一之宮貫前神社(群馬県富岡市)を掲載しました。
一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)
【鎮座地】〒370-2452 群馬県富岡市一ノ宮1535 旧上野国 甘楽郡
【御祭神】經津主神 (配祀)姫大神
【例祭】 3月15日 例大祭 3月15日式年祭(12年に一度、酉年) 本殿遷座祭
【旧社格等】国幣中社 (現別表神社
上野國一の宮
式内社 上野國甘楽郡 貫前神社 名神大
【御由緒】
由緒
御創建は社伝によりますと、碓氷郡東横野村鷺宮に物部姓磯部氏が奉斎し、次いで南方鏑川岸に至り、蓬ヶ丘綾女谷にお祀りしたのが安閑天皇元年(五三一)三月十五日と伝えています。 天武天皇白鳳二年(六七四)三月十五日に初度の奉幣があり、醍醐天皇の延喜の制には名神大社に列せられ、上野國一之宮として朝廷や民間の崇敬を衆め、明治四年國幣中社に列格されましたが、終戦にともなう社格制度の廃止により、一之宮貫前神社と称し現在に至っております。 現在の社殿は、徳川三代将軍家光公の命により寛永十二年(一六三五)の御造営で、江戸初期の華麗な造りで、特に本殿、拝殿、楼門は国の重要文化財に指定されています。
御祭神
経津主神(ふつぬしのかみ)
経津主神は物部の氏神で、天照大神の命を受け武甕槌神と共に出雲國の大國主神より天孫のために国土を奉らしめた神で、古来より武の神、建国の祖神として信仰されています。
姫大神(ひめおおかみ)
姫大神は御名は不詳ですがおそらく綾女庄(一之宮地方の占称)の神で養蚕機織の守護神と考えられています。
◆全同的にも珍しい登って下る参道。
◆雷神小窓 元禄11年2月の本殿修復の節に江戸桜田の絵師梶川政利が描いたもので、幾つかの伝説を生み信仰の対象となっています。
◆蛙の木 太平洋戦争末期、境内の樹木に蛙の形をした茸(サルノコシカケ)が出たのを「勝ち蛙」と呼び多くの参拝者がありました。現在は「無事蛙」と呼ばれ父通安全のお守りになつています。
◆太々神楽 縁由詳かではありませんが、往古出雲大社の社家より、24座が伝承されたと伝えられています。奉納日 元旦・3月15日
(神社パンフレットより抜粋)
群馬県の南西部に位置し、明治5年(1872)日本最初の官営「富岡製糸場」がこの地で創業し製糸産業で栄えた、富岡市にあります。上信電鉄上州一宮駅の西およそ1Km、蓬ヶ丘の北側斜面、綾女谷に鎮座しています。
総門
100段の石段を上り、昭和4年建立の朱の両部鳥居をくぐると、右前方に荘厳な総門が見えてきます。前には高さ約395cmの巨大な一対の銅製灯籠があります。慶応元年(1865)製作、慶応2年建立の富岡市指定重要文化財です。
平成9年4月23日指定
富岡市指定重要文化財貫前神社唐銅製燈籠
高さ約395センチの一対の銅製灯籠で、慶応元年(1865)製作、慶応2年にここに建てられた。灯籠の基礎部と竿部の間に、灯籠建立の際の献納者名・住居地・献納額が二段に刻まれている。 献納者の人数は合計で1,544名、献納額は総額4,790両にのぼり、地元の多数の養蚕農家を初め、上州・江戸・横浜の生糸・絹商人らが献納している。 本県をはじめ、周辺各地における養蚕・製糸業の繁栄興隆と、これに携わる人々の祈念を明確に示す資料として重要であり、7年後に開業した官営富岡製糸場の先駆的記念碑ともいえる重要な文化財である。 富岡市教育委員会
(現地案内板より)
総門から境内
社殿のある境内は石段下に朱の楼門から東西回廊に囲まれ、鬱蒼とした樹木に覆われています。境内は北斜面の森を含め約二万六千坪と広大です。
参道上から楼門参拝は急な石段を下ります。
宮崎の鵜戸神宮、熊本の草部吉見神社とともに、日本三大下り宮に数えられる特殊な配置です。
楼門
石段を下ると、左に手水舎、右に社務所、正面に朱の鮮やかな楼門です。中央に賽銭箱があり通常の参拝はここで行います。
拝殿
楼門の左右の通路から入ると極彩色の装飾の施された華麗な造りの拝殿です。本殿と同時期の寛永12年(西暦1635)の建造です。
拝殿から本殿
拝殿と本殿は瑞垣に囲まれ、本殿後には藤太杉と呼ばれる大杉など巨木が迫っています。
本殿
当社はかつて抜鉾大神、一宮抜鉾大明神とも称され、もと貫前神と抜鉾神の二社二神であったが両者が混同されるうになり、明治以降貫前神社と称されてきました。本殿の構造は単層二階建の俗に「貫前造」という当社独特の形式で、屋根正面の妻の部分に雷神の描かれた「雷神小窓」と呼ばれる窓があります。
社殿全景左から、楼門、拝殿、本殿です。
社殿(本殿、拝殿、楼門、東西回廊)
現在の社殿は徳川三代将軍家光公の命による寛永十二年(一六三五)の造営である。
「元禄十一年(一六九八〉五代将軍綱吉公の命により大修理した」江戸初期の極彩色総漆塗の精巧華麗な造りであるだけでなく、本殿の構造が単層二階建の俗に「貫前造」という当社独特の社殿形式と「雷神小窓」と称す小窓が設けられていることから、明治四十五年旧国宝、昭和二十五年国指定重要文化財に指定されている。拝殿、楼門(昭和五十一年国指定重要文化財に追加指定)及び東西廻廓は、同時代の建築である。
摂社「抜鉾若御子神社」
抜鉾若御子神社は安閑天皇の御代に現われたと伝え上野国神明帳に従五位抜鉾若御子明神と記載されている。明治三十八年に一ノ宮字若宮の地より現在地に遷座され、現在の社殿は棟札によると文化十二年の建立と伝う。
(現地案内板より)
神楽殿境内右(東側)にあります。
出雲大社より伝承された太々神楽などが奉納されます。
末社・月読神社参道石段の途中、左にあります。
末社「月読神社」
月読神社の現在の社殿は、寛永十二年以前の旧御本社拝殿を牛王堂として使用し、明治維新以後、月夜見命をお祀りして月読神社と改称した。明治四十一年、近在の氏神である社久司神社(秋畑琵琶澤)雷電神社(秋畑二ツ石)、湯前神社(秋畑裏根)、近戸神社(富岡市野上)の各社を合祀した。月夜見命他十七柱の神々をお祀りしている。
(社前案内板より)
参道下から総門
通常は参拝を終わると下りで楽ですが、また急な110段の石段を上ります。
西門
総門の左、西側の12年毎の式年遷宮で仮殿が建てられる仮殿敷地の入口にあります。両側に巨木が聳えています。
鬱蒼とした樹木に囲まれた仮殿敷地、左に二十二末社、正面奥に末社・日枝神社、伊勢内宮、外宮が並んでいます。
二十二末社
左から竈神社、菅原神社など県内主要の22社を一棟の社殿にお祀りしたものです。
末社・日枝神社、伊勢内宮、外宮左から、日枝神社、内宮、外宮です。
二十二末社
社領内各地に鎮座していた22の末社を寛永12年御本社の御造営の際に、一棟の社殿にお祀りしたことから二十二末社と称す。
末社「日枝神社」
日枝神社の現在の社殿は寛永12年以前の旧御本社の本殿を移築したと伝わる。明治42年に近在の氏神である和合神社(田島)、諏訪神社(宇田)大臣神社(坂井)各社を合祀、大山咋神、他17柱の神々をお祀りしている。
末社 「伊勢内宮、外宮」
内宮、外宮は古くは境内の天狗沢峰通り宇伊勢屋敷に鎮座していたものを寛永12年に現在地に遷座したと伝わる。
伊勢内宮は天照大神、伊勢外宮は豊受大神をお祀りしている。
(社前案内板より)
スダジイ西門入って左にあります。
樹高:15m、根回り:4m、樹齢:推定約1000年、富岡市指定天然記念物です。
大鳥居からの景観
大鳥居からは眼下に旧一宮市街地が見渡せます。右の山は大桁山(836)かと思われます。
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