5月18日(土)は、「小田急のんびりハイク&ウォーク」の第442回「鎌倉五山と銭洗弁財天」(約12km、徒歩約3時間30分)があったので参加してみました。
尚、コースは次の通りですが、前に行ったことがある寺院は、時間がなそうなので山門でお参りするだけにしました。
藤沢駅-(江ノ電)-由比ヶ浜駅 → 銭洗弁財天 → 寿福寺 → 浄智寺 → 円覚寺 → 建長寺 → 浄妙寺 → 鎌倉駅-(江ノ電)-藤沢駅
小田急線藤沢駅2階の「湘南藤沢コンシェルジュ前」で受付(9:30~10:30)を済ませると、散策マップが貰えるので道に迷うことはなさそうです。
<江ノ電の藤沢駅>
江ノ電の藤沢駅に着いたのでホーム入口を撮ってみましたが、時間的には余裕しゃくしゃくです。
<銭洗弁財天に向かう>
由比ヶ浜駅で降りて、江ノ電の踏切を越えてから県道311号線を渡ります。
県道の信号機の傍に、案内板はありますが、皆さんと一緒なので道に迷うことはありません。
近くに、鎌倉彫の寸松堂(すんしょうどう)があったので撮ってみました。
尚、この建物は鎌倉彫の店舗併用住宅として建てられたもので、鎌倉市景観重要建築物に指定されています。
交差点「佐助1丁目」の手前に遣って来ると、鎌倉税務署の裏口(?)があったので入ってみました。
鎌倉税務署の表玄関は、JR鎌倉駅西口から出ているバス道路沿いにありました。
交差点「佐助1丁目」を越えて5分程歩くと、左側の造成地の奥に竹林が見えたのでアップで撮ってみました。
更に、先に行くと、分岐<銭洗弁財天 寿福寺>に着きましたが、銭洗弁財天に行ってから、ここに戻って来ます。
暫く進むと、左側に佐助稲荷道がありますが、時間があれば帰りに寄ってみることにしました。
<銭洗弁財天>
由比ヶ浜駅からは予定通りの時間(約30分)で銭洗弁財天に着きました。
取り敢えず、説明案内板があったので撮ってみました。
説明案内板には、『文治元年(1185)、巳の月、巳の日、源頼朝に宇賀福神の夢のお告げ「西北の谷に湧き出す霊水で神仏を供養せよ。天下は泰平になるであろう。」があったのが、創建の由来だと言われています。』と書いてありました。
取り敢えず、鳥居を撮って洞窟に入ってみました。
洞窟を抜けると、ご覧のような鳥居群があるので撮ってみました。
鳥居群の手前に、手水舎があるのでアップで撮ってみました。
鳥居群に戻ると、右側に七福神社が見えたので行ってみました。
取り敢えず、お参りしてから扁額「七福神」を撮ってみました。
お参りしてから、内部を撮らせて頂きましたが六福神しかいませんでした。
七福神社でお参りしてから、隣の下之水神宮に行ってみました。
池に、亀のいる島と石碑(字は読めませんでした)があったので撮ってみました。
取り敢えず、お参りしてから扁額を撮ってみました。
折角なので、内部も撮らせて頂きました。
社務所の前に行くと、境内案内図があるので現在地を確認しました。
本宮でお参りしてから奥宮に行ってみることにしました。
取り敢えず、本宮の前に並んでお参りをしました。
次に、銭洗弁財天が祀られている奥宮に行ってみました。
折角なので、奥宮の入口上部を撮ってみました。
奥宮に入ると、右側に、ご覧のような社があるのでお参りをしました。
正面にも、ご覧のような社(?)があるので撮ってみました。
5百円玉があったので、取り敢えず、洗ってみました。
左側に、ご覧のような納札所があるので撮ってみました。
取り敢えず、鳥居群と洞窟を撮って銭洗弁財天の外に出ることにしました。
<寿福寺に向かう>
銭洗弁財天を後に、住宅地を歩いていると、ご覧のような白い花が咲いていたので撮ってみました(名前は分かりません)。
帰り掛けに、佐助稲荷神社の案内があったのですが、銭洗弁財天でゆっくりし過ぎたので行くのは止めました。
寿福寺に向かって歩いていると、山側に素晴らしい紅葉があったので撮りに行ってみました。
又、この辺は源氏山に近いのか(?)、道路の左右に洞穴やトンネルが目立ちました。
途中、ご覧のような佐助隧道を通って先に行きます。
佐助隧道を出ると、案内板があったので撮ってみました。
どうやら、鎌倉駅の手前で左に曲がって、JR横須賀線に沿って上り方面に行くみたいです。
「鎌倉今小路」を歩いていると、秋田県湯沢市の酒蔵を移築・再生した「結いの蔵」があったので撮ってみました。
暫く進むと、ご覧のような巽神社(たつみじんじゃ)があったのでお参りすることにしました。
取り敢えず、鳥居と一緒に巽神社を撮ってみました。
境内掲示板を撮ってみましたが、ご覧のように擦れていて読めません。
境内掲示板には、『延暦20年(801)、蝦夷征伐に向う途中の坂上田村麻呂が葛原岡に勧請、永承4年(1049)に源頼義が改築。壽福寺の南東(巽)に位置することから壽福寺の鎮守として崇められ、巽荒神と呼ばれていた。』のようなことが書いてありました。
由緒ありそうな献灯があったので撮ってみました。
取り敢えず、社殿を撮ってお参りをしました。
お参りしてから、社殿上り口の上部を撮ってみました。
巽神社を後に暫く歩くと、ご覧のような鳥居のある八坂大神(やさかおおかみ)に着きました。
境内に、ご覧のような大きな木があったので撮って社殿に行ってみました。
取り敢えず、社殿を撮ってお参りをしましたが、この神社にも扁額は掛かっていませんでした。
社殿の後に、ご覧のような「神輿之碑」があったので撮ってみました。
又、境内社(子神社?)もあったので撮ってみました。
<寿福寺(じゅふくじ)>
銭洗弁財天からは35分程で、ご覧のような総門のある寿福寺に着きました。
総門には山号「亀谷山」の額が掲げられていました。
寿福寺の説明案内板には、『源頼朝が没した翌年、妻の北条政子が明菴栄西を開山に招いて建立した鎌倉五山第三位の寺です。鎌倉幕府の三代将軍の源実朝も、再三参拝しました。・・・裏山の「やぐら」(中世の横穴墳墓)には、源実朝、母・政子の墓と言われいている五輪塔があります。・・・』と書いてありました。
因みに、鎌倉五山は、建長寺(第一位)、 円覚寺(第二位)、浄智寺(第四位)、浄妙寺(第五位)です。
惣門をくぐって石畳の参道を歩いていると、着物姿の若い女性が遣って来たので撮ってみました。
石畳の参道の先には、ご覧のような中門がありました。
中門には寺号「寿福金剛禅寺」の額が掲げられていました。
中門の奥にある仏殿には行けないので、中門からアップで撮ってみました。
仏殿の横のにある参道を通って、裏山にある源実朝と北条政子のお墓に行ってみました。
途中、注意書「落石危険」があったので遠回りすることになりました。
裏山には、ご覧のような横穴墳墓があったので撮ってみました。
北条政子の五輪塔があったので撮ってみました。
又、源実朝の五輪塔もあったので撮ってみました。
石畳の参道を戻って来ると、リス(?)がいたので撮ってみましたが写っていませんでした。
総門に戻ると、12時を回っていたので、総門前にあった石に座って昼食の🍙を食べました。
<亀ヶ谷坂に向かう>
昼食も食べたので、英勝寺(えいしょうじ)の前を通って、JR横須賀線のガードをくぐって亀ヶ谷坂に向かいました。
英勝寺の裏門(?)は閉じられていて、案内<英勝寺入口 この先60m→>が出ていました。
尚、英勝寺は、2017年2月「山行:大楠山(番外編)」で来ています。
英勝寺を過ぎると、ご覧のような石塔とお稲荷さんが祀ってあるので撮ってみました。
ガード下に遣って来ると、上り電車が遣って来たので一緒に撮ってみました。
ガードをくぐると、ご覧のような花菖蒲(?)が咲いていたのでアップで撮ってみました。
暫く歩くと、岩船地蔵堂があるので左折して急坂の亀ヶ谷坂に向かいました。
<亀ヶ谷坂(かめがやつさか)>
亀ヶ谷坂を上り始めると、石柱「田中智学師子王文庫跡」があったので撮ってみましたが、詳しいことは分かりません。
亀ヶ谷坂を上っていると、マンション(扇ガ谷鎌倉コートハウス?)の入口があったので撮ってみました。
ご覧のような切通の急坂をひたすら上ります。
亀ヶ谷坂の途中に、ご覧のような石段があったので上ってみました。
石段は未だ続いていましたが、曲がり角に、ご覧のようなお地蔵さんが祀ってあったので撮ってみました。
亀ヶ谷坂に戻ると、国指定史跡「亀ヶ谷坂」の説明案内板があったので撮ってみましたが、何故か斜めに撮れていました(急坂の所為?)。
説明案内板には、『亀ヶ谷坂は鎌倉七口の一つで、鎌倉市の扇ガ谷と山ノ内を結ぶ坂道。造られた正確な時期は不明(13世紀中頃?)。』のようなことが書いてありました。
更に、ご覧のような切通を先に進みます。
途中の岩壁に、ご覧のような地蔵菩薩が祀ってあったの撮ってみました。
<長寿寺(ちょうじゅじ)>
亀ヶ谷坂から鎌倉街道に出ると、足利尊氏公ゆかりのお寺「長寿寺」があって、期間限定の特別拝観を遣っていたので上ってみました。
尚、亀ヶ谷坂(扇ガ谷)を上り始めてから鎌倉街道(山ノ内)に着くまでは約10分でした。
山門の手前に、贔屓(ひき)が背負う石碑と説明案内板があったので撮ってみました。
説明案内板には、『足利尊氏が建武3年(1336)に創建』と書いていてありました。
折角なので、「佛頂尊勝陀羅尼」と彫られている石碑と下の亀趺(きふ)をアップで撮ってみました。
山門に掲げてあった山号「宝亀山」は撮りましたが、山門を撮るのは忘れていました。
山門で拝観料(300円)を払って境内に入ると、正面に、ご覧のような本堂がありました。
取り敢えず、本堂でお参りしてから庭園を散策することにしました。
本堂に、御本草の釈迦如来像が祀られていたのでアップで撮ってお参りをしました。
隣りにあった玄関も撮ってみましたが、時間がなかったので上がるのは止めました。
元の参道に戻って、左側の奥にある書院(?)を見ながら観音堂に行ってみました。
観音堂に着いたので、観音菩薩が祀られている観音堂を撮ってみました。
取り敢えず、堂内の観音菩薩を撮ってお参りをしました。
庭園拝観順路に従って観音堂の裏に行くと、足利尊氏の墓に通じている石段がありました。
石段に上に着くと、ご覧のような石塔が並んでいる墳墓があって、足利尊氏の遺髪を納めたといわれる宝篋印塔がありました。
墳墓の右側上に、素晴らしい紅葉があったのでアップで撮ってみました。
足利尊氏の墓でお参りしてから、散策路を通って小方丈の裏にある庭園に行ってみました。
散策路を歩いていると、ご覧のような芍薬が咲いていたのでアップで撮ってみました。
庭園に咲いている芍薬を眺めながら、散策路の先に行ってみました。
途中、素晴らしい芍薬が咲いていたのでアップで撮ってみました。
紅葉と躑躅の葉っぱのコントラストが素晴らしかったので撮ってみました。
取り敢えず、庭園を一回りしたので、本堂の裏側を撮ってみました。
取り敢えず、反対側から山門を撮って、裏門に向かいました。
帰りは、亀ヶ谷坂の切通に通じているご覧のよう裏門から外に出ます。
再び、鎌倉街道に出て、次の浄智寺に向かいました。
「鎌倉五山と銭洗弁財天(後編)」に続く。
尚、コースは次の通りですが、前に行ったことがある寺院は、時間がなそうなので山門でお参りするだけにしました。
藤沢駅-(江ノ電)-由比ヶ浜駅 → 銭洗弁財天 → 寿福寺 → 浄智寺 → 円覚寺 → 建長寺 → 浄妙寺 → 鎌倉駅-(江ノ電)-藤沢駅
小田急線藤沢駅2階の「湘南藤沢コンシェルジュ前」で受付(9:30~10:30)を済ませると、散策マップが貰えるので道に迷うことはなさそうです。
<江ノ電の藤沢駅>
江ノ電の藤沢駅に着いたのでホーム入口を撮ってみましたが、時間的には余裕しゃくしゃくです。
<銭洗弁財天に向かう>
由比ヶ浜駅で降りて、江ノ電の踏切を越えてから県道311号線を渡ります。
県道の信号機の傍に、案内板はありますが、皆さんと一緒なので道に迷うことはありません。
近くに、鎌倉彫の寸松堂(すんしょうどう)があったので撮ってみました。
尚、この建物は鎌倉彫の店舗併用住宅として建てられたもので、鎌倉市景観重要建築物に指定されています。
交差点「佐助1丁目」の手前に遣って来ると、鎌倉税務署の裏口(?)があったので入ってみました。
鎌倉税務署の表玄関は、JR鎌倉駅西口から出ているバス道路沿いにありました。
交差点「佐助1丁目」を越えて5分程歩くと、左側の造成地の奥に竹林が見えたのでアップで撮ってみました。
更に、先に行くと、分岐<銭洗弁財天 寿福寺>に着きましたが、銭洗弁財天に行ってから、ここに戻って来ます。
暫く進むと、左側に佐助稲荷道がありますが、時間があれば帰りに寄ってみることにしました。
<銭洗弁財天>
由比ヶ浜駅からは予定通りの時間(約30分)で銭洗弁財天に着きました。
取り敢えず、説明案内板があったので撮ってみました。
説明案内板には、『文治元年(1185)、巳の月、巳の日、源頼朝に宇賀福神の夢のお告げ「西北の谷に湧き出す霊水で神仏を供養せよ。天下は泰平になるであろう。」があったのが、創建の由来だと言われています。』と書いてありました。
取り敢えず、鳥居を撮って洞窟に入ってみました。
洞窟を抜けると、ご覧のような鳥居群があるので撮ってみました。
鳥居群の手前に、手水舎があるのでアップで撮ってみました。
鳥居群に戻ると、右側に七福神社が見えたので行ってみました。
取り敢えず、お参りしてから扁額「七福神」を撮ってみました。
お参りしてから、内部を撮らせて頂きましたが六福神しかいませんでした。
七福神社でお参りしてから、隣の下之水神宮に行ってみました。
池に、亀のいる島と石碑(字は読めませんでした)があったので撮ってみました。
取り敢えず、お参りしてから扁額を撮ってみました。
折角なので、内部も撮らせて頂きました。
社務所の前に行くと、境内案内図があるので現在地を確認しました。
本宮でお参りしてから奥宮に行ってみることにしました。
取り敢えず、本宮の前に並んでお参りをしました。
次に、銭洗弁財天が祀られている奥宮に行ってみました。
折角なので、奥宮の入口上部を撮ってみました。
奥宮に入ると、右側に、ご覧のような社があるのでお参りをしました。
正面にも、ご覧のような社(?)があるので撮ってみました。
5百円玉があったので、取り敢えず、洗ってみました。
左側に、ご覧のような納札所があるので撮ってみました。
取り敢えず、鳥居群と洞窟を撮って銭洗弁財天の外に出ることにしました。
<寿福寺に向かう>
銭洗弁財天を後に、住宅地を歩いていると、ご覧のような白い花が咲いていたので撮ってみました(名前は分かりません)。
帰り掛けに、佐助稲荷神社の案内があったのですが、銭洗弁財天でゆっくりし過ぎたので行くのは止めました。
寿福寺に向かって歩いていると、山側に素晴らしい紅葉があったので撮りに行ってみました。
又、この辺は源氏山に近いのか(?)、道路の左右に洞穴やトンネルが目立ちました。
途中、ご覧のような佐助隧道を通って先に行きます。
佐助隧道を出ると、案内板があったので撮ってみました。
どうやら、鎌倉駅の手前で左に曲がって、JR横須賀線に沿って上り方面に行くみたいです。
「鎌倉今小路」を歩いていると、秋田県湯沢市の酒蔵を移築・再生した「結いの蔵」があったので撮ってみました。
暫く進むと、ご覧のような巽神社(たつみじんじゃ)があったのでお参りすることにしました。
取り敢えず、鳥居と一緒に巽神社を撮ってみました。
境内掲示板を撮ってみましたが、ご覧のように擦れていて読めません。
境内掲示板には、『延暦20年(801)、蝦夷征伐に向う途中の坂上田村麻呂が葛原岡に勧請、永承4年(1049)に源頼義が改築。壽福寺の南東(巽)に位置することから壽福寺の鎮守として崇められ、巽荒神と呼ばれていた。』のようなことが書いてありました。
由緒ありそうな献灯があったので撮ってみました。
取り敢えず、社殿を撮ってお参りをしました。
お参りしてから、社殿上り口の上部を撮ってみました。
巽神社を後に暫く歩くと、ご覧のような鳥居のある八坂大神(やさかおおかみ)に着きました。
境内に、ご覧のような大きな木があったので撮って社殿に行ってみました。
取り敢えず、社殿を撮ってお参りをしましたが、この神社にも扁額は掛かっていませんでした。
社殿の後に、ご覧のような「神輿之碑」があったので撮ってみました。
又、境内社(子神社?)もあったので撮ってみました。
<寿福寺(じゅふくじ)>
銭洗弁財天からは35分程で、ご覧のような総門のある寿福寺に着きました。
総門には山号「亀谷山」の額が掲げられていました。
寿福寺の説明案内板には、『源頼朝が没した翌年、妻の北条政子が明菴栄西を開山に招いて建立した鎌倉五山第三位の寺です。鎌倉幕府の三代将軍の源実朝も、再三参拝しました。・・・裏山の「やぐら」(中世の横穴墳墓)には、源実朝、母・政子の墓と言われいている五輪塔があります。・・・』と書いてありました。
因みに、鎌倉五山は、建長寺(第一位)、 円覚寺(第二位)、浄智寺(第四位)、浄妙寺(第五位)です。
惣門をくぐって石畳の参道を歩いていると、着物姿の若い女性が遣って来たので撮ってみました。
石畳の参道の先には、ご覧のような中門がありました。
中門には寺号「寿福金剛禅寺」の額が掲げられていました。
中門の奥にある仏殿には行けないので、中門からアップで撮ってみました。
仏殿の横のにある参道を通って、裏山にある源実朝と北条政子のお墓に行ってみました。
途中、注意書「落石危険」があったので遠回りすることになりました。
裏山には、ご覧のような横穴墳墓があったので撮ってみました。
北条政子の五輪塔があったので撮ってみました。
又、源実朝の五輪塔もあったので撮ってみました。
石畳の参道を戻って来ると、リス(?)がいたので撮ってみましたが写っていませんでした。
総門に戻ると、12時を回っていたので、総門前にあった石に座って昼食の🍙を食べました。
<亀ヶ谷坂に向かう>
昼食も食べたので、英勝寺(えいしょうじ)の前を通って、JR横須賀線のガードをくぐって亀ヶ谷坂に向かいました。
英勝寺の裏門(?)は閉じられていて、案内<英勝寺入口 この先60m→>が出ていました。
尚、英勝寺は、2017年2月「山行:大楠山(番外編)」で来ています。
英勝寺を過ぎると、ご覧のような石塔とお稲荷さんが祀ってあるので撮ってみました。
ガード下に遣って来ると、上り電車が遣って来たので一緒に撮ってみました。
ガードをくぐると、ご覧のような花菖蒲(?)が咲いていたのでアップで撮ってみました。
暫く歩くと、岩船地蔵堂があるので左折して急坂の亀ヶ谷坂に向かいました。
<亀ヶ谷坂(かめがやつさか)>
亀ヶ谷坂を上り始めると、石柱「田中智学師子王文庫跡」があったので撮ってみましたが、詳しいことは分かりません。
亀ヶ谷坂を上っていると、マンション(扇ガ谷鎌倉コートハウス?)の入口があったので撮ってみました。
ご覧のような切通の急坂をひたすら上ります。
亀ヶ谷坂の途中に、ご覧のような石段があったので上ってみました。
石段は未だ続いていましたが、曲がり角に、ご覧のようなお地蔵さんが祀ってあったので撮ってみました。
亀ヶ谷坂に戻ると、国指定史跡「亀ヶ谷坂」の説明案内板があったので撮ってみましたが、何故か斜めに撮れていました(急坂の所為?)。
説明案内板には、『亀ヶ谷坂は鎌倉七口の一つで、鎌倉市の扇ガ谷と山ノ内を結ぶ坂道。造られた正確な時期は不明(13世紀中頃?)。』のようなことが書いてありました。
更に、ご覧のような切通を先に進みます。
途中の岩壁に、ご覧のような地蔵菩薩が祀ってあったの撮ってみました。
<長寿寺(ちょうじゅじ)>
亀ヶ谷坂から鎌倉街道に出ると、足利尊氏公ゆかりのお寺「長寿寺」があって、期間限定の特別拝観を遣っていたので上ってみました。
尚、亀ヶ谷坂(扇ガ谷)を上り始めてから鎌倉街道(山ノ内)に着くまでは約10分でした。
山門の手前に、贔屓(ひき)が背負う石碑と説明案内板があったので撮ってみました。
説明案内板には、『足利尊氏が建武3年(1336)に創建』と書いていてありました。
折角なので、「佛頂尊勝陀羅尼」と彫られている石碑と下の亀趺(きふ)をアップで撮ってみました。
山門に掲げてあった山号「宝亀山」は撮りましたが、山門を撮るのは忘れていました。
山門で拝観料(300円)を払って境内に入ると、正面に、ご覧のような本堂がありました。
取り敢えず、本堂でお参りしてから庭園を散策することにしました。
本堂に、御本草の釈迦如来像が祀られていたのでアップで撮ってお参りをしました。
隣りにあった玄関も撮ってみましたが、時間がなかったので上がるのは止めました。
元の参道に戻って、左側の奥にある書院(?)を見ながら観音堂に行ってみました。
観音堂に着いたので、観音菩薩が祀られている観音堂を撮ってみました。
取り敢えず、堂内の観音菩薩を撮ってお参りをしました。
庭園拝観順路に従って観音堂の裏に行くと、足利尊氏の墓に通じている石段がありました。
石段に上に着くと、ご覧のような石塔が並んでいる墳墓があって、足利尊氏の遺髪を納めたといわれる宝篋印塔がありました。
墳墓の右側上に、素晴らしい紅葉があったのでアップで撮ってみました。
足利尊氏の墓でお参りしてから、散策路を通って小方丈の裏にある庭園に行ってみました。
散策路を歩いていると、ご覧のような芍薬が咲いていたのでアップで撮ってみました。
庭園に咲いている芍薬を眺めながら、散策路の先に行ってみました。
途中、素晴らしい芍薬が咲いていたのでアップで撮ってみました。
紅葉と躑躅の葉っぱのコントラストが素晴らしかったので撮ってみました。
取り敢えず、庭園を一回りしたので、本堂の裏側を撮ってみました。
取り敢えず、反対側から山門を撮って、裏門に向かいました。
帰りは、亀ヶ谷坂の切通に通じているご覧のよう裏門から外に出ます。
再び、鎌倉街道に出て、次の浄智寺に向かいました。
「鎌倉五山と銭洗弁財天(後編)」に続く。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます