2/8(火)2月初午の日です。全国の稲荷神社では初午祭が行われ多くの参拝客で賑わいます。そこで日本三大稲荷に数えられる笠間稲荷神社(茨城県笠間市)を掲載します。
笠間稲荷神社(かさまいなりじんじゃ)
<通称>胡桃下稲荷、紋三郎稲荷(くるみしたいなり、もんざぶろういなり)
【鎮座地】〒309-1611 茨城県笠間市笠間1 旧常陸国 茨城郡
【御祭神】宇迦之御魂神
【例祭】 4月9日 例祭
【旧社格等】村社(現別表神社)
【御由緒】
御神名 宇迦之御魂神は「倉稲魂神」とも書き、「ウカ」は「ウケ」に通じ、「食」の義であって、即ち食物の事を掌り給う大神であられます。
「古事記」の所伝によれば、速須佐之男命(ハヤスサノヲノミコト)の御子で、母は大山津見神(オオヤマツミノカミ)の女神大市比売命(ミムスメカムオオイチヒメノミコト)であられます。
伊勢の外宮に鎮まります、豊宇気毘売神(トヨウケヒメノカミ)もまた食物の神で、その伝えられるところの、御系統などは異なりますが、その本質に於いては全く同様で、五穀を始めとして、農牧・水産・養蚕等、あらゆる殖産興業の守護神として、また、火防の神として遍く全国を通じて尊崇せられる所以であります。
尚当社は江戸時代に於いて、「紋三郎稲荷」「胡桃下(クルミシタ)稲荷」として知られております。
当社の創建に関しては、その年代が詳らかではありませんが、社伝によれば第36代、孝徳天皇の御代白雉年間(650~654)伝えられております。
その後幾星霜を経て、桜町天皇の御代、寛保 3年(1743)に至り、時の笠間城主井上正賢が社地社殿を拡張して奉齋の誠を尽し、延享 4年(1747)牧野貞通が城主となり、先例によって祈願所と定めて崇敬し、境内地・祭器具等を寄進され、以下歴代の藩主の尊崇厚く、現今では関東地方は勿論、全国より年間 200万人に及ぶ崇敬者が参詣されております。
(平成祭データ)
茨城県の中部に位置する笠間市にあります。水戸線笠間駅のほぼ北1.5km、国道355号線沿いに鎮座しています。明治39年の社号標には「胡桃下稲荷神社」とあります。
二の鳥居参道を進むと短い石橋に続いて二の鳥居です。
鳥居の扁額にはシンプルに「稲荷神社」とあります。
三の鳥居から楼門
鳥居の扁額には「正一位胡挑下稲荷大明神」とあります。左奥には絵馬殿、正面に楼門、その左手前には神明造り風の割と新しく見える交通安全祈願所があります。
手水舎三の鳥居をくぐってすぐ、参道右にあります。銅板葺きの豪華な造りです。
楼門重層入母屋造で昭和36年に竣工です。「萬世泰平門」と言われています。
楼門から拝殿
楼門を入ると右に昭和42年に県の天然記念物に指定された藤棚、左は社務所、正面に拝殿から奥に本殿と配置されています。
拝殿
現在の拝殿は昭和35年10月の竣工で、旧社格は村社ですが戦後は別表神社に列せられ、日本三大稲荷に相応しい豪壮で華麗な造りです。
当地には往古、胡桃の密林があり、そこに稲荷大神が祀られていたことから、「胡桃下稲荷」(くるみがしたいなり)とも呼ばれています。
拝殿の扁額シンプルに「稲荷宮」?とあります。
本殿
屋根は入母屋造りの銅板葺き、総欅の権現造りの本殿は、江戸時代末期の安政・万延年間(1854~1861)の建立で昭和63年国の重要文化財に指定されています。
創建は第36代、孝徳天皇の御代白雉年間(650~654)と伝えられています。
本殿の彫刻
柱や周囲には随所に飾り彫りが施され、緻密で精巧な匠の技が見られます。
代表的なものは、建築当時名工といわれた後藤縫之助作の「三頭八方睨みの龍」や弥勒寺音八と諸貫五郎の作の「蘭亭曲水の図」などがあります。
お狐様本殿そばに多くのお狐様が奉納されています。命婦社かと思われます。
境内末社本殿奥にあります。
月読神社・月讀尊 菊理媛神、白山神社・ 伊佐奈伎神 伊邪那美神、菅原神社・菅原道眞、粟島神社・少彦名神、山倉神社・高皇産靈神 建速須佐之男神 大國主神、です。
聖徳殿拝殿向かって右、藤棚の奥にあります。
名前のとおり御祭神は聖徳太子、合殿として大黒天(大国主大神)、事比羅社(大物主大神)が祀られています。
東門楼門の手前右億(境内東側」)にあります。
文化13年(1816)に再建された入母屋造りの建物です。
境内から楼門
境内から一の鳥居まで一直線に続く参道が見渡されます。
楼門から参道
参道の土産物屋参拝を終えた8時40分ころには開店準備に忙しい様子が見られました。
笠間稲荷神社(かさまいなりじんじゃ)
<通称>胡桃下稲荷、紋三郎稲荷(くるみしたいなり、もんざぶろういなり)
【鎮座地】〒309-1611 茨城県笠間市笠間1 旧常陸国 茨城郡
【御祭神】宇迦之御魂神
【例祭】 4月9日 例祭
【旧社格等】村社(現別表神社)
【御由緒】
御神名 宇迦之御魂神は「倉稲魂神」とも書き、「ウカ」は「ウケ」に通じ、「食」の義であって、即ち食物の事を掌り給う大神であられます。
「古事記」の所伝によれば、速須佐之男命(ハヤスサノヲノミコト)の御子で、母は大山津見神(オオヤマツミノカミ)の女神大市比売命(ミムスメカムオオイチヒメノミコト)であられます。
伊勢の外宮に鎮まります、豊宇気毘売神(トヨウケヒメノカミ)もまた食物の神で、その伝えられるところの、御系統などは異なりますが、その本質に於いては全く同様で、五穀を始めとして、農牧・水産・養蚕等、あらゆる殖産興業の守護神として、また、火防の神として遍く全国を通じて尊崇せられる所以であります。
尚当社は江戸時代に於いて、「紋三郎稲荷」「胡桃下(クルミシタ)稲荷」として知られております。
当社の創建に関しては、その年代が詳らかではありませんが、社伝によれば第36代、孝徳天皇の御代白雉年間(650~654)伝えられております。
その後幾星霜を経て、桜町天皇の御代、寛保 3年(1743)に至り、時の笠間城主井上正賢が社地社殿を拡張して奉齋の誠を尽し、延享 4年(1747)牧野貞通が城主となり、先例によって祈願所と定めて崇敬し、境内地・祭器具等を寄進され、以下歴代の藩主の尊崇厚く、現今では関東地方は勿論、全国より年間 200万人に及ぶ崇敬者が参詣されております。
(平成祭データ)
茨城県の中部に位置する笠間市にあります。水戸線笠間駅のほぼ北1.5km、国道355号線沿いに鎮座しています。明治39年の社号標には「胡桃下稲荷神社」とあります。
二の鳥居参道を進むと短い石橋に続いて二の鳥居です。
鳥居の扁額にはシンプルに「稲荷神社」とあります。
三の鳥居から楼門
鳥居の扁額には「正一位胡挑下稲荷大明神」とあります。左奥には絵馬殿、正面に楼門、その左手前には神明造り風の割と新しく見える交通安全祈願所があります。
手水舎三の鳥居をくぐってすぐ、参道右にあります。銅板葺きの豪華な造りです。
楼門重層入母屋造で昭和36年に竣工です。「萬世泰平門」と言われています。
楼門から拝殿
楼門を入ると右に昭和42年に県の天然記念物に指定された藤棚、左は社務所、正面に拝殿から奥に本殿と配置されています。
拝殿
現在の拝殿は昭和35年10月の竣工で、旧社格は村社ですが戦後は別表神社に列せられ、日本三大稲荷に相応しい豪壮で華麗な造りです。
当地には往古、胡桃の密林があり、そこに稲荷大神が祀られていたことから、「胡桃下稲荷」(くるみがしたいなり)とも呼ばれています。
拝殿の扁額シンプルに「稲荷宮」?とあります。
本殿
屋根は入母屋造りの銅板葺き、総欅の権現造りの本殿は、江戸時代末期の安政・万延年間(1854~1861)の建立で昭和63年国の重要文化財に指定されています。
創建は第36代、孝徳天皇の御代白雉年間(650~654)と伝えられています。
本殿の彫刻
柱や周囲には随所に飾り彫りが施され、緻密で精巧な匠の技が見られます。
代表的なものは、建築当時名工といわれた後藤縫之助作の「三頭八方睨みの龍」や弥勒寺音八と諸貫五郎の作の「蘭亭曲水の図」などがあります。
お狐様本殿そばに多くのお狐様が奉納されています。命婦社かと思われます。
境内末社本殿奥にあります。
月読神社・月讀尊 菊理媛神、白山神社・ 伊佐奈伎神 伊邪那美神、菅原神社・菅原道眞、粟島神社・少彦名神、山倉神社・高皇産靈神 建速須佐之男神 大國主神、です。
聖徳殿拝殿向かって右、藤棚の奥にあります。
名前のとおり御祭神は聖徳太子、合殿として大黒天(大国主大神)、事比羅社(大物主大神)が祀られています。
東門楼門の手前右億(境内東側」)にあります。
文化13年(1816)に再建された入母屋造りの建物です。
境内から楼門
境内から一の鳥居まで一直線に続く参道が見渡されます。
楼門から参道
参道の土産物屋参拝を終えた8時40分ころには開店準備に忙しい様子が見られました。
(簡単な処置程度の)
手術前に、私に御縁のある神社だと思い、
画面の前で神社参拝させていただきました。
掲載 ありがとう御座います。
(少し安心しました。)
どんなに簡単な手術でも、前夜はやっぱり緊張してしまいます。
前回の術後、思っていたより体に負担を感じな
かったので・・・
今回は閲覧のお休み宣言はしませ~ん(笑)