湯神社 (愛媛県松山市)を掲載しました。
湯神社(ゆじんじゃ)
<通称>湯月大明神(ゆづきだいみょうじん)
【鎮座地】〒790-0842 愛媛県松山市道後湯之町4-7 旧伊予国 温泉郡
【御祭神】大己貴命 少彦名命 (合祀)素盞嗚命 稻田姫命
【旧社格等】
式内社 伊豫國温泉郡 出雲崗神社
式内社 伊豫國温泉郡 湯神社
旧県社
【御由緒】
湯神社
祭神は、大己貴命と少彦名命の二柱である。当社は、延喜式内社で、その由緒は古く、もと鷺谷に祀られていた。地震で温泉が埋没した際に、現在の冠山の出雲岡神社の祭神、須佐之男命、稲田姫命が祀られている境内に移され、いつしか合祀して四社大明神とよばれるようになったという。
社伝によれば舒明天皇行幸のとき、勅命により神殿を新築したと旧記に記されているという。その後、国司、領主の尊崇を受け、神田や幣帛の奉献があったと伝えられる。
温泉は、地震などで、今までに十数回、湧出が止まったといわれ、その度に神楽を奉納して祈願したり感謝の祭礼をしたりしたといわれている。今も「湯祈祷」という例祭があり、正月の初子の神事も世に知られている。
松山市
松山市教育委員会
(境内入口の案内板より)
当社は道後温泉駅から伊佐爾波神社への参道脇から石段を上った、道後温泉本館を見下ろす高台にあります。
参道脇の出雲大社宮司の揮毫になる社号碑
拝殿
参道を登るとすぐ右に手水舎、その奥に境内社、中嶋神社さらに進むと本社社殿が見えます。
本殿
祭神は、大己貴命と少彦名命の二柱です、素盞嗚命と稻田姫命の夫婦の神様
が合祀されています。
社殿全景
境内社、中嶋神社
【御祭神】田道間守命
昭和32年3月、四国四県の製菓業者に依って、但馬国出石郡神美村三宅なる延喜式内社中嶋神社の御分霊を迎え、菓祖中嶋神社四国分社として創祀されました。
道後温泉本館
道後温泉は、大己貴命が大分の速見の湯を当地に引き少彦名命を手にのせて入浴させ病気を治した伝説があります。
道後温泉本館前を行く宮入前の神輿
湯神社(ゆじんじゃ)
<通称>湯月大明神(ゆづきだいみょうじん)
【鎮座地】〒790-0842 愛媛県松山市道後湯之町4-7 旧伊予国 温泉郡
【御祭神】大己貴命 少彦名命 (合祀)素盞嗚命 稻田姫命
【旧社格等】
式内社 伊豫國温泉郡 出雲崗神社
式内社 伊豫國温泉郡 湯神社
旧県社
【御由緒】
湯神社
祭神は、大己貴命と少彦名命の二柱である。当社は、延喜式内社で、その由緒は古く、もと鷺谷に祀られていた。地震で温泉が埋没した際に、現在の冠山の出雲岡神社の祭神、須佐之男命、稲田姫命が祀られている境内に移され、いつしか合祀して四社大明神とよばれるようになったという。
社伝によれば舒明天皇行幸のとき、勅命により神殿を新築したと旧記に記されているという。その後、国司、領主の尊崇を受け、神田や幣帛の奉献があったと伝えられる。
温泉は、地震などで、今までに十数回、湧出が止まったといわれ、その度に神楽を奉納して祈願したり感謝の祭礼をしたりしたといわれている。今も「湯祈祷」という例祭があり、正月の初子の神事も世に知られている。
松山市
松山市教育委員会
(境内入口の案内板より)
当社は道後温泉駅から伊佐爾波神社への参道脇から石段を上った、道後温泉本館を見下ろす高台にあります。
参道脇の出雲大社宮司の揮毫になる社号碑
拝殿
参道を登るとすぐ右に手水舎、その奥に境内社、中嶋神社さらに進むと本社社殿が見えます。
本殿
祭神は、大己貴命と少彦名命の二柱です、素盞嗚命と稻田姫命の夫婦の神様
が合祀されています。
社殿全景
境内社、中嶋神社
【御祭神】田道間守命
昭和32年3月、四国四県の製菓業者に依って、但馬国出石郡神美村三宅なる延喜式内社中嶋神社の御分霊を迎え、菓祖中嶋神社四国分社として創祀されました。
道後温泉本館
道後温泉は、大己貴命が大分の速見の湯を当地に引き少彦名命を手にのせて入浴させ病気を治した伝説があります。
道後温泉本館前を行く宮入前の神輿
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