先日の続きです。
開始早々、登山口を間違うというハプニングもありましたが、その後順調に続けました。
11:30 朝日窟 岩屋坊へと下る途中ににあります。
小さな窟の中に木の祠があります。鎌倉末期から南北朝はじめの頃のものと推定されています。
11:33 安浄寺跡
県道の案内板からのルートとの合流点にあります。修験者(山伏)の弔いの場です。
11:34 岩屋坊
安浄寺跡のすぐ下にあります。
現存する2軒の坊のひとつです、江戸時代末期の建築で福岡県有形民族文化財に指定されています。
11:35 本来の登山道
県道の案内板からの登山道です。かなり段差が高く登るのはきつそうです。構の石門、禊場など見られませんでしたが、間違えて良かった(楽をした)と思いました。
11:36 豊照神社
安浄寺跡の左にあります。
かつて毘沙門堂と呼ばれ、毘沙門天を祀るお堂でした。明治以後、豊照神社と改称されました。
豊照神社(とよてるじんじゃ)(毘沙門堂)
この社は上宮の真北にあたり、かつては毘沙門堂とよばれ、北側を守護する毘沙門天が祀られていました。
毘沙門天は多聞天とも呼ばれ、四方を守護する四天王の一人です。
昆沙門天立像は平安時代の作とされる優れた等身大の木彫りの作品ですが、残念ながら表面の傷みが進み、現在は求菩提資料館で保存・管理しています。
明治5年(1872年)の「修験道禁止令」後に求菩提山護国寺は国玉神社となり、毘沙門堂も豊照神社と改められました。
現在の堂社はそれ以降に神社建築で建て直されたものです。建築材を調べると江戸時代にさかのぼる占い材木が使われており、毘沙門堂の名残を伝えています。記録によれば、当時の毘沙門堂は現在の堂社と規模はほぼ同じで、屋根が茅葺であったと記されています。
豊前市教育委員会
(社前案内板より)
11:42 数分、小休止して中宮を目指します。
求菩提山0.9kmの標識
--まだ続くーー
開始早々、登山口を間違うというハプニングもありましたが、その後順調に続けました。
11:30 朝日窟 岩屋坊へと下る途中ににあります。
小さな窟の中に木の祠があります。鎌倉末期から南北朝はじめの頃のものと推定されています。
11:33 安浄寺跡
県道の案内板からのルートとの合流点にあります。修験者(山伏)の弔いの場です。
11:34 岩屋坊
安浄寺跡のすぐ下にあります。
現存する2軒の坊のひとつです、江戸時代末期の建築で福岡県有形民族文化財に指定されています。
11:35 本来の登山道
県道の案内板からの登山道です。かなり段差が高く登るのはきつそうです。構の石門、禊場など見られませんでしたが、間違えて良かった(楽をした)と思いました。
11:36 豊照神社
安浄寺跡の左にあります。
かつて毘沙門堂と呼ばれ、毘沙門天を祀るお堂でした。明治以後、豊照神社と改称されました。
豊照神社(とよてるじんじゃ)(毘沙門堂)
この社は上宮の真北にあたり、かつては毘沙門堂とよばれ、北側を守護する毘沙門天が祀られていました。
毘沙門天は多聞天とも呼ばれ、四方を守護する四天王の一人です。
昆沙門天立像は平安時代の作とされる優れた等身大の木彫りの作品ですが、残念ながら表面の傷みが進み、現在は求菩提資料館で保存・管理しています。
明治5年(1872年)の「修験道禁止令」後に求菩提山護国寺は国玉神社となり、毘沙門堂も豊照神社と改められました。
現在の堂社はそれ以降に神社建築で建て直されたものです。建築材を調べると江戸時代にさかのぼる占い材木が使われており、毘沙門堂の名残を伝えています。記録によれば、当時の毘沙門堂は現在の堂社と規模はほぼ同じで、屋根が茅葺であったと記されています。
豊前市教育委員会
(社前案内板より)
11:42 数分、小休止して中宮を目指します。
求菩提山0.9kmの標識
--まだ続くーー
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます