諏訪神社(長崎市)をフォトギャラリー(九州、沖縄)に掲載しました。
当社はJR長崎駅から東におよそ1kmほどの西山町に鎮座しています。
長崎市内の移動は路面電車が安くて(全線100円均一)便利です。当社も「諏訪神社前」電停からすぐに一の鳥居が見えています。
じゃ踊りで有名な「長崎くんち」は当社の例大祭で10月7~9日におこなわれ、日本三大祭と称されています。
【鎮座地】〒850-0006 長崎市上西山町18番15号
【御祭神】
主祭神 諏訪大神:建御名方神 八坂刀賣神
相殿神 森崎大神:伊邪那岐神 伊邪那美神
住吉大神:上筒之男神 中筒之男神 底筒之男神
【御由緒】
当神社のご縁起は、かつて戦国時代にこの長崎はキリスト教のご領地となって、神社も寺も全部焼き払われて無くなっていたのを、今から約360年前の寛永2年(1624)に初代宮司青木賢清によってこの地に再興されたもので、徳川幕府の援助により鎮西無比の壮厳な社殿が造営された。
しかし、安政4年(1857)火災に遇い一部を残し殆ど消失したが、孝明天皇の思召しにより、明治2年に10年の歳月をかけて復元し、更に昭和59年御鎮座360年を記念し、昭和の大改修として造営されたのが現在の社殿である。
(平成祭データ)
一の鳥居、扁額には「鎮西大社」とあります。
なだらかな参道を進み石段を上るととりっぱな大門(神門)
正面奥に昭和59年の御鎮座360年祭、平成6年の370年祭の二度にわたり造営された社殿。
拝殿
諏訪大神・森崎大神・住吉大神の三体が祀られた本殿
厄難除け蛙岩
当神社の末社の玉園稲荷神社の横には、江戸時代よりしめ繩が張られ「霊石」として崇敬されている蛙に似た大岩がある。
この大岩は、昔から「蛙岩」(どんくいわ)と呼ばれ、先年の長崎大水害の折りには、土砂崩れから社殿を守り、以後災難除けの蛙岩と信仰されている。
この蛙岩は「出した金またかえる。旅行に行っても無事かえる。病気になっても健康がかえる」等の願い事が叶うと言われている。
この蛙岩の陶製ミニチュアの「蛙守り」は、全国より手紙での申し込みがある等評判である。
続く
当社はJR長崎駅から東におよそ1kmほどの西山町に鎮座しています。
長崎市内の移動は路面電車が安くて(全線100円均一)便利です。当社も「諏訪神社前」電停からすぐに一の鳥居が見えています。
じゃ踊りで有名な「長崎くんち」は当社の例大祭で10月7~9日におこなわれ、日本三大祭と称されています。
【鎮座地】〒850-0006 長崎市上西山町18番15号
【御祭神】
主祭神 諏訪大神:建御名方神 八坂刀賣神
相殿神 森崎大神:伊邪那岐神 伊邪那美神
住吉大神:上筒之男神 中筒之男神 底筒之男神
【御由緒】
当神社のご縁起は、かつて戦国時代にこの長崎はキリスト教のご領地となって、神社も寺も全部焼き払われて無くなっていたのを、今から約360年前の寛永2年(1624)に初代宮司青木賢清によってこの地に再興されたもので、徳川幕府の援助により鎮西無比の壮厳な社殿が造営された。
しかし、安政4年(1857)火災に遇い一部を残し殆ど消失したが、孝明天皇の思召しにより、明治2年に10年の歳月をかけて復元し、更に昭和59年御鎮座360年を記念し、昭和の大改修として造営されたのが現在の社殿である。
(平成祭データ)
一の鳥居、扁額には「鎮西大社」とあります。
なだらかな参道を進み石段を上るととりっぱな大門(神門)
正面奥に昭和59年の御鎮座360年祭、平成6年の370年祭の二度にわたり造営された社殿。
拝殿
諏訪大神・森崎大神・住吉大神の三体が祀られた本殿
厄難除け蛙岩
当神社の末社の玉園稲荷神社の横には、江戸時代よりしめ繩が張られ「霊石」として崇敬されている蛙に似た大岩がある。
この大岩は、昔から「蛙岩」(どんくいわ)と呼ばれ、先年の長崎大水害の折りには、土砂崩れから社殿を守り、以後災難除けの蛙岩と信仰されている。
この蛙岩は「出した金またかえる。旅行に行っても無事かえる。病気になっても健康がかえる」等の願い事が叶うと言われている。
この蛙岩の陶製ミニチュアの「蛙守り」は、全国より手紙での申し込みがある等評判である。
続く
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