対馬丸記念館へ出かけたときは雲が厚く、容易に陽が射す気配はなかった。
記念館は波之上宮の近くと踏んでいたから、悠然と、乗客の少ないバスの最前列に座っていた。「泊高橋」を過ぎて100m先で、「対馬丸記念館」右折の案内標識が目に飛び込んで来た。
次のバス停「若松入り口」まで1500m位ある。
事前に調べておくべきだったと後悔した。
「若松入り口」でバスを降り、夜となく昼となく見慣れた風景でもたのしんでみるかと、
「船員会館」辺りだろうと当たりをつけて歩き始めた。
58号線から斜めに道を選んで、前島を過ぎ、船員会館前に出た。
あたりにはそれらしき建物がない。
通りがかりの感じのよい中年の婦人に声をかけた。
「対馬丸記念館はどのあたりにありますか?」
婦人は気の毒そうに、人のよさそうな笑みを浮かべて
「こちらじゃありませんよ。歩いてもいけますが、結構ありますから」
懇切丁寧に教えてくれた。場所はわかった。
バスを降りた「若松入り口」のもうひとつ先の「農林中金前」で降りれば、真っ直ぐ海に向かって行ったところである。
逆方向に歩いてきたのだ。歩くたびに遠ざかっていたことになる。
最近、あまり歩いてないから、良い機会だ歩こう、と決めた。
若狭大通りの端にいる。この道を真っ直ぐに南下すればいいのだ。
『なんていうところに標識があるんだ。これでも観光立県か』と腹が立ってきた。
しばらくすると、2時間ほど前まで太陽を遮っていた暑い雲は消え去り、薄雲の間から青空が見え始め、灼熱の陽が照り付け始めた。
潮渡川の橋にかかったとき、なつかしさで怒りも何も忘れてしまった。
写真はその潮渡川に架かる橋の上から。
上は国道58号線にむかって。右が松山、左が前島だ。
下は海へ流れ込んでいる。
潮渡川を渡れば、夜の町「若狭大通り」である。
20数年前、はじめて連れられてきたスナックがあったが、店名は変わっていた。
大概、夜を放浪とする時は松山だったので、この通りはなじみが薄い。時に数人で連れ立って飲みに来るくらいであった。
この交差点が若狭大通りの終点だ。交差点に名前がない。
左上:今通ってきた若狭大通り。右に行けば那覇市の夜の繁華街松山である。
右上:松山通り。那覇商業高校、福州園がある。そして、58号線、モノレール県庁前駅、国際通り、県
庁へと続く。
左下:海岸方面へと向かう若狭中通り。これを進めば、最近開通した海底トンネルを経て空港に向かう
最短道路である。
右下:旧那覇港に出る上之蔵通り。若狭大通りの延長である。50mほど行って右折すると波之上宮。
又、少し先には「料亭那覇」、「那覇ショッピングセンター」などがある。
対馬丸記念館の通りに「ゴールデンシャワー」が元気だった。夏の沖縄を彩る明るいマメ科の植物である。
一本裏道に入ると古い家並みが続く。
左上:那覇にはこのような三角形の公園が多い。
右上:なつかしい「高良食堂」は地元に人気の食堂である。何十年続いているのだろう。
左下:どこの通りだろうか。上之蔵通りの裏通りだろう。古民家の屋根に目がいったのだろう。
右下:どこまでも目で追ってくるのでパチリとやった。それでも逃げそうで逃げない。
「ふみや」は沖縄家庭料理の店である。
本土から親しい友人や心許せる知人が来たときには、よくこの店に来た。
店に入ると畳敷きの大部屋で、自宅の居間にいるような感覚で寛げた。
前島にある。2,3年は行ってないだろう。
料亭那覇。
50年近く前、団体旅行で来たのが最初だった。
宴会場で琉球舞踊を観ながら、琉球料理を食べた。
踊り子の華やかさと琉球料理に閉口した記憶が蘇る。
那覇ショッピングセンター。
シーズンには駐車場はバスとレンタカーで賑わうのだが、8月も下旬になるとオフ期になるのか、夕方5時過ぎであったためか、駐車場は閑散としていた。
「那覇そぞろ歩き」とでもするつもりでいたが、兎に角、暑かった。
日傘もなく、ビルの陰を選んで歩いたが、体力を消耗しつくした。
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記念館は波之上宮の近くと踏んでいたから、悠然と、乗客の少ないバスの最前列に座っていた。「泊高橋」を過ぎて100m先で、「対馬丸記念館」右折の案内標識が目に飛び込んで来た。
次のバス停「若松入り口」まで1500m位ある。
事前に調べておくべきだったと後悔した。
「若松入り口」でバスを降り、夜となく昼となく見慣れた風景でもたのしんでみるかと、
「船員会館」辺りだろうと当たりをつけて歩き始めた。
58号線から斜めに道を選んで、前島を過ぎ、船員会館前に出た。
あたりにはそれらしき建物がない。
通りがかりの感じのよい中年の婦人に声をかけた。
「対馬丸記念館はどのあたりにありますか?」
婦人は気の毒そうに、人のよさそうな笑みを浮かべて
「こちらじゃありませんよ。歩いてもいけますが、結構ありますから」
懇切丁寧に教えてくれた。場所はわかった。
バスを降りた「若松入り口」のもうひとつ先の「農林中金前」で降りれば、真っ直ぐ海に向かって行ったところである。
逆方向に歩いてきたのだ。歩くたびに遠ざかっていたことになる。
最近、あまり歩いてないから、良い機会だ歩こう、と決めた。
若狭大通りの端にいる。この道を真っ直ぐに南下すればいいのだ。
『なんていうところに標識があるんだ。これでも観光立県か』と腹が立ってきた。
しばらくすると、2時間ほど前まで太陽を遮っていた暑い雲は消え去り、薄雲の間から青空が見え始め、灼熱の陽が照り付け始めた。
潮渡川の橋にかかったとき、なつかしさで怒りも何も忘れてしまった。
写真はその潮渡川に架かる橋の上から。
上は国道58号線にむかって。右が松山、左が前島だ。
下は海へ流れ込んでいる。
潮渡川を渡れば、夜の町「若狭大通り」である。
20数年前、はじめて連れられてきたスナックがあったが、店名は変わっていた。
大概、夜を放浪とする時は松山だったので、この通りはなじみが薄い。時に数人で連れ立って飲みに来るくらいであった。
この交差点が若狭大通りの終点だ。交差点に名前がない。
左上:今通ってきた若狭大通り。右に行けば那覇市の夜の繁華街松山である。
右上:松山通り。那覇商業高校、福州園がある。そして、58号線、モノレール県庁前駅、国際通り、県
庁へと続く。
左下:海岸方面へと向かう若狭中通り。これを進めば、最近開通した海底トンネルを経て空港に向かう
最短道路である。
右下:旧那覇港に出る上之蔵通り。若狭大通りの延長である。50mほど行って右折すると波之上宮。
又、少し先には「料亭那覇」、「那覇ショッピングセンター」などがある。
対馬丸記念館の通りに「ゴールデンシャワー」が元気だった。夏の沖縄を彩る明るいマメ科の植物である。
一本裏道に入ると古い家並みが続く。
左上:那覇にはこのような三角形の公園が多い。
右上:なつかしい「高良食堂」は地元に人気の食堂である。何十年続いているのだろう。
左下:どこの通りだろうか。上之蔵通りの裏通りだろう。古民家の屋根に目がいったのだろう。
右下:どこまでも目で追ってくるのでパチリとやった。それでも逃げそうで逃げない。
「ふみや」は沖縄家庭料理の店である。
本土から親しい友人や心許せる知人が来たときには、よくこの店に来た。
店に入ると畳敷きの大部屋で、自宅の居間にいるような感覚で寛げた。
前島にある。2,3年は行ってないだろう。
料亭那覇。
50年近く前、団体旅行で来たのが最初だった。
宴会場で琉球舞踊を観ながら、琉球料理を食べた。
踊り子の華やかさと琉球料理に閉口した記憶が蘇る。
那覇ショッピングセンター。
シーズンには駐車場はバスとレンタカーで賑わうのだが、8月も下旬になるとオフ期になるのか、夕方5時過ぎであったためか、駐車場は閑散としていた。
「那覇そぞろ歩き」とでもするつもりでいたが、兎に角、暑かった。
日傘もなく、ビルの陰を選んで歩いたが、体力を消耗しつくした。
若狭大通りの基点を中心点にした
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