上州からの山旅

凡人noyamaの山旅の記録

両神山(日向大谷より石仏を見る)

2023年12月06日 | 山2023
【山 名】両神山 1723.3m(埼玉県)
【日 程】令和5(2023)年12月6日(火)
【同 行】単独
【天 候】曇り
【ルート】自宅4:10===6:10日向大谷第2駐車場 06:22---07:02会所07:06---07:56両神八海山08:02---08:20弘法之井戸08:21---08:29清滝小屋08:41---08:48鈴が坂08:49---09:13横岩09:19---09:32両神神社09:32---09:51両神山10:15---10:30両神神社10:31---10:39横岩10:39---10:54鈴が坂10:55---11:00清滝小屋11:02---11:07弘法之井戸11:07---11:22両神八海山11:25---11:54会所12:07---12:40民宿両神山荘12:41---12:42P
【行 程】 L=10.3km +-14800m 行動時間6:30



登山口までの道は狭く暗い道は不安であったが
日向大谷駐車場に着くと明るくなり始めた
駐車場には10台ほど止められる


少し登り両神山荘手前に公衆トイレがある
工事中であるが使用はできる
トイレ隣にも駐車場があり両神山荘へ千円納めるよう書いてある



山荘を過ぎると鳥居がありここからが神域であろうか
鳥居の隣に祠と石塔があるが暗いので帰りに撮影することに



未だ薄暗く落ち葉に覆われた狭い登山道を慎重に進む



少しばかり残っているモミジが美しい



笑顔の石像と「一心霊神百年祭碑」?と読める。石像は一心行者だろうか?
「一心行者は普寛行者の最後の弟子で、本明院2代目を継ぎ、清滝において千日の参篭苦行により法力を成就したと伝えられています。毎年、大勢の信者を導き御嶽山に登拝し、体得した行法や作法をもとに信者の育成に努め、信州や関東各地に多くの信者を得て、御嶽信仰の普及に偉大な足跡を残しました。」(御岳神社HP)



丁石 「伊醯羅童子(いけいらどうじ)」
道脇に四角柱の石があり「○○童子」と刻んであるので、水子の供養塔かと思ったら道標丁石だった
「丁石は清滝までにおよそ100mごとに36基あり不動明王の眷属三十六童子の名が刻まれている」*1



何度か沢を横断する


会所 以前は建物があったのだろうか




落ち葉に覆われた登山道は見失いがち




不動明王(荒沢不動)
「両神山最大の石仏で、上州安中宿豊岡村講中による造立」
両神山《一心誠講の聖地を訪ねて》 - 2020年11月03日 [登山・山行記録]-ヤマレコ (yamareco.com)

明王は密教で生み出された仏で大日如来の化身とされている。髪の毛がカール(巻髪)は天台宗系だそうだ
両神山には江戸末期から昭和30年代にかけて各地の講により多くの石像が奉納されており群馬県からも譲原講(鬼石町)・清信講(藤岡市)・安中講・鮎川講(藤岡市)などが奉納している *1



「八海山大頭羅神王」(はっかいさんおおづらしんのう)が祀られた地 八海山




伊波羅天「江戸築地 皆帰講 行者貞涌」が奉納



弘法の井戸 上に弘法大師座像
各地に弘法の井戸がある




清滝小屋 立派な施設だが休業中で避難小屋になっている


一帯は比較的平らな雑木林が広がる



清滝小屋裏の石塔(人生霊神? 何だろう?)・石仏(清滝不動三尊)下に2体寝ている



足保彦大神? 何だろう?



清滝小屋上部にある通行止めの七滝沢ルートへの分岐



横岩 オーバーハングしているところが倒れないよう杖で支えている?



木の根が滑る急登が始まる



両神神社本宮


狛犬はオオカミ、牙を出しているが笑っているようにも見える



両神神社に隣接する 御岳神社


こちらの狛犬はひょうきんな顔
両神神社の狛犬は参道中央を見ているが御岳神社の狛犬は参道下を見ている



大日如来?
熊野修験や本山修験宗のお札もある




山頂 剣が峰 1723m


山頂からの景色

曇り空の中、雪化粧の北アルプスが光って見える

木曽御岳

浅間山
残念ながら富士山は曇って見えなかった



白井差ルートはテープが張られているが通れる。テープには様々事情があるようだ



鎖場何か所かあるが何処も比較的短い



会所のベンチで一休みして下る



普観行者像
江戸末期、御岳信仰を広めた2名が普観行者と覚明行者





朝は暗くて判らなかったが登山口の日向大谷を開いたとされる観蔵行者像と石碑石仏
石碑には「奉登山五十五度」「奉登山三十三度」などと刻まれており登拝記念碑の様だ



両神山荘まで戻ると冬桜が咲いていた
正面が「両神山荘」右下が「ふたがみ山荘」
「観蔵院は,明治5年(1872)以降八日見神社とな り,その後大正期には現在の両神神社と改称され た。明治以前から宿坊として機能していたが,昭 和52年(1977)に「ふたがみ山荘」として新たに民 宿経営を開始した。」*1



駐車場にあるバス停


隣り合わせで、町営無料看板と両神山荘有料看板 どっちだろう?



両神山は百名山、春のアカヤシオの咲くころや紅葉の美しい秋には大変混雑するようです
紅葉の終わった今頃は閑散として本日も単独行2名と3人組に会っただけで静かな山でした
修験の山でも有名なので石仏石像を楽しみの一つとして歩きましたが
知識不足で見落としたり不明なものが多く帰ってからググって(古いか)みました
調べるうちに更に判らないことが増えまとまりがつかなくなってしまいました
これも、年金生活者の暇つぶしにはもってこいでもあると感じる今日この頃であります

  そんな訳で ボタンを押して頂けると嬉しいデス



 

地図





以下のサイトを参考にしました
両神山《一心誠講の聖地を訪ねて》 - 2020年11月03日 [登山・山行記録]-ヤマレコ
両神山の石像 | 彩の自然~カピの散歩道
御嶽神社各社 (ontakejinja.jp)
秩父両神村における修験の展開と変質(椿真智子・城戸貴子)筑波大学歴史・人類学系歴史地理学研究室 *1
「りょうがみ双書3 両神山」両神村史編さん委員会編 に詳しいらしいがネットでは見当たらず


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