派で、境内はかなり広いこともわかりました。



とりあえず、みんなで鳥居をくぐって少し行くと、京都の貴船神社で見たような、船の形の磐座(いわくら)がありました。
なかなか大きい物ですね。





そして、その奥の鳥居の横には、かなりな大きさのクスノキがありました。



みんなでまた驚いて階段を昇って行くと、開けた広い場所があり、右手には社務所と池があり、正面に拝殿が見えました。



キレイになっているし、荒れた感じではないのですが、社務所は閉まっていて、とにかく誰もいないのです。

なんだか、勿体ない感じですね。
立派な拝殿でお参りしました。



右手奥の方にも、末社が沢山ありました。



左手奥の方に行くと、また末社があり、ここでは、沢山光が入ったので、みんなで撮影会をしていました。



なんだか、とてもいい感じの神社なのに、寂れてしまって来て欲しかったのかなと思いました。

みんなでご飯を食べている時に、御津神社に行ったら、「三三七拍子をやってくれ」と言われていたので、鳥居を出る直前の場所で、私が音頭を取って、全員でやってみました。
みんな笑っていました。
誰もいなくて、良かったです。

そして、鳥居をくぐってから振り返って見ると、白い雲が出ていました。



私達は、少し寒くなったのもあり、すぐ近くにあった喫茶店に入り、甘酒などを注文して、暖まりました。

初老の男性1人のお店でしたが、果物やお菓子も出してくれて、サービス満点でした。

その方に、御津神社のことをお聞きすると、実は由緒的には、豊川市にある三河国一宮の砥鹿神社(とがじんじゃ)よりも格上で実はここから分かれたとのことでしたよ。


改めて調べてみると、


🌟御津神社の祭神は大国主命で、創建年月は西暦以前にさかのぼるといわれ、あまりにも古く記録がないため不詳です。

御津町の歴史も古く、8代天皇の孝元天皇(西暦前200年)が当国の行幸の時に、御船を此の津に寄せられたことから、当地を「御津湊」(みとみなと)とされたことが惣国風土記に記されています。
その時、天皇は既に此の地にあらせられる神社に対し、御津神社の名を賜ったとされています。

境内にそびえる大楠は神社のシンボルで、樹齢1,000年を超える町内最高齢の樹木です。
大きさは、目通り九・二五メートル、根回り一三・六四メートル、樹高二一・〇メートル。


確かに、古い神社だとわかりましたね。

由緒書きにあった御祭神です。



ここの例大祭は、「烏賊(いか)祭り」と言って、喫茶店のマスターによると、昔は生のイカを配ったそうですよ。

この記事のタイミングが、バッチリ合ってしまったのは、私としては驚きです。
まさに「烏賊祭」は、今日ですね。


🌟太古には神社の近くまで海だったといわれ昔から伝わる全国でも珍しい「いか祭」神事が「いか」を供えて行われます。

平成31年4月20日(土曜)から平成31年4月21日(日曜)

20日:午前10時から午後5時
21日:午前9時から午後5時30分
    午後3時より神輿渡御
    午後5時より餅投げ


と、いうことで、お近くの方は行ってみてくださいね。


さて、私はららさんの車で豊橋駅に向かい、他の三人はみーららさんの車で名古屋に向かいました。

三人は、名古屋に泊まり、次の日は知多半島の荒熊神社に行っていました。

ららさんが、18:00代に「ひかり」があるからと言っていて、待っていましたが、スピードが早いので人気が高く、自由席もかなり満員で、新横浜まで立って帰りました。

一時間ちょっとだったので、大丈夫でしたけどね。
いつもの通勤に比べればということで、日頃は大事ですね。

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竹島に行きました その2

2019-04-18 07:30:28 | 日記
竹島の八百富神社に行く話を、愛知県西尾市在住のOさんに伝えると、


M子さん、おみくじ引いてくださいね。


と、言っていました。
彼は、ここのおみくじの筒を持つと、いきなり飛び出した棒が、「1番」で、驚いたそうですが、その「1番」は、なんと「大大大吉」で「大」が三つも付いていたそうです。

私は、おみくじはほとんど引いたことがありません。
神社にもずいぶん行っていますが、御朱印もいただいていません。
多分これからも変わらないでしょうね。

でも、今回はOさんに言われたので、社務所でおみくじを引いてみました。

Oさんが言っていたように、棒は飛び出すことはなく、かなり振ってやっと出てきたのは、「42番」で「吉」でした。

氏子のwazuさんは、「1番」の大大大吉を二回引いたことがあるそうで、若い時に引いた時は、太鼓を叩いてお祝いしてくれたそうですよ。

拝殿で、お参りしました。



Iさんが、記事にしていて私達三人(みこちゃん、いくちゃん、私)と江ノ島で会わせていただいたきっかけの「福種銭」ですね。



🐷 竹島&江ノ島徒然


私とすれば、やっと来ることが出来たと感じました。
とはいえ、またみんなの計画に乗ってでしたけどね。

宝島の絵も飾ってありました。



このジャンパーは、横浜の地下を歩いていて、目が離せなくなって購入しました。

奥の方には、「八大龍王神社」もありました。



この日は、wazuさんやららさんによると、かなり沢山の人出だったようです。
いつもは、誰もいないことが多いらしいです。
島の向こう側の海です。




やっぱり、龍神さんの雲が。。。




ぐるっと廻る遊歩道をみんなで歩いていました。
Iさんは、以前松葉杖をつきながらここを歩いていたのか?と思う、ところどころ岩がゴツゴツした道でした。

竹島にいる時は、穏やかだったのに、また橋を歩いている時は、スゴい風でした。

向こうの山に見えるのは、Iさんがお茶をしていた「蒲郡クラッシックホテル」さんですね。



もう、1時を過ぎていたので、Iさんの記事にあるうどん屋さんの「やをよし」さんに行ってみましたが、人気店だけに中を見ると、待っている人が沢山いたので「ホテル竹島」に戻って来て日本料理店の「常磐」さんにお願いしてみました。




時間的にはオーダーギリギリでしたが、個室のお部屋で、かなり豪華な昼食となりました。



個室だったので、心おきなくポンチキ会話も出来ましたよ。

皆様、私のブログを読んでいるので、こういう時は、まだ記事にしていない話をすることが多いのですが、この時はスペインのバルセロナで、座敷わらしのツカヘイの奥さんのハナちゃんが生まれ変わった話をしていて、みんなビックリしていました。


私)なんか、驚いちゃったんだけどさ。
ハナちゃんは、スペインのバルセロナで生まれたって言うのよ。

みんな)えーーーー!

私)それでさ。何だかガウディも話してきちゃってさ。
ヤスケとキミの積み木の話から、ずっと繋がっていたみたいなんだよねー。


この話については、4月3日に記事にしていました。


🐶 ハナちゃんの話


ここで、また驚いたことがありました。

ガウディの話をしていたら、wazuさんのお父さんは、建築関係のお知り合いが多くて、現在サクラダ・ファミリアの建築を任されている日本人の主任彫刻家の外尾 悦郎さんには
、ずいぶん前にお会いしたことがあるそうです。

本当にどこでどう繋がるかわからないですね。


私は、横浜に帰らないといけないので、そんなにゆっくりは出来なかったのですが、この時に振り子を持つと、


みーーーーとーーーー


と、指していて、ららさんがすぐ、検索して、


M子さん、割りと近くに「みと神社」がありますよ。
「御津」って書いて「みと」って読むみたいです。


私) へぇーー。そうなんだー。
何だか、そこのことみたいだね。


と、いうことで、wazuさんとはここでお別れして、私達6人はららさんとみーららさんの車に乗り込み、よくわからない「御津神社」を目指しました。



続きます。
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瀬田の龍神とスセリヒメとスサノオノミコトの話

2019-04-15 07:30:59 | 日記
最近、品川神社にいる瀬田の龍神がスゴい龍神だと改めてわかったのですが、実は隅田川の龍神が乱視なので、助けている虹龍の子供のカナカナカナが言っていたことでもあります。
カナカナカナにとっては、師匠の師匠になるそうです。

その瀬田の龍神がある方を助けてくれて、お礼は何がいいかと言われたので聞いてみると、「わらび餅」だと言われました。

その方は、言われた通りに蜜のかかった「わらび餅」を探して食べてくれました。



それに対して、瀬田の龍神が言っていた話です。

私が、3月17日の夜に瀬田の龍神と話すと、上機嫌な感じでした。


瀬田の龍神だ。

「わらび餅」食べましたか?

「わらび餅」ありがとう。

おいしかったですか?

おいしかったよ。
センスがいいと、伝えてくれ。
餅がモチモチだったよ。
飲みたい物もあるよ。

何が飲みたいのですか?

隅田川サイダーだよ。
隅田川サイダーも飲みたいよ。


その後に話してきたのは、カナカナカナでした。


カナカナカナです。
瀬田のおじ様は、酔っているので朝の方がいいですよ。


瀬田の龍神が上機嫌だったのは、酔っぱらっていたみたいですね。(笑)
次の日の朝に、また話してみました。


瀬田の龍神だ。
昨日は、つい飲み過ぎたな。
熱海に行くのはいつだ。

3月21日に行く予定ですよ。

うどん食べたらいいよ。

うどんですか?

「熱海・うどん」で調べたら出てくるからな。
リクエストしているのは、常にいるスセリヒメだよ。
おとなしいから言えないそうだ。


スセリヒメは、控え目な性格みたいですね。
うどんについて聞いてみました。


スセリヒメです。
瀬田の龍神に言われて嬉しいです。
お願いします。
「あしたばうどん」食べてくださいね。

3月21日に食べますね。

わかりました。
とんこつラーメンは、(息子の)マスラオが好きなのですが、私はうどんが好きです。



私は、「熱海・あしたばうどん」で調べてみました。
ついでに、「隅田川・サイダー」も調べました。


すると、熱海の商店街の真ん中にある、「泉八」さんに「あしたばうどん」があることがわかりました。

そして、隅田川サイダーは、トーキョーサイダーというのサイダーがあることがわかりました。

🌟墨田区にあります『丸源(まるげん)飲料』さんの製品で、墨田区だけの限定販売だそうです。
元々、戦後に愛されていた『トーキョーサイダー』を完全に復刻させたものです。
『オリジナルバージョン』の他に『スカイツリーバージョン』というのもあります。



瀬田の龍神は、このサイダーのことを言っていたようです。

3月21日は、会社の人二人を熱海のマンションに呼んでいました。
マンションに行く前に通った商店街の「泉八」さんで、「あしたばうどん」をちゃんと食べましたよ。



丁度、この頃に4月21日の「魂の会」の計画が始まっていました。

そんな時に、スサノオノミコトがとても長い話をしていたのです。
ノートは、3ページに渡っていました。


友達の輪が広がりそうだな。

どなたですか?

スサノオノミコトだよ。
リーインカネーション(輪廻)のことがわかる人達が集まると思うよ。
ツンドラのところに、魂の製造ラインが出来てきたよ。
来年には完成するだろう。
知床の岬にハマナスが咲く頃。。。
すぐ、夏になるな。
今年は新しい年だから、スサノオノミコトの「特製 若返りの薬」を作ってあげるよ。

ありがとうございます。

一年おきに作っているからな。
M子は、なんとか後30年がんばってほしいのだ。
Iもそうだよ。
「平成」も30年だっただろう。
今度の元号も30年続いて欲しいからな。
美智子のような妃(きさき)は、そうはいないからな。
妻でずいぶん違うよ。
友達でもずいぶん違うよ。
M子は、沢山の友達が出来たし、これからも増えていくだろう。
私達の積もる話をこんなに正確に伝えてくれる人は、そうはいないよ。
Iも伝わっているが、二人でひとつだからな。
テラ(地球)の時は、ずっと昔からの話だが、人間が伝えられるようになったのは、せいぜい2000年だろう。
キリストの誕生で分けているが、その前の事柄はわかっていないよな。
テラの歴史は、時を越えて伝えたいのだよ。
齢(よわい)を重ねないとわからないことだが、子供の心がないと信じられないことばかりだからな。
本当のことは、つまらないことが大事だと何度も言っているように、伝わっていないものだよ。
土が大事だとか、風が大事だとか、木が大事だとか、わかってくれる人が増えると、病気はずいぶん無くなるのだけどな。
薬では、体は治せないよ。
体は治るように出来ているのだからな。
私は薬を作るのがうまかったのだが、薬はどんないい薬でも、治すのは自分なのだということがわからないと、効かないのだよ。
魂が病んでいたら治らないしな。
魂の修復が大事だということだな。
魂の修復に大事なのは、羅漢(らかん)になることだよ。
羅漢になるということは、「利他の心」ということだ。
生きていることに感謝し、友達に感謝し、回りの全てに感謝することだな。
神は、自分の内(うち)にあるのだからな。
強くなったな、M子は。
本当にノナの魂の源(みなもと)だな。
私の先祖でもあるノナ王女の魂が、今も生きていることに驚いているよ。
死ーーーーが別つまで頼んだよ。
ありがとう。


私は、下書きをするのに、この長い文章を読み直して、また涙が出てしまいました。

スサノオノミコトは、私が話し始めた頃は、なんだか傷付いていたのか、あまり長く話すことはありませんでした。
今は、以前の力を取り戻したように思えて、何度も繰り返し伝えられることは、一環していてぶれることはないのです。

冒頭のわらび餅の方も、私の話に耳を傾けてくださり、とても不思議なことが沢山起こっていました。

少しでもお役に立てて、良い方向になればと、心からお祈りしております。

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伊勢神宮に行きました その2

2019-04-14 07:30:26 | 日記
おはらい町通りは、やっぱり混んでいて、歩くのもやっとの感じでした。

私は、以前にIさんが連れて行ってくれた「すし久」さんに行こうと二人に言って、歩いていました。

いつも誰かについていく私が案内するので、二人はちょっと心配だったようです。


Mちゃん、どの辺?

確か、右側にあった。


行動的な、Uさんはどんどん前を歩いていました。
私としてはしばらく歩いて、お店があったので、ホッとしました。



お店に入って名前を書いて待っていましたが、かなりの人が待っていたので、様子を見ていると、係の女性が手慣れた様子で、お客さんをさばいていました。

一階席の空いた席にどんどん名前を呼んでだいぶ入ったのですが、まだ私達の番ではありませんでした。

前回は、Iさんの絶妙の時間で全然並ばなかったのでわからなかったのですが、「すし久」さんは、二階席もあることがわかり、私達が呼ばれたのは、二階席でした。

二階の廊下はかなり長くて、奥に進んで行くと、テーブル席があり、そこもびっしりの人達でした。

やっぱり、「てこね寿司」でしょうと、三人で頼み、ビールで乾杯しました。



Sさんは、少し前に会っていましたが、Uさんは暮れの忘年会以来だったので、4月の人事異動で勤務場所が変わった話をしていました。

会社は、どんどん変わっていて、私達はほとんど休まず夜遅くまで働いていたので、変化を激しく感じます。

丁度いい時期に定年になって良かったのかもしれませんね。

「すし久」さんは、由緒もありかなり歴史のあるお店であることが、下書きをするのに調べてわかりました。
そして、席数はなんと228席もあることもわかりました。
相当な繁盛店ですね。


🌟「すし久」さんのHPより抜粋


おはらい町通りの中ほどにある、ひときわ大きな古いたたずまいの店が「すし久」です。
この建物は、明治2年の遷宮時に出た宇治橋の古材を一部使用して建てられております。
これは民間において神宮の古材を下賜(かし)された唯一の例で、伊勢の貴重な文化資産でもあります。
すし久の創業は、参宮客で賑う天保年間。
まち筋と五十鈴川が最も近づいた現在の場所に初代森田久造がすし屋をはじめて以来、料理旅館として明治から昭和初期に最も繁栄をきわめ、勅使の宿をも努めてまいりました。
大東亜戦争後は一時休業しておりましたが平成元年に現在の田舎料理店として蘇りました。

窓の外には清流五十鈴川が広がっており、春には桜、秋には紅葉が見られ季節の移ろいを感じていただけます。
このような、旅籠の風情を残した純日本風のたたずまいの中で召し上がっていただく料理は、伊勢志摩の田舎料理です。
その中でも最も人気が高い料理は「てこね寿し」です。
「てこね寿し」とは、昔鰹漁に出たこの地方の漁師さんたちが、釣った鰹の身を、船上で醤油漬けにし、 あらかじめ用意していた酢飯と混ぜあわせました。この時、手で豪快に混ぜて食べたことからこの名が付きました。





二階の廊下から撮りました。
五十鈴川側と表通り側の感じです。
まさに旅籠の風情ですね。


帰りの新幹線の時間は、決まっていて、そんなにゆっくりは出来なかったので、おはらい町の入口近くの「赤福」さんでお土産を買って、またバスに乗って宇治山田駅に向かいました。



宇治山田駅で、電車を待っている間、お土産を見ていると伊勢米が目についたので、自分の家とIさんのお土産として購入しました。



このお米については、買わなくちゃと思ったのですが、Iさんに📩をすると、何だか感じていたようです。

丁度、彼は炊飯器を買っていたタイミングだったからですね。(笑)


🐷 踊り炊き♪


近鉄に乗り込み名古屋駅に向かうまでは、席が空いていたので座席に置いて求めたお守りを写してみました。



私とHさんのお守りですね。


家には1月に行った椿大神社の病気平癒のお守りと、伊勢神宮のお守りが揃いました。

夫は、私がどこに行っているか、詳しくは知りませんが、珍しく素直に受け取って近くに置いています。



夫の状況は、暮れに比べればかなり良くはなって私としてはホッとしています。

最近も通院でいつも使っている介護タクシーの方が、

歩けるようになって良かったですね。
少し、痩せられましたか?

と、おっしゃっていましたが、痩せたのではなく、むくみのせいで思うように動けなかったのです。
むくみが退いて10キロくらい体重が減ったのですね。

荒熊神社の清水宮司さんも、いつも夫のためにお祈りして下さっているようで、ありがたいことです。


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伊勢神宮に行きました

2019-04-13 07:30:05 | 日記
今年の1月にみんなで椿大神社(つばきおおかみやしろ)に行った時に、私は夫のことがあり宿泊出来なかったので、2日目の伊勢神宮には行かれませんでした。

3月の始めの金土曜日で、同じ会社の友達二人が、伊勢に泊まりで行くという話があり、私も誘ってくれたのですが、予定では土曜日に伊勢神宮に行くとのことだったので、日帰りで合流することにしました。

朝から新幹線で名古屋に行き、近鉄で、宇治山田の駅で待ち合わせしました。

友達二人は、もうかれこれ20年以上のお付き合いになりますが、入社がほぼ同じなので、リフレッシュ休暇のタイミングで、一緒に海外旅行に行っていた仲間です。

10年目のオーストラリアと15年目のオーストラリアは、一緒でしたが、20年目のハワイ島は、Uさんとは一緒でしたが、Sさんはその時は一緒ではなかったので、久しぶりに泊まりの旅行が伊勢だったのです。

私も、1月に伊勢神宮に行き損なっていたので、これはやっぱり行かないとと思って出掛けました。

宇治山田の駅から始発のバスで伊勢神宮に向かいましたが、途中のバス停はスゴい行列なのに、バスも満員で乗れる人は全然いなかったので、友達の判断は正解でしたね。

とても気持ちの良い天気で、やっぱり来て良かったと思いました。





伊勢神宮は、相変わらず大人気で沢山の人が宇治橋を渡っていました。

1月にIさんに、お札をお願いしていたので、今まで家にあったお札をお返しするのも目的としてありましたが、1人旅で席も空いていたので、振り子で、何か求める物はないかと聞いてみると、


M子は、青いお守りを。
Hには、黄色のお守りを。


と、言われていたので、何のお守りだかは判らず、とりあえず行けばわかるかな?と思いました。

Hさんは、その少し前に、ご家族のご病気についてお話しした方でした。

私達は、内宮の拝殿に向かって歩いて行きました。
五十鈴川は、やっぱりキレイでしたね。



お札やお守りがある場所で、私はやっぱり驚いていました。

お守りは、いろいろあるのですが、青と黄色のお守りは、病気平癒のお守りだったからです。



私は元気なので、きっと青いお守りは夫にということでしょうね。


その後は拝殿に行って、お参りをしましたが、沢山の方がいらしていた中で、丁度、どちらかの会社の人達が拝殿の敷地の中に入って行くのが見えたので、私達三人は左の方でその様子を見ていました。

社長さんらしき方と一緒なのは、新入社員と思われる若い人達10人くらいで、儀式が始まると、それまで動かなかった御簾が、風でかなりな高さまで上がっていて、横から見ていても、ビックリするような感じでした。

その後は、伊勢神宮の神気のある道を深呼吸しながら歩いていました。



やっぱり、神様達がいつも言っているように、土と風と木は、大事だと思いますね。







私達は、昼御飯を食べようと、おはらい町通りに向かいました。


続きます。

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