01/25(月)、快晴、無風の絶好の天気に恵まれたこの日、久しぶりに登山してきました。
場所は福岡県の東南端に位置し、大分県に隣接する豊前市の求菩提山です。
求菩提山は標高782mの低山ですが、「天狗の里 求菩提山」と云われる多くの山伏が暮らしていた修験道の山で、当時の遺跡や遺物が数多く残されています。
いつもは単独行が多いのですが、今回は退職した会社の同僚に誘われて3人の団体行動です。
8時30分に自宅を出発、国道10号線を南下、豊前市に入り、「千束交差点」の「求菩提山」への標識に従い、県道32号線を道なりにおよそ15km進むと右手に山伏の姿をしたカラス天狗が迎えてくれます。10時過ぎに到着しました、ここが駐車場で登山の出発点です。
まずは身支度をしてミーティング、掲示してある周辺案内図で今回のルートを確認、県道から分岐して構の石門、座主坊駐車場、岩屋坊、国玉神社中宮、山頂(国玉神社上宮)、護摩場、五窟、行者帰りの径、駐車場と半時計方向に廻るとのことでした。
10:28 石仏と水場
10:15出発、駐車場から右上になだらかな県道を上ると左手にあります。
10:34 求菩提山への案内板
いよいよ登山道と思いきや、ここで今回のツアーコンダクターS氏がガイドブックを見て「2~30台止められる駐車場の入口としては狭いので、この道は違うようだ」、とのことでもうしばらく直進することに決定。
10:55 豊前市街地
県道をさらに進むと右手に豊前市街地が開けてきました。
10:59 次郎坊峠(標高580m)
道路をまたいで朱の欄干の綺麗な橋があります。遂に豊前市と築上町(旧築城町)との境界まで来てしまいました。
ここで、先ほど通過した案内板の所が予定していた登山道の入口だったと確認できました。
お二人は引き返すことを提案しましたが、小生は拒否権を発動、上に架かった朱の橋を渡ることに決定しました。
11:04 結界石 橋の北側たもとにあります。
案内板に「俗界と浄界を区切るための目印の石です。甘木―豊前線の県道建設により
、北谷の中腹にあったものを平成2年にこの地に移された。」とありました。
11:05 朱の欄干の橋
とりあえず、橋を渡って様子を見ることにしました。いよいよ俗界を離れて浄界に入ります。
一人だとなかなかこういう決断はできませんが3人だと心強く冒険できます。
11:08 「玄沖石子詰伝説」の案内板
橋を渡り鬱蒼とした中を進むとほどなくあります。
玄沖という若い山伏が厳しい修行を終えて帰山の時、先輩の僧たちの妬みから落し穴に生き埋めにされたという恐ろしい話です。
11:09 岩屋坊0.9km・愛宕神社0.1km の標識
ここまで進みこの標識を見て一同安心、小生は愛宕神社を見てにんまり。
11:13 愛宕神社
遊歩道から10数m入った所にひっそりと佇んでいます。「平成祭データ」には、国玉神社の境内神社となっています。福岡縣神社誌には境内神社でなく、単に末社とあります。
愛宕神社
愛宕神社は慶長年間(1596~1614年)に、当時の豊前国の領主だった細川氏が寄進したと記録にあります。
その時に玄海法印が、愛宕権現を祭神として京都から迎えました。本家にあたる愛宕神社のある愛宕山は「愛宕の太郎坊天狗」でも知られている修験の行場です。
祭神は軻遇突知命で、求菩提山の「次郎坊天狗」と同じように火災を防ぐ神さまです。そのためか、中谷の次郎坊社から八天狗像(現在、求菩提資科館で保管)がここに移されていたこともあります。愛宕信仰のシンボルである愛宕勝軍地蔵は戦いを勝利に導く菩薩です。その姿は鎧兜を身に着けて、左手に軍旗、右手には剣を持って、馬に乗っています。
現在は神殿だけですが、もとは神殿の前に茅葺の拝殿も建っていたということです。
豊前市教育委員会
(入口案内板より)
11:15 平尾台
北九州市のカルスト台地平尾台がが見えてきました。右下は苅田町から行橋市の市街地かと思われます。
11:20 山伏の墓
遊歩道の左に多くの小さな墓石が点在しています。中に享保七年(1722)八月九日の日付が読み取れるものもありました。
11:25 小笠原系座主墓地 山伏の墓地に続いてあります。
元禄五年(1692)以降、明治五年(1872)まで7代にわたり座主(天台宗の宗派の最高位の僧)を続けた小笠原系座主の墓地です。
いよいよ、尾根伝いの遊歩道も終りとなり岩屋坊への下りとなりました。
ー求菩提山(福岡県豊前市)Part-2 へ続く
場所は福岡県の東南端に位置し、大分県に隣接する豊前市の求菩提山です。
求菩提山は標高782mの低山ですが、「天狗の里 求菩提山」と云われる多くの山伏が暮らしていた修験道の山で、当時の遺跡や遺物が数多く残されています。
いつもは単独行が多いのですが、今回は退職した会社の同僚に誘われて3人の団体行動です。
8時30分に自宅を出発、国道10号線を南下、豊前市に入り、「千束交差点」の「求菩提山」への標識に従い、県道32号線を道なりにおよそ15km進むと右手に山伏の姿をしたカラス天狗が迎えてくれます。10時過ぎに到着しました、ここが駐車場で登山の出発点です。
まずは身支度をしてミーティング、掲示してある周辺案内図で今回のルートを確認、県道から分岐して構の石門、座主坊駐車場、岩屋坊、国玉神社中宮、山頂(国玉神社上宮)、護摩場、五窟、行者帰りの径、駐車場と半時計方向に廻るとのことでした。
10:28 石仏と水場
10:15出発、駐車場から右上になだらかな県道を上ると左手にあります。
10:34 求菩提山への案内板
いよいよ登山道と思いきや、ここで今回のツアーコンダクターS氏がガイドブックを見て「2~30台止められる駐車場の入口としては狭いので、この道は違うようだ」、とのことでもうしばらく直進することに決定。
10:55 豊前市街地
県道をさらに進むと右手に豊前市街地が開けてきました。
10:59 次郎坊峠(標高580m)
道路をまたいで朱の欄干の綺麗な橋があります。遂に豊前市と築上町(旧築城町)との境界まで来てしまいました。
ここで、先ほど通過した案内板の所が予定していた登山道の入口だったと確認できました。
お二人は引き返すことを提案しましたが、小生は拒否権を発動、上に架かった朱の橋を渡ることに決定しました。
11:04 結界石 橋の北側たもとにあります。
案内板に「俗界と浄界を区切るための目印の石です。甘木―豊前線の県道建設により
、北谷の中腹にあったものを平成2年にこの地に移された。」とありました。
11:05 朱の欄干の橋
とりあえず、橋を渡って様子を見ることにしました。いよいよ俗界を離れて浄界に入ります。
一人だとなかなかこういう決断はできませんが3人だと心強く冒険できます。
11:08 「玄沖石子詰伝説」の案内板
橋を渡り鬱蒼とした中を進むとほどなくあります。
玄沖という若い山伏が厳しい修行を終えて帰山の時、先輩の僧たちの妬みから落し穴に生き埋めにされたという恐ろしい話です。
11:09 岩屋坊0.9km・愛宕神社0.1km の標識
ここまで進みこの標識を見て一同安心、小生は愛宕神社を見てにんまり。
11:13 愛宕神社
遊歩道から10数m入った所にひっそりと佇んでいます。「平成祭データ」には、国玉神社の境内神社となっています。福岡縣神社誌には境内神社でなく、単に末社とあります。
愛宕神社
愛宕神社は慶長年間(1596~1614年)に、当時の豊前国の領主だった細川氏が寄進したと記録にあります。
その時に玄海法印が、愛宕権現を祭神として京都から迎えました。本家にあたる愛宕神社のある愛宕山は「愛宕の太郎坊天狗」でも知られている修験の行場です。
祭神は軻遇突知命で、求菩提山の「次郎坊天狗」と同じように火災を防ぐ神さまです。そのためか、中谷の次郎坊社から八天狗像(現在、求菩提資科館で保管)がここに移されていたこともあります。愛宕信仰のシンボルである愛宕勝軍地蔵は戦いを勝利に導く菩薩です。その姿は鎧兜を身に着けて、左手に軍旗、右手には剣を持って、馬に乗っています。
現在は神殿だけですが、もとは神殿の前に茅葺の拝殿も建っていたということです。
豊前市教育委員会
(入口案内板より)
11:15 平尾台
北九州市のカルスト台地平尾台がが見えてきました。右下は苅田町から行橋市の市街地かと思われます。
11:20 山伏の墓
遊歩道の左に多くの小さな墓石が点在しています。中に享保七年(1722)八月九日の日付が読み取れるものもありました。
11:25 小笠原系座主墓地 山伏の墓地に続いてあります。
元禄五年(1692)以降、明治五年(1872)まで7代にわたり座主(天台宗の宗派の最高位の僧)を続けた小笠原系座主の墓地です。
いよいよ、尾根伝いの遊歩道も終りとなり岩屋坊への下りとなりました。
ー求菩提山(福岡県豊前市)Part-2 へ続く
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