姫坂神社(愛媛県今治市)を掲載しました。
姫坂神社(ひめさかじんじゃ)
<通称>姫坂さん(ひめさかさん)
【鎮座地】〒794-0052 愛媛県今治市宮下町3丁目甲1475 旧伊予国 越智郡
【御祭神】市杵嶋比賣命
【例祭】5月10日 例大祭 5月10日 例大祭
【旧社格等】
式内社 伊豫國越智郡 姫坂神社 名神大
旧県社
【御由緒】
姫坂神社由緒 旧社格 式内大社
県社
一、祭神 市杵島姫神(天照大神の御子神)
「姫の宮」と称えて往古より日吉の里、姫の宮の地(現在の南日吉町)に鎮座と伝えられ、今から1080年前醍醐天皇の延喜の制に式内大社(全国で351社)に列格の栄光に浴し皇室より久しく特別の待遇に預り、国司、主護職、領主をはじめ庶民の信仰を集めた。
江戸時代今治藩の祈願所として雨乞祈願のたびごとに藩主の参拝あり、毎年ご蔵米の献納に預った程であったが、故あって6200坪に余る広大にして尊厳な千幾百年の歴史を残す姫の宮の社地から現在の浄地に移転されたのは今から二百数十年前のことである。
続伊豫温故録より 宮脇通赫著
姫坂神社 日吉村にあり 古歌
ひめ坂に立る梢のいろいろに
神のみそぎの錦なるらん
享保八年九月九日 当国松山之住
仙波半幽斎全敬伯
当神社は古来式内大社として、また日吉郷(旧今治市の全域)の一の宮として斎かれ、交通主護の神、開運の神、安産の神として広く信仰されている。
昭和58年 式年祭に際して建之
(境内案内板より)
JR今治駅から西に数百m、朱の欄干の「弥栄橋」を渡ると参道が続き、突き当たりの丘の上にあります。
参道の両脇は公園になっています、右手には今治北高校、左手にお城(個人の所有とのこと!?)がそびえています。
参道から二の鳥居
右に境内社の青木神社、左に稲荷社と社務所があります。
二の鳥居と狛犬
珍しくユーモラスな顔の狛犬が迎えてくれます。
境内社、青木神社
青木神社由緒
一、祭神 少彦名神
一、神徳と沿革 医学の神様として広く信仰されている少彦名神様は、太古各地を巡って医術と医薬の道を指導し大勢の病人を救済なさった神徳の高い神様であります。
青木通り(現、北日吉町一丁目)は少彦名神様のご駐蹕の古跡に小千国造が神籬を立てて祭祀を行ない、のち社殿を造営された大そう古い神社であります。
江戸時代藩主の祈願所として庶民の信仰あつく、病に悩む人々特に「咳」の守護神として祈願と感謝に奉納する草履は相当の数であったと伝えられています。
明治四二年にここに遷座されましたが今も霊験を頂く祈願者は市内一円から附近の町村からそのあとを断ちません。
(社前案内)
拝殿
境内は工事中で重機が置いてありました。
本殿
御祭神は市杵島姫神(天照大神の御子神)、創始年代は不詳
姫の宮」と称えて往古より日吉の里、姫の宮の地(現在の南日吉町)に鎮座と伝えられています。
境内社、大己貴神社 大山祇神社 山王神社
このお宮の中に三殿をお祀りし中央に大己貴神社、向って右側は大山祇神社、左側は山王神社で明治四二年にここに合祀されました。
一、大己貴神社 一般に荒神様と親しみの言葉で呼んでいます。また大国主神、大黒様とも申します。元は宮ノ下、本村城台、新屋敷、八軒家、鯉池、今城、横畑の地区の守護神と七体のご神体が合祀されてあり毎年一度地区毎の氏子で大祭が行われ、お当祭りの神事も続いています。
殖産興業の神、農耕の神として信仰が篤い。
一、大山祇神社 向って右のご殿に、宮ノ下、八軒家の祭神が合祀してあります。
ご祭神は大山祇神、山神信仰により往古よりお祀りされました。
一、山王神社 山王権現社又は日吉山王社とも称し、泉川町から合祀されました。土地の守護神、地鎮の神様であります。
(社前案内)
境内社、稲荷社
本殿右横に石祠の稲荷社があります。
参道から一の鳥居
姫坂神社(ひめさかじんじゃ)
<通称>姫坂さん(ひめさかさん)
【鎮座地】〒794-0052 愛媛県今治市宮下町3丁目甲1475 旧伊予国 越智郡
【御祭神】市杵嶋比賣命
【例祭】5月10日 例大祭 5月10日 例大祭
【旧社格等】
式内社 伊豫國越智郡 姫坂神社 名神大
旧県社
【御由緒】
姫坂神社由緒 旧社格 式内大社
県社
一、祭神 市杵島姫神(天照大神の御子神)
「姫の宮」と称えて往古より日吉の里、姫の宮の地(現在の南日吉町)に鎮座と伝えられ、今から1080年前醍醐天皇の延喜の制に式内大社(全国で351社)に列格の栄光に浴し皇室より久しく特別の待遇に預り、国司、主護職、領主をはじめ庶民の信仰を集めた。
江戸時代今治藩の祈願所として雨乞祈願のたびごとに藩主の参拝あり、毎年ご蔵米の献納に預った程であったが、故あって6200坪に余る広大にして尊厳な千幾百年の歴史を残す姫の宮の社地から現在の浄地に移転されたのは今から二百数十年前のことである。
続伊豫温故録より 宮脇通赫著
姫坂神社 日吉村にあり 古歌
ひめ坂に立る梢のいろいろに
神のみそぎの錦なるらん
享保八年九月九日 当国松山之住
仙波半幽斎全敬伯
当神社は古来式内大社として、また日吉郷(旧今治市の全域)の一の宮として斎かれ、交通主護の神、開運の神、安産の神として広く信仰されている。
昭和58年 式年祭に際して建之
(境内案内板より)
JR今治駅から西に数百m、朱の欄干の「弥栄橋」を渡ると参道が続き、突き当たりの丘の上にあります。
参道の両脇は公園になっています、右手には今治北高校、左手にお城(個人の所有とのこと!?)がそびえています。
参道から二の鳥居
右に境内社の青木神社、左に稲荷社と社務所があります。
二の鳥居と狛犬
珍しくユーモラスな顔の狛犬が迎えてくれます。
境内社、青木神社
青木神社由緒
一、祭神 少彦名神
一、神徳と沿革 医学の神様として広く信仰されている少彦名神様は、太古各地を巡って医術と医薬の道を指導し大勢の病人を救済なさった神徳の高い神様であります。
青木通り(現、北日吉町一丁目)は少彦名神様のご駐蹕の古跡に小千国造が神籬を立てて祭祀を行ない、のち社殿を造営された大そう古い神社であります。
江戸時代藩主の祈願所として庶民の信仰あつく、病に悩む人々特に「咳」の守護神として祈願と感謝に奉納する草履は相当の数であったと伝えられています。
明治四二年にここに遷座されましたが今も霊験を頂く祈願者は市内一円から附近の町村からそのあとを断ちません。
(社前案内)
拝殿
境内は工事中で重機が置いてありました。
本殿
御祭神は市杵島姫神(天照大神の御子神)、創始年代は不詳
姫の宮」と称えて往古より日吉の里、姫の宮の地(現在の南日吉町)に鎮座と伝えられています。
境内社、大己貴神社 大山祇神社 山王神社
このお宮の中に三殿をお祀りし中央に大己貴神社、向って右側は大山祇神社、左側は山王神社で明治四二年にここに合祀されました。
一、大己貴神社 一般に荒神様と親しみの言葉で呼んでいます。また大国主神、大黒様とも申します。元は宮ノ下、本村城台、新屋敷、八軒家、鯉池、今城、横畑の地区の守護神と七体のご神体が合祀されてあり毎年一度地区毎の氏子で大祭が行われ、お当祭りの神事も続いています。
殖産興業の神、農耕の神として信仰が篤い。
一、大山祇神社 向って右のご殿に、宮ノ下、八軒家の祭神が合祀してあります。
ご祭神は大山祇神、山神信仰により往古よりお祀りされました。
一、山王神社 山王権現社又は日吉山王社とも称し、泉川町から合祀されました。土地の守護神、地鎮の神様であります。
(社前案内)
境内社、稲荷社
本殿右横に石祠の稲荷社があります。
参道から一の鳥居
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