居多神社(新潟県上越市)を掲載しました。
居多神社(こたじんじゃ)
<通称>県社(けんしゃ)
【鎮座地】〒942-0081 新潟県上越市五智6丁目1-11 旧越後国 頚城郡
【御祭神】大國主命 奴奈川姫命 建御名方命 事代主命
【例祭】 5月3日 例祭
【旧社格等】県社
越後國一の宮
式内社 越後國頸城郡 居多神社
【御由緒】
越後一の宮 居多(こた)神社
祭神 大国主命
奴奈川姫
建御名方命
祭典 例祭 五月三日
講社大祭 八月十九日・二十日
由緒
弘仁四年(八一三)に従五位下を、貞観三年(八六一)に従四位下を朝廷から賜った。延長五年(九二七)の「延喜式」神名帳に記載された式内社である。越後国司・越後守護上杉家・上杉謙信の厚い保護をうけ、越後一の宮として崇敬されてきた。今日、縁結び・子宝祈願の神として信仰されている。
宝物 居多神社文書・狛犬(上越市指定文化財)
親鸞聖人御旧蹟
親鸞聖人日の丸御名号・御詠歌
越後七不思議「方葉の芦」
境内社
雁田神社 祭神 高皇産霊神・神皇産霊神
子宝・安産の神
稲荷神社 祭神 倉稲魂命(商売繁昌の神)
(社頭由緒掲示板より)
新潟県の南西部に位置し日本海に面した上越市にあります。市の中心部JR東日本とJR西日本の境界の駅、直江津駅の西およそ1.5kmの五智公園の東に隣接して鎮座しています。
社前に広い駐車場があり、境内入口右に昭和46年3月20日の建立の社号標があります。シンプルに「居多神社」とあります。
鳥居から拝殿階段を上がると直ぐに簡素な靖国鳥居です。
境内はゆったりと広く綺麗に整備されています。
鳥居をくぐると左に手水、さらに奥に社務所があります。右に境内社、正面参道突き当たりに社殿です。
拝殿
現在の社殿は平成20年新しく造営され、7月26日竣工祭が行われています。社殿は拝殿、幣殿、本殿(覆殿)が一体となった珍しい造りです。
扁額には「居多大明神 天穂日命八一代孫 千家尊有敬書」とあります。天穂日命は天照大神の御子天忍穂耳尊の弟で高天原から葦原中国平定のために最初に遣わされた神、大国主命に媚び3年たっても復命しなっかたとされています。
拝殿内部の扁額「居多神社 天穂日命八一代孫 尊有敬書」とあります。
千家尊有氏は出雲大社教第三代管長です。出雲大社教は明治15年出雲大社より分離、戦後昭和26年出雲大社と一つになり元の姿に復帰しています。
社殿全景
御祭神は須佐之男命の御子とも6世の孫ともいわれる大国主命(出雲大神)、奴奈川姫命(越の姫神)、建御名方命(諏訪神=大国主命と奴奈河姫命の御子神)の3柱、旧国府にあるということで、越後一宮として栄えた神社です。
社殿全景
創建年代は不詳。古くは媼嶽明神(おうなだけみょうじん)・居多明神とも称し、日本海に面した居多浜村岩戸浦山の半腹に鎮座していました。
その後、貞和年間(1345-49)に社地陥没にあい、さらに慶応2年(1866)に山崩れにあい、明治12年(1879)に海岸浸食によって社地が崩壊したために現在地に造営し遷座されました。
本殿北陸に多くある気多神社と系統を同じくするものであるとされ、社名を「ケタ」と訓むのを正しいとする説もあります。
御祭神像境内右(北側)にあります。
御祭神大国主命と御子建御名方命を抱いた奴奈川姫です。
「大国主命の沼河姫命への妻問」石碑
古事記上巻の沼河比売求婚の場面、八千矛神(大国主神)は高志国の沼河比売を妻に迎えようと思い、比売の家へ向かいそこで歌った求婚の歌と比売の返答の歌、神語の石碑です。
境内社・稲荷神社社殿右にあります。
御祭神は倉稲魂命、稲荷神社に通常見られる朱の鳥居もなく年代を感じさせる石祠です。右の石祠は平成祭データに境内社とある乳母嶽神社(御祭神・乳母嶽神、白蛇神)かと思われます。
境内社・雁田神社参道右(北側)奥にあります。
御祭神は高皇産霊神、神皇産霊神の二柱、そばの案内に「元気な赤ちゃん(子宝)を授けて下さる神様です、、」とあり中に立派な陰陽石が鎮座しています。
親鸞聖人御像参道直ぐ右にあります。
承元元年(一二〇七)、親鸞聖人は、越後国府に配流となった。居多ヶ浜に上陸された親鸞聖人は、まず越後一の宮居多神社に参拝され、
すゑ遠く 法(のり)を守らせ 居多の神
弥陀(みだ)と衆生(しゆじよう)の あらん限りは
と詠まれ、神前に供えて祈願された。すると、一夜にして居多神社境内の芦が片葉になったという。
今日、居多神社には親鸞聖人の御詠歌と日の丸の御名号が所蔵されている。
境内には、親鸞聖人越後七不思議の一つ「片葉の芦」が群生している。
(現地案内板より)
拝殿から参道
当社周辺には親鸞聖人の上陸地、居多ヶ浜、上杉謙信の居城・春日山城址、謙信が文武の修行をした林泉寺、など親鸞聖人と上杉謙信ゆかりの史跡が多くあります。
「心のふるさと道」
境内裏手(西側)に隣接する五智公園へは「心のふるさと道」と呼ばれる遊歩道で結ばれています。散歩、ジョギングの方を見かけました。
居多神社(こたじんじゃ)
<通称>県社(けんしゃ)
【鎮座地】〒942-0081 新潟県上越市五智6丁目1-11 旧越後国 頚城郡
【御祭神】大國主命 奴奈川姫命 建御名方命 事代主命
【例祭】 5月3日 例祭
【旧社格等】県社
越後國一の宮
式内社 越後國頸城郡 居多神社
【御由緒】
越後一の宮 居多(こた)神社
祭神 大国主命
奴奈川姫
建御名方命
祭典 例祭 五月三日
講社大祭 八月十九日・二十日
由緒
弘仁四年(八一三)に従五位下を、貞観三年(八六一)に従四位下を朝廷から賜った。延長五年(九二七)の「延喜式」神名帳に記載された式内社である。越後国司・越後守護上杉家・上杉謙信の厚い保護をうけ、越後一の宮として崇敬されてきた。今日、縁結び・子宝祈願の神として信仰されている。
宝物 居多神社文書・狛犬(上越市指定文化財)
親鸞聖人御旧蹟
親鸞聖人日の丸御名号・御詠歌
越後七不思議「方葉の芦」
境内社
雁田神社 祭神 高皇産霊神・神皇産霊神
子宝・安産の神
稲荷神社 祭神 倉稲魂命(商売繁昌の神)
(社頭由緒掲示板より)
新潟県の南西部に位置し日本海に面した上越市にあります。市の中心部JR東日本とJR西日本の境界の駅、直江津駅の西およそ1.5kmの五智公園の東に隣接して鎮座しています。
社前に広い駐車場があり、境内入口右に昭和46年3月20日の建立の社号標があります。シンプルに「居多神社」とあります。
鳥居から拝殿階段を上がると直ぐに簡素な靖国鳥居です。
境内はゆったりと広く綺麗に整備されています。
鳥居をくぐると左に手水、さらに奥に社務所があります。右に境内社、正面参道突き当たりに社殿です。
拝殿
現在の社殿は平成20年新しく造営され、7月26日竣工祭が行われています。社殿は拝殿、幣殿、本殿(覆殿)が一体となった珍しい造りです。
扁額には「居多大明神 天穂日命八一代孫 千家尊有敬書」とあります。天穂日命は天照大神の御子天忍穂耳尊の弟で高天原から葦原中国平定のために最初に遣わされた神、大国主命に媚び3年たっても復命しなっかたとされています。
拝殿内部の扁額「居多神社 天穂日命八一代孫 尊有敬書」とあります。
千家尊有氏は出雲大社教第三代管長です。出雲大社教は明治15年出雲大社より分離、戦後昭和26年出雲大社と一つになり元の姿に復帰しています。
社殿全景
御祭神は須佐之男命の御子とも6世の孫ともいわれる大国主命(出雲大神)、奴奈川姫命(越の姫神)、建御名方命(諏訪神=大国主命と奴奈河姫命の御子神)の3柱、旧国府にあるということで、越後一宮として栄えた神社です。
社殿全景
創建年代は不詳。古くは媼嶽明神(おうなだけみょうじん)・居多明神とも称し、日本海に面した居多浜村岩戸浦山の半腹に鎮座していました。
その後、貞和年間(1345-49)に社地陥没にあい、さらに慶応2年(1866)に山崩れにあい、明治12年(1879)に海岸浸食によって社地が崩壊したために現在地に造営し遷座されました。
本殿北陸に多くある気多神社と系統を同じくするものであるとされ、社名を「ケタ」と訓むのを正しいとする説もあります。
御祭神像境内右(北側)にあります。
御祭神大国主命と御子建御名方命を抱いた奴奈川姫です。
「大国主命の沼河姫命への妻問」石碑
古事記上巻の沼河比売求婚の場面、八千矛神(大国主神)は高志国の沼河比売を妻に迎えようと思い、比売の家へ向かいそこで歌った求婚の歌と比売の返答の歌、神語の石碑です。
境内社・稲荷神社社殿右にあります。
御祭神は倉稲魂命、稲荷神社に通常見られる朱の鳥居もなく年代を感じさせる石祠です。右の石祠は平成祭データに境内社とある乳母嶽神社(御祭神・乳母嶽神、白蛇神)かと思われます。
境内社・雁田神社参道右(北側)奥にあります。
御祭神は高皇産霊神、神皇産霊神の二柱、そばの案内に「元気な赤ちゃん(子宝)を授けて下さる神様です、、」とあり中に立派な陰陽石が鎮座しています。
親鸞聖人御像参道直ぐ右にあります。
承元元年(一二〇七)、親鸞聖人は、越後国府に配流となった。居多ヶ浜に上陸された親鸞聖人は、まず越後一の宮居多神社に参拝され、
すゑ遠く 法(のり)を守らせ 居多の神
弥陀(みだ)と衆生(しゆじよう)の あらん限りは
と詠まれ、神前に供えて祈願された。すると、一夜にして居多神社境内の芦が片葉になったという。
今日、居多神社には親鸞聖人の御詠歌と日の丸の御名号が所蔵されている。
境内には、親鸞聖人越後七不思議の一つ「片葉の芦」が群生している。
(現地案内板より)
拝殿から参道
当社周辺には親鸞聖人の上陸地、居多ヶ浜、上杉謙信の居城・春日山城址、謙信が文武の修行をした林泉寺、など親鸞聖人と上杉謙信ゆかりの史跡が多くあります。
「心のふるさと道」
境内裏手(西側)に隣接する五智公園へは「心のふるさと道」と呼ばれる遊歩道で結ばれています。散歩、ジョギングの方を見かけました。
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