思考が宇宙につながるとき
それは悟りの真っただ中にいる
悟りとは
選ばれた者だけが味わう特権ではない
全ての人間に与えられた
生きる姿
自由なる命の形なのだ
思考が生まれたとき
思考は宇宙そのものだった
思考が己に気付き始めると
それは宇宙からの独立に向かった
思考が独立すると
同時に
孤独が恐ろしいもののように思えるようになる
そして問わずにはいられなくなる
私は何者なのかと・・・
それは逆の意味で
この世界を知ろうと思考が働くようになる
そうして人は
世界と自分の完全なる分断が人間の完成と考える
この、
転倒した思考がいわゆる思春期と言っていい
それが思考の終着点だと思い込む
しかしそれは実のところ
思考が成長するための
折り返し点だ
思考と宇宙が最も乖離した地点
明晰な孤独の実感
それは思考の悲鳴だ
苦悩はもつれた思考のリアリティ
宇宙はもはや目に入らない程に遠い
苦悩は思考が宇宙と離れすぎたというシグナル
あるいは宇宙の引力なのだ
思春期は
苦悩によって救いの方向に引き戻される
般若心経は
この振り子の動線を描き出す
科学は
宇宙の真の姿をイメージさせる
思考の振り戻しが何処に向かうのか
その行き先を
二つの道が指し示す
そこに空がある
科学の言う空間は般若心経の空
そして思考はエネルギー
エネルギーは空間にあり
物質はエネルギーの塊だ
思考が空に戻った時
初めて思考の成長、振り子の意味が分かる
思春期は物質への旅だったのだ
思考は物質に向かう
身体が宇宙の中で生きていると思い込む
本当は生かされているのに
老化という時間が心の中に突き刺さる
四次元思考にまみれた己の姿を
苦悩と共に握りしめていたのだ
思考が空に戻ると心のそんな姿が見えてくる
思考が宇宙につながるとき
それは人間が身体から空体に成長するときだ
空間を深く理解するときなのだ
その時、思考は
四次元から五次元に切り替わる
悟りは思考を捨てることだと考えるのは思考の無限ループに陥る
悟りとは思考の成熟なのだ
それが人間の真の姿だと
五次元思考が
辿り着く
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