5月19日(土)は、横浜市の戸塚に行く用事があったので、帰りに、運動不足の解消も兼ねて藤沢まで旧東海道を歩いてみました。
尚、旧東海道は藤沢駅北口行きのバスも走っているので、途中で疲れたらバスに乗ることもできます。
<戸塚駅>
用事が済んだので、戸塚駅東口遊歩スクエアを通って、西口の近くにある清源院に行ってみました。
清源院に向かって西口遊歩スクエアを歩いていると、旧東海道沿いに小さな建物が見えたので撮ってみました。
アップで撮ると洋館風の司命堂医院(しめいどういいん)でしたが、駅の近くにお医者さんがあるのは良いですね!
今度は、外壁にご覧のような緑(植木?)のある駐車場があったので撮ってみました。
<清源院(せいげんいん)>
旧東海道沿いにある「清源院入口」信号を右に曲がると、清源院の山門がありました。
取り敢えず、境内と一緒に本堂を撮ってみました。
立派な本堂で、迷わないで藤沢駅北口に着けますようにお参りをしました。
お参りしてから本堂の入口を撮ってみました。
本堂の山号(南向山)が左から書かれていたので、本堂は最近になって再建されたみたいです。
毘沙門天の隣りに、戸塚の俳人の味岡露繡が建てた「芭蕉の句碑」がありました。
句碑には、『栗といふ文字は にしの木と書いて 西方にたよりありと 行基菩薩は 一生杖にも柱にも 此の木を用給ふとかや 世の人の見つけぬ 花や軒のくり はせを』と書いてありました。
又、石段の下に、ご覧のような「心中句碑」もありました。
文久3年、清三郎・マヤの両人が心中して建てられた句碑には、『井にうかぶ 番(つがい)の果てや 秋の喋』と書かれていました。
折角なので、「心中句碑」の脇の石段を上ってみました。
石段の上はお墓になっていて、右側の奥には鐘楼がありました。
又、左側には、ご覧のような石段があったので登ってみました。
上にも、お墓と石段がありましたが、これ以上、上に行っても仕方がないので止めにしました。
境内に戻って本堂の横に行くと、阿弥陀さまの「倶会一処(くえいっしょ)」があったのでアップで撮ってみました。
奥に行くと、ご覧のような水汲み場がありました。
水汲み場の水道の蛇口が、ご覧のようになっていたのでアップで撮ってみました。
<内田本陣跡>
清源院を後に、旧東海道に戻り藤沢方面に向かいました。
先程の司命堂医院の前に遣って来たので入口を撮ってみました。
司命堂医院の診療科目は、ご覧のようにかなり多いですね!
「バスセンター前」の信号を渡ると、標識<内田本陣跡>があったので撮ってみました。
尚、本陣は、大名、勅使、公卿、宮門跡、公用の幕府役人などだけが宿泊や休憩ができた施設みたいです。
<澤邊本陣跡>
旧東海道を歩いていると、道路の反対側に標識<澤邊本陣跡>があったので渡ってみました。
澤邊本陣は戸塚宿に2つあった本陣のうちの1つです(もう1つは、先程の内田本陣です)。
「明治天皇戸塚行在所跡」の石碑もありましたが、後の民家を撮っているようなので早々に退散しました。
<海蔵院(かいぞういん)>
戸塚消防署を超えると、右側に寺院の屋根が見えたので坂道を上ってみました。
坂道の左側に、海蔵院の案内板が出ていたので行ってみました。
駐車場の奥に海蔵院の門柱があったので撮ってみました。
門柱の左側奥に鐘楼があったので見に行ってみました。
梵鐘の下には古い木材などが積まれていて、海蔵院山門修復事業の看板が置いてありました。
鐘楼の横を通って本堂に行ってみることにしました。
鐘楼の脇に、小さな心仏(こぼとけ)がいたのでアップで撮ってみました。
近くに、ご覧のような植物(カシワバアジサイ?)があって、円錐状の花を付けていました。
あまり見たことのない花だったのでアップで撮ってみました。
本堂の前に遣って来たので、本堂を撮ってみました。
本堂で、無事に藤沢駅まで行けるようにお参りをしました。
お賽銭箱の手前に、ご覧のような「もちあがり地蔵」がありました。
「もちあがり地蔵」は何のためにあるのか分かりませんが、重たくて持ち上がらと言う意味ですかね!?
⇒ 因みに、片手で持ち上げてみましたが、持ち上がらないほど重くはありませんでした。
本堂の脇にも、ご覧のような心仏がいたので撮ってみました。
本堂を後に、山門に向かって歩いていると、ご覧のようなアジサイが咲いていました。
今年、初めて見る素晴らしいアジサイだったのでアップで撮ってみました。
山門の手前に、2列に並んでいる六地蔵尊があって、珍しかったので撮ってみました。
山門に着いたので、由緒ありそうな山門を撮ってみました。
ついでに、立派な竜の彫刻と山号(惠照山)をアップで撮ってみました。
山門の先に、七福神の布袋様がいたのでアップで撮ってみました。
⇒ 若しかしたら、清源院に毘沙門天様がいたので「戸塚宿七福神めぐり」があるかも知れませんね!?
山門の下は、ご覧のような参道になっていて旧東海道に出れました。
<八坂神社(やさかじんじゃ)>
旧東海道に出て5分程歩くと、右側ご覧のような鳥居のある八坂神社に着きました。
鳥居をくぐると、左手に横浜市指定無形民俗文化財「お札まき」の説明案内板がありました。
説明案内板には、『お札まきは、7月14日の八坂神社の夏祭りに行う踊りで、同社の元禄再興とともに始まったと伝えられています。この踊りは、江戸時代中期、江戸や大坂で盛んに行われていましたが、やがて消滅し、現在は東海道の戸塚宿にだけ伝え残されています。・・・』と書かれていました。
正面には拝殿、左には境内社の稲荷社、右には神楽殿がありました。
左右の可愛らしい狛犬を撮って拝殿に向かいました。
取り敢えず、立派な拝殿をアップで撮ってみました。
ついでに、右側の神楽殿もアップで撮ってみました。
鳥居の右側に、「明治天皇東幸史蹟」があったのでこちらも撮ってみました。
又、鳥居に左側に、国土地理院関東地方測量部の水準点があったので撮ってみました。
<冨塚八幡宮(とみづかはちまんぐう)>
「八坂神社前」の信号を渡って暫く進むと、右側に冨塚八幡宮の鳥居がありました。
取り敢えず、ご覧のような手水舎で身を清めて境内に入りました。
境内に、神輿庫があったので撮ってみましたが、神輿は外ガラスが光ので撮れませんでした。
ご覧のような階段を上って拝殿に向かいました。
階段を上ると、由緒ありそうな拝殿があったので撮ってみました。
拝殿の手前に、可愛らしい狛犬がいたので撮ってみました。
折角なので、お参りしてから拝殿の内部を撮らせていただきました。
拝殿の左側に、境内社の冨塚天満宮と玉守稲荷神社がありました。
折角なので、冨塚天満宮の社殿をアップで撮ってみました。
傍の説明案内板に依ると、此の社殿は明治元年に建立し、境内の奥まった所にあったみたいです(平成12年に移設)。
ついでに、石段を上って玉守稲荷神社をアップで撮ってみました。
玉守稲荷神社の石段を下りると、右側に御嶽大権現が祀ってあったので撮ってみました。
御嶽大権現の奥に、ご覧のような石仏群があったので撮ってみました。
境内の外れに、青色の目印を埋め込んである場所がありました。
傍に行ってみると、目印には『ここに21世紀へのメッセージをタイムカプセルに託す。』と書いてありました。
拝殿の横に戻って来ると、拝殿の後ろに本殿(?)が見えたので撮ってみました。
冨塚八幡宮の北側には冨塚古墳や冨塚八幡緑地がありますが、別の機会に行くことにして、ご覧のような急な階段を下って境内に戻りました。
冨塚八幡宮の前にある横断歩道を渡って、秋葉神社に行ってみることにしました。
<秋葉神社・諏訪社>
横断歩道の先の細い道を暫く歩いて右に曲がると、標識<秋葉神社 諏訪社>がありました。
秋葉神社と諏訪社の関係は分かりませんが、取り敢えず、階段を上ってみました。
階段の上に着くと、鳥居と社殿がありました。
鳥居の先には何も見えなかったので、社殿の方に行ってみました。
取り敢えず、ご覧のような社殿を撮ってみました。
社殿の扁額(秋葉神社)をアップで撮ってみました。
扁額が斜めになっているところを見ると、手入れがあまり行われていないようです。
秋葉神社の後から諏訪社に行って、社殿と石塔(烏帽子水干姿の人物が彫ってある?)を撮ってみました。
折角なので、諏訪社の鳥居を撮ってみました。
階段を下りて来た道を戻って、再び旧東海道に出て藤沢方面に向かいました。
<第六天神社>
旧東海道を10分程歩くと、右側に第六天神社があったので境内に入ってみました。
取り敢えず、比較的新しい社殿と扁額を撮ってみました。
2つに割れて補強されている石碑を後から撮ってみました。
石碑の表に回ると「藤行翁之碑」と読めますが、何者なんでしょうね!?
第六天神社からは、「大坂」の名前が付いている上りの長い坂道になります。
<大坂(おおさか)>
坂道の途中に、ご覧のような石仏群があったので撮ってみました。
旧東海道の上は、東海道の新道になっているので、階段を登れば新道に出れます。
<十ノ区あじさい公園>
第六天神社から坂道を10分程上ると、ご覧のような「十ノ区あじさい公園」に着きましたが、アジサイは2ヶ所しか咲いていませんでした。
取り敢えず、貴重なアジサイをアップで撮ってみました。
もう1ヶ所のアジサイも撮って、公園を後にしました。
<大坂松並木>
大坂を更に上ると、ご覧のような見晴らしの良い丘(新道大坂上)に着きました。
近くに、標識<大坂松並木>があったので撮ってみました。
振り返って、中央分離帯の松並木を撮ってみたのですが・・・
又、先の方も撮ってみたのですが、松並木かどうかは分かりません。
<「お軽勘平戸塚山中道行の場」の碑>
標識<大坂松並木>から旧東海道を7~8分歩くと、老人ホームの前に「お軽勘平戸塚山中道行の場」の碑がありました。
取り敢えず、「お軽勘平戸塚山中道行の場」の碑を撮ってみました。
傍に、「碑石の由緒」があったので読んでみましたが良く分かりません。
私が知っているのは、お軽・勘平は仮名手本忠臣蔵に登場する人物で、勘平は討入りには参加していませんが、討入り連判状に加えられた人物と言うこと位です。
<原宿一里塚跡>
「お軽勘平戸塚山中道行の場」の碑から旧東海道を5分程歩と、ご覧のような標識が出ていました。
宝製菓の工場でもあるのか「宝ビスケット」の看板が出ていました。
更に5分程歩くと、標識<原宿一里塚跡>があったので撮ってみました。
<浅間神社(せんげんじんじゃ)>
旧東海道を歩いていると、道路の反対側に浅間神社があったので行ってみました。
取り敢えず、鳥居を撮ってみました。尚、鳥居の手前右にあるのは庚申塚です。
ご覧のような参道を通って社殿に向かいました。
参道に、常緑高木でブナ科のスタジイの大木があったので撮ってみました。
境内から社殿が見えたので撮ってみました。尚、左にあるのは原宿町内会館です。
社殿でここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから竜の彫刻と扁額を撮ってみました。
社殿を横から撮って、参道に戻りました。
ご覧のような参道を下って、旧東海道に戻りました。
<大運寺(だいうんじ)>
浅間神社を後に、旧東海道を5分程歩くと右側に大運寺がありました。
六地蔵尊を撮ってから、門は閉まっていました山門に行ってみました。
山門は閉まっていましたが、横の通用門から境内に入れました。
門の近くに、将棋を指している羅漢様がいました。
近くに、法然上人の銅像があったので撮ってみました。
又、参道の左側に、ご覧のような手水舎と二宮金次郎の石像があったので撮ってみました。
参道の先に、本堂が見えたので行ってみました。
左側に、歌碑『月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ』と勢至丸(法然上人の幼名)像があったので撮ってみました。
本堂の石段下に着いたので、下から本堂を撮ってみました。
石段を上って、お参りしてから向拝と扁額を撮ってみました。
折角なので、本堂の内部も撮らせていただきました。
大運寺の山門を撮って、旧東海道に戻りました。
<聖母の園>
原宿交差点を渡ると、バス停「聖母の園前」がありました。
「聖母の園」が気になったので、旧東海道を外れて住宅地に入ってみました。
住宅地の中を10分程歩くと、特別養護老人ホーム「聖母の園」がありました。
取り敢えず、園内を撮らせて頂きましたが、クリニックやテニス場もありました。
<ウイトリッヒの森>
「聖母の園」の先に「ウイトリッヒの森」があるので行ってみました。
「ウイトリッヒの森」は、スイス人技術者のアーノルド・ウイトリッヒ氏が所有していましたが、相続者が横浜市に寄贈した市民の森みたいです。
「ウイトリッヒの森」は竹林や広場もあって広さは3.1haありますが、今回は散策するのは諦めました。
来た道を戻っていると、電柱にリスがいました。
どうやら「聖母の園」から電線を伝わって遣って来たみたいです。
下りる場所を探しているのか、辺りを見渡していたのでアップで撮ってみました(最終的に下りて何処かに行ってしまいました)。
<崎陽軒レストラン>
旧東海道に戻って暫く歩くと、焼売で有名な崎陽軒のレストランがありました。
取り敢えず、看板を撮ってレストランの入口に行ってみました。
今日は貸切みたいなので、建物の入口を撮って旧東海道に戻りました。
<影鳥歩道橋東側>
旧東海道を10分程歩くと「影鳥歩道橋東側」の信号に着きました。
傍にあった電柱の宝製菓の矢印が右矢印に変わっていました。
今まで直進の矢印しか見ていなかったので、何故か目的地に着いた感じがしました。
ホッ!として歩いていると、藤沢駅北口行きのバスが来たので乗ってしまいました。
藤沢駅に着いたので、いつもの居酒屋に入って飲んで帰りました。
今回の「旧東海道(戸塚宿~原宿)をぶらり」は、殆ど下調べはしていなかったのですが、旧東海道沿いにある神社仏閣が回れたので満足しています。
又、万歩計は19,000歩を超えていたので運動不足の解消にもなりました。
尚、旧東海道は藤沢駅北口行きのバスも走っているので、途中で疲れたらバスに乗ることもできます。
<戸塚駅>
用事が済んだので、戸塚駅東口遊歩スクエアを通って、西口の近くにある清源院に行ってみました。
清源院に向かって西口遊歩スクエアを歩いていると、旧東海道沿いに小さな建物が見えたので撮ってみました。
アップで撮ると洋館風の司命堂医院(しめいどういいん)でしたが、駅の近くにお医者さんがあるのは良いですね!
今度は、外壁にご覧のような緑(植木?)のある駐車場があったので撮ってみました。
<清源院(せいげんいん)>
旧東海道沿いにある「清源院入口」信号を右に曲がると、清源院の山門がありました。
取り敢えず、境内と一緒に本堂を撮ってみました。
立派な本堂で、迷わないで藤沢駅北口に着けますようにお参りをしました。
お参りしてから本堂の入口を撮ってみました。
本堂の山号(南向山)が左から書かれていたので、本堂は最近になって再建されたみたいです。
毘沙門天の隣りに、戸塚の俳人の味岡露繡が建てた「芭蕉の句碑」がありました。
句碑には、『栗といふ文字は にしの木と書いて 西方にたよりありと 行基菩薩は 一生杖にも柱にも 此の木を用給ふとかや 世の人の見つけぬ 花や軒のくり はせを』と書いてありました。
又、石段の下に、ご覧のような「心中句碑」もありました。
文久3年、清三郎・マヤの両人が心中して建てられた句碑には、『井にうかぶ 番(つがい)の果てや 秋の喋』と書かれていました。
折角なので、「心中句碑」の脇の石段を上ってみました。
石段の上はお墓になっていて、右側の奥には鐘楼がありました。
又、左側には、ご覧のような石段があったので登ってみました。
上にも、お墓と石段がありましたが、これ以上、上に行っても仕方がないので止めにしました。
境内に戻って本堂の横に行くと、阿弥陀さまの「倶会一処(くえいっしょ)」があったのでアップで撮ってみました。
奥に行くと、ご覧のような水汲み場がありました。
水汲み場の水道の蛇口が、ご覧のようになっていたのでアップで撮ってみました。
<内田本陣跡>
清源院を後に、旧東海道に戻り藤沢方面に向かいました。
先程の司命堂医院の前に遣って来たので入口を撮ってみました。
司命堂医院の診療科目は、ご覧のようにかなり多いですね!
「バスセンター前」の信号を渡ると、標識<内田本陣跡>があったので撮ってみました。
尚、本陣は、大名、勅使、公卿、宮門跡、公用の幕府役人などだけが宿泊や休憩ができた施設みたいです。
<澤邊本陣跡>
旧東海道を歩いていると、道路の反対側に標識<澤邊本陣跡>があったので渡ってみました。
澤邊本陣は戸塚宿に2つあった本陣のうちの1つです(もう1つは、先程の内田本陣です)。
「明治天皇戸塚行在所跡」の石碑もありましたが、後の民家を撮っているようなので早々に退散しました。
<海蔵院(かいぞういん)>
戸塚消防署を超えると、右側に寺院の屋根が見えたので坂道を上ってみました。
坂道の左側に、海蔵院の案内板が出ていたので行ってみました。
駐車場の奥に海蔵院の門柱があったので撮ってみました。
門柱の左側奥に鐘楼があったので見に行ってみました。
梵鐘の下には古い木材などが積まれていて、海蔵院山門修復事業の看板が置いてありました。
鐘楼の横を通って本堂に行ってみることにしました。
鐘楼の脇に、小さな心仏(こぼとけ)がいたのでアップで撮ってみました。
近くに、ご覧のような植物(カシワバアジサイ?)があって、円錐状の花を付けていました。
あまり見たことのない花だったのでアップで撮ってみました。
本堂の前に遣って来たので、本堂を撮ってみました。
本堂で、無事に藤沢駅まで行けるようにお参りをしました。
お賽銭箱の手前に、ご覧のような「もちあがり地蔵」がありました。
「もちあがり地蔵」は何のためにあるのか分かりませんが、重たくて持ち上がらと言う意味ですかね!?
⇒ 因みに、片手で持ち上げてみましたが、持ち上がらないほど重くはありませんでした。
本堂の脇にも、ご覧のような心仏がいたので撮ってみました。
本堂を後に、山門に向かって歩いていると、ご覧のようなアジサイが咲いていました。
今年、初めて見る素晴らしいアジサイだったのでアップで撮ってみました。
山門の手前に、2列に並んでいる六地蔵尊があって、珍しかったので撮ってみました。
山門に着いたので、由緒ありそうな山門を撮ってみました。
ついでに、立派な竜の彫刻と山号(惠照山)をアップで撮ってみました。
山門の先に、七福神の布袋様がいたのでアップで撮ってみました。
⇒ 若しかしたら、清源院に毘沙門天様がいたので「戸塚宿七福神めぐり」があるかも知れませんね!?
山門の下は、ご覧のような参道になっていて旧東海道に出れました。
<八坂神社(やさかじんじゃ)>
旧東海道に出て5分程歩くと、右側ご覧のような鳥居のある八坂神社に着きました。
鳥居をくぐると、左手に横浜市指定無形民俗文化財「お札まき」の説明案内板がありました。
説明案内板には、『お札まきは、7月14日の八坂神社の夏祭りに行う踊りで、同社の元禄再興とともに始まったと伝えられています。この踊りは、江戸時代中期、江戸や大坂で盛んに行われていましたが、やがて消滅し、現在は東海道の戸塚宿にだけ伝え残されています。・・・』と書かれていました。
正面には拝殿、左には境内社の稲荷社、右には神楽殿がありました。
左右の可愛らしい狛犬を撮って拝殿に向かいました。
取り敢えず、立派な拝殿をアップで撮ってみました。
ついでに、右側の神楽殿もアップで撮ってみました。
鳥居の右側に、「明治天皇東幸史蹟」があったのでこちらも撮ってみました。
又、鳥居に左側に、国土地理院関東地方測量部の水準点があったので撮ってみました。
<冨塚八幡宮(とみづかはちまんぐう)>
「八坂神社前」の信号を渡って暫く進むと、右側に冨塚八幡宮の鳥居がありました。
取り敢えず、ご覧のような手水舎で身を清めて境内に入りました。
境内に、神輿庫があったので撮ってみましたが、神輿は外ガラスが光ので撮れませんでした。
ご覧のような階段を上って拝殿に向かいました。
階段を上ると、由緒ありそうな拝殿があったので撮ってみました。
拝殿の手前に、可愛らしい狛犬がいたので撮ってみました。
折角なので、お参りしてから拝殿の内部を撮らせていただきました。
拝殿の左側に、境内社の冨塚天満宮と玉守稲荷神社がありました。
折角なので、冨塚天満宮の社殿をアップで撮ってみました。
傍の説明案内板に依ると、此の社殿は明治元年に建立し、境内の奥まった所にあったみたいです(平成12年に移設)。
ついでに、石段を上って玉守稲荷神社をアップで撮ってみました。
玉守稲荷神社の石段を下りると、右側に御嶽大権現が祀ってあったので撮ってみました。
御嶽大権現の奥に、ご覧のような石仏群があったので撮ってみました。
境内の外れに、青色の目印を埋め込んである場所がありました。
傍に行ってみると、目印には『ここに21世紀へのメッセージをタイムカプセルに託す。』と書いてありました。
拝殿の横に戻って来ると、拝殿の後ろに本殿(?)が見えたので撮ってみました。
冨塚八幡宮の北側には冨塚古墳や冨塚八幡緑地がありますが、別の機会に行くことにして、ご覧のような急な階段を下って境内に戻りました。
冨塚八幡宮の前にある横断歩道を渡って、秋葉神社に行ってみることにしました。
<秋葉神社・諏訪社>
横断歩道の先の細い道を暫く歩いて右に曲がると、標識<秋葉神社 諏訪社>がありました。
秋葉神社と諏訪社の関係は分かりませんが、取り敢えず、階段を上ってみました。
階段の上に着くと、鳥居と社殿がありました。
鳥居の先には何も見えなかったので、社殿の方に行ってみました。
取り敢えず、ご覧のような社殿を撮ってみました。
社殿の扁額(秋葉神社)をアップで撮ってみました。
扁額が斜めになっているところを見ると、手入れがあまり行われていないようです。
秋葉神社の後から諏訪社に行って、社殿と石塔(烏帽子水干姿の人物が彫ってある?)を撮ってみました。
折角なので、諏訪社の鳥居を撮ってみました。
階段を下りて来た道を戻って、再び旧東海道に出て藤沢方面に向かいました。
<第六天神社>
旧東海道を10分程歩くと、右側に第六天神社があったので境内に入ってみました。
取り敢えず、比較的新しい社殿と扁額を撮ってみました。
2つに割れて補強されている石碑を後から撮ってみました。
石碑の表に回ると「藤行翁之碑」と読めますが、何者なんでしょうね!?
第六天神社からは、「大坂」の名前が付いている上りの長い坂道になります。
<大坂(おおさか)>
坂道の途中に、ご覧のような石仏群があったので撮ってみました。
旧東海道の上は、東海道の新道になっているので、階段を登れば新道に出れます。
<十ノ区あじさい公園>
第六天神社から坂道を10分程上ると、ご覧のような「十ノ区あじさい公園」に着きましたが、アジサイは2ヶ所しか咲いていませんでした。
取り敢えず、貴重なアジサイをアップで撮ってみました。
もう1ヶ所のアジサイも撮って、公園を後にしました。
<大坂松並木>
大坂を更に上ると、ご覧のような見晴らしの良い丘(新道大坂上)に着きました。
近くに、標識<大坂松並木>があったので撮ってみました。
振り返って、中央分離帯の松並木を撮ってみたのですが・・・
又、先の方も撮ってみたのですが、松並木かどうかは分かりません。
<「お軽勘平戸塚山中道行の場」の碑>
標識<大坂松並木>から旧東海道を7~8分歩くと、老人ホームの前に「お軽勘平戸塚山中道行の場」の碑がありました。
取り敢えず、「お軽勘平戸塚山中道行の場」の碑を撮ってみました。
傍に、「碑石の由緒」があったので読んでみましたが良く分かりません。
私が知っているのは、お軽・勘平は仮名手本忠臣蔵に登場する人物で、勘平は討入りには参加していませんが、討入り連判状に加えられた人物と言うこと位です。
<原宿一里塚跡>
「お軽勘平戸塚山中道行の場」の碑から旧東海道を5分程歩と、ご覧のような標識が出ていました。
宝製菓の工場でもあるのか「宝ビスケット」の看板が出ていました。
更に5分程歩くと、標識<原宿一里塚跡>があったので撮ってみました。
<浅間神社(せんげんじんじゃ)>
旧東海道を歩いていると、道路の反対側に浅間神社があったので行ってみました。
取り敢えず、鳥居を撮ってみました。尚、鳥居の手前右にあるのは庚申塚です。
ご覧のような参道を通って社殿に向かいました。
参道に、常緑高木でブナ科のスタジイの大木があったので撮ってみました。
境内から社殿が見えたので撮ってみました。尚、左にあるのは原宿町内会館です。
社殿でここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから竜の彫刻と扁額を撮ってみました。
社殿を横から撮って、参道に戻りました。
ご覧のような参道を下って、旧東海道に戻りました。
<大運寺(だいうんじ)>
浅間神社を後に、旧東海道を5分程歩くと右側に大運寺がありました。
六地蔵尊を撮ってから、門は閉まっていました山門に行ってみました。
山門は閉まっていましたが、横の通用門から境内に入れました。
門の近くに、将棋を指している羅漢様がいました。
近くに、法然上人の銅像があったので撮ってみました。
又、参道の左側に、ご覧のような手水舎と二宮金次郎の石像があったので撮ってみました。
参道の先に、本堂が見えたので行ってみました。
左側に、歌碑『月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ』と勢至丸(法然上人の幼名)像があったので撮ってみました。
本堂の石段下に着いたので、下から本堂を撮ってみました。
石段を上って、お参りしてから向拝と扁額を撮ってみました。
折角なので、本堂の内部も撮らせていただきました。
大運寺の山門を撮って、旧東海道に戻りました。
<聖母の園>
原宿交差点を渡ると、バス停「聖母の園前」がありました。
「聖母の園」が気になったので、旧東海道を外れて住宅地に入ってみました。
住宅地の中を10分程歩くと、特別養護老人ホーム「聖母の園」がありました。
取り敢えず、園内を撮らせて頂きましたが、クリニックやテニス場もありました。
<ウイトリッヒの森>
「聖母の園」の先に「ウイトリッヒの森」があるので行ってみました。
「ウイトリッヒの森」は、スイス人技術者のアーノルド・ウイトリッヒ氏が所有していましたが、相続者が横浜市に寄贈した市民の森みたいです。
「ウイトリッヒの森」は竹林や広場もあって広さは3.1haありますが、今回は散策するのは諦めました。
来た道を戻っていると、電柱にリスがいました。
どうやら「聖母の園」から電線を伝わって遣って来たみたいです。
下りる場所を探しているのか、辺りを見渡していたのでアップで撮ってみました(最終的に下りて何処かに行ってしまいました)。
<崎陽軒レストラン>
旧東海道に戻って暫く歩くと、焼売で有名な崎陽軒のレストランがありました。
取り敢えず、看板を撮ってレストランの入口に行ってみました。
今日は貸切みたいなので、建物の入口を撮って旧東海道に戻りました。
<影鳥歩道橋東側>
旧東海道を10分程歩くと「影鳥歩道橋東側」の信号に着きました。
傍にあった電柱の宝製菓の矢印が右矢印に変わっていました。
今まで直進の矢印しか見ていなかったので、何故か目的地に着いた感じがしました。
ホッ!として歩いていると、藤沢駅北口行きのバスが来たので乗ってしまいました。
藤沢駅に着いたので、いつもの居酒屋に入って飲んで帰りました。
今回の「旧東海道(戸塚宿~原宿)をぶらり」は、殆ど下調べはしていなかったのですが、旧東海道沿いにある神社仏閣が回れたので満足しています。
又、万歩計は19,000歩を超えていたので運動不足の解消にもなりました。
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