元旦恒例の三社参りの最後は、自宅の裏庭?いつもの散歩コース(最近サボってばかりですが)にある妙見神社(足立山妙見宮)です。
今年も昨年同様、高見神社から一旦帰宅して、徒歩で向かい、10時10分頃到着しました。好天に恵まれ例年のとおり参拝の車がじゅつつなぎになっていて交通整理のガードマンの方たちがおおわらわで活躍されていました。
当社でも小さなお子さんを連れたご家族が多く見られ、こうゆう光景は、ほほえましく心が和みます。
日本をとり戻すと言って戦前の日本に戻す動きには断固反対ですが、日本の伝統行事は初詣に限らず守り続けたいと思います。
御祖神社(みおやじんじゃ)
足立山妙見宮・妙見神社・足立の妙見様(あだちさんみょうけんぐう・みょうけんじんじゃ・あだちのみょうけんさま)
【鎮座地】〒802-0041 福岡県北九州市小倉北区妙見町17-1 旧豊前国 企救郡
【御祭神】天之御中主神 高皇産靈神 神皇産靈神 鐸石別命 和氣清麻呂
(合祀)伊弉諾神 伊弉冉神 大山祇神 磐長姫神 綿津見神 高淤加美神 闇淤加美神 罔象女神 素戔嗚尊 猿田彦神
大年神 大國主神 少彦名神 事代主命 神武天皇 大彦命 吉備津彦命 建沼河別命 丹波道主命 日本武尊
【例祭】 4月15日 例祭
【旧社格等】県社 全国妙見総本宮
【御由緒】
御祖神社略記
本宮は、国体擁護大忠臣贈正一位和気朝臣清麿公の創祀にかかる、全国唯一の神社である。称徳天皇の神護景雲三(769)年太政大臣法王弓削氏道鏡、反乱をおこした。
公は、勅命をうけて、宇佐神宮に使いとして行き、平常の京に帰り、神のおつげを天子に申し上げた。
神託=我が国は開闢以来君臣の分自ら定まる。臣を以て君となすこと未だこれあらず。天日嗣は必ず皇緒を以てこれをつがしめよ。無道の人は宜しく速やかにこれを掃蕩すべし。=を奏上する。
道鏡大いに怒って、公は足の筋を切られて、鹿児島へと流され、その途中宇佐の海浜の和気村にたどりついた。
十月三日猪に乗って再び宇佐の神前を詣り神のおつげを受けた。
神馬をかりて、規矩郡竹和山(小倉足立山)のすそにある石川村(湯川町)に十月五日の夕方に着いた。
現在の竹馬川は、神馬の着いた場所であり、その着場からおこった地名である。
足立の古名・竹和山も着場から転化したものである。
霊泉に入り、十月六日になって、筋を切られた足がたちどころに治った。
足が立つ、足立の名の起こりともいわれている。
足立は、もと安立とも、安達とも、足起とも誌されている。
さて、公は自ら十月八日足立山にのぼり、北辰尊星妙見又は、虚空蔵菩薩に、天皇の御血統が安泰であり、反逆者がいなくなるように祈った。
十月十五日の未明に、造化の天神があらわれ、「汝の願い、ききいる」とのおつげがあった。
翌年光仁天皇宝亀元(770)年天皇の御血統に安泰し、妖人道鏡は下野国に流され、公は平城の京に呼び返された。
よって公は、四男磐梨妙運を造化天神降臨の地に送り、足立山妙見宮を、十月十五日に創立した。
宝亀三(772)年国司・大伴百世の助けで、葛原蜂が坂の足立に、下宮、足立山平愈寺した。
嵯峨天皇引化(817)年、公の三男参議真綱卿が、宇佐の勅使としての帰り、下宮に父、清麿公及び、その祖先の神霊を合わせ祀った。
慶長六(1601)年、下宮を現場(妙見)に移した。
明治以降、足立山妙見宮並びに足立山平愈寺を御祖神社と改称し、昭和二十年以降足立山妙見宮を再称し、且つ全国妙見総本宮と追称し、現在に至る。
(平成祭データ)
例年午前11時より行われる、小倉北消防団の皆さんの纏の奉納の模様です。
手持ちで揺れて良くありませんが動画も撮りました。
神社近くの高台から小倉市街地です、若干PM2.5の影響か霞んでいます。
以下はスナップです。フォトチャンネルでご覧ください。
2016年初詣 妙見神社(小倉北区妙見)
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