粟野八幡宮(山口県下関市)を掲載しました。
粟野八幡宮(あわのはちまんぐう)
【鎮座地】〒759-5101 山口県下関市豊北町大字粟野3550 旧長門国 豊浦郡
【御祭神】應神天皇 仲哀天皇 神功皇后
(配祀)多紀理比賣命 多紀津比賣命 市杵嶋比賣命 仁徳天皇
【例祭】10月1日 例祭 10月2日 例祭
【旧社格等】郷社
【御由緒】
社伝によると、戦国時代の明応元年(1492)、筑前国の筥崎八幡の神が、当村の外久保山に降臨された。そこで、村人が当地へ遷祀したという。
古くは鷲頭大和守が再建と伝える。しかしこれを遡ること一六〇年の鎌倉時代の元徳二年(1329)、長府の串崎八幡宮の社領の中に粟野村の名があることから、この項既に村落では信仰の中心として氏神が祀られていたと考えられる。
その後戦国時代の永禄元年(1558)と、江戸時代の文政七年(1824)に火災にあい、社殿が全焼するという。明治七年(1874)郷社に列する。大正五年(1916)、村民の醵出により、現在の社殿を建立する。
その後平成五年(1993)に、氏子の浄財醵出により社殿が修復され、翌六年(1994)、御鎮座五〇〇年の式年大祭が斎行される。当社は、粟野地区の氏神として、五穀豊穣・海上安全・商売繁昌の神として氏子の崇敬が篤い。
(山口縣神社誌より)
下関市の西北端、豊北町粟野にあります。滝部から粟野川沿いに走る県道39号線を数km北上、粟野小学校から500mの県道沿いに鎮座しています。
二の鳥居から神門
宝永三年(1706)奉納の二の鳥居から石段を上るとすぐに楼門造りの神門から社殿。
神門前の狛犬文化八年(1811)の奉納です。
神門から拝殿神門から数mですぐに拝殿です。
拝殿
入母屋千鳥破風造です、彫刻もみごとです。
本殿
流破風造の本殿、神紋は右三つ巴です。
境内から神門
お旅所の鳥居
文化12年(1815)の奉納です、道路を挟んだ田んぼの中にあります。
粟野八幡宮(あわのはちまんぐう)
【鎮座地】〒759-5101 山口県下関市豊北町大字粟野3550 旧長門国 豊浦郡
【御祭神】應神天皇 仲哀天皇 神功皇后
(配祀)多紀理比賣命 多紀津比賣命 市杵嶋比賣命 仁徳天皇
【例祭】10月1日 例祭 10月2日 例祭
【旧社格等】郷社
【御由緒】
社伝によると、戦国時代の明応元年(1492)、筑前国の筥崎八幡の神が、当村の外久保山に降臨された。そこで、村人が当地へ遷祀したという。
古くは鷲頭大和守が再建と伝える。しかしこれを遡ること一六〇年の鎌倉時代の元徳二年(1329)、長府の串崎八幡宮の社領の中に粟野村の名があることから、この項既に村落では信仰の中心として氏神が祀られていたと考えられる。
その後戦国時代の永禄元年(1558)と、江戸時代の文政七年(1824)に火災にあい、社殿が全焼するという。明治七年(1874)郷社に列する。大正五年(1916)、村民の醵出により、現在の社殿を建立する。
その後平成五年(1993)に、氏子の浄財醵出により社殿が修復され、翌六年(1994)、御鎮座五〇〇年の式年大祭が斎行される。当社は、粟野地区の氏神として、五穀豊穣・海上安全・商売繁昌の神として氏子の崇敬が篤い。
(山口縣神社誌より)
下関市の西北端、豊北町粟野にあります。滝部から粟野川沿いに走る県道39号線を数km北上、粟野小学校から500mの県道沿いに鎮座しています。
二の鳥居から神門
宝永三年(1706)奉納の二の鳥居から石段を上るとすぐに楼門造りの神門から社殿。
神門前の狛犬文化八年(1811)の奉納です。
神門から拝殿神門から数mですぐに拝殿です。
拝殿
入母屋千鳥破風造です、彫刻もみごとです。
本殿
流破風造の本殿、神紋は右三つ巴です。
境内から神門
お旅所の鳥居
文化12年(1815)の奉納です、道路を挟んだ田んぼの中にあります。
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