阿川八幡宮(山口県下関市)を掲載しました。
阿川八幡宮(あがわはちまんぐう)
【鎮座地】〒759-5241 山口県下関市豊北町大字阿川3710 旧長門国 豊浦郡
【御祭神】仲哀天皇 應神天皇 神功皇后
【例祭】10月14日 秋季例祭 10月15日 秋季例祭
【旧社格等】村社
【御由緒】
現在地はもと三角州で、地主の神として天満宮があり、「吹上げの天神」・「砂吹きの天神」などと呼ばれた。「諸神祭祀記録」によると、八幡神は最初新宮崎に顕れ、のち村の中央の現在地に移ったという。鎌倉時代の弘長(1261~)と室町時代の応永年中(1394~)に、再建の棟札があったという。のち江戸時代の慶長十八年(1613)に、毛利元鎮・元包(のちの吉敷毛利)が再建し、万治二年(1659)に毛利就方、寛保二年(1742)に毛利広規、弘化二年(1845)に毛利親倫(いづれも阿川毛利)が重修した。また明治十七年(1884)に現拝殿を再建した。中世からの当社にかかわる地名に、土器免・修理免・鐘撞免・油田・粢田・桟敷田等があり、安土桃山時代の文禄年中(1592~)までは社領が八石前後あった。その後減少したが、開作による寄進田等もあって、幕末には田八段三畝、高六石三斗があったが、明治の御改正によって官に没収された。中世から名夫による宮座があり、七人衆・十二人衆と呼ばれたが、のちには警固といって土井地区から出仕した。正月七日には名夫による歩射があり、祭礼には流鏑馬が行われた。現在の祭組に「花前」がある。明治六年(1873)村社となり、同四十年(1907)に土井八幡宮・赤崎社を境内社の天満宮に合祀した。
(山口縣神社誌)
下関市の西北部、日本海側の油谷湾に面した豊北町阿川にあります。山陰本線阿川駅から北に数百mの国道191号線沿いに鎮座しています。
参道から拝殿
放生池に架かる橋を渡り、鳥居をくぐると広い境内、右手は児童遊園になっています、左に大きな銀杏の木、下に手水舎があります。
巨岩でできた手水舎から拝殿
拝殿
明治十七年(1884)に再建、平成10年改修されています。
流破風造の本殿
当社は鎌倉時代、弘長年中(1261~)に創建されました。
社殿全景
境内社、天満宮拝殿右手にあります。
明治四十年(1907)に土井八幡宮・赤崎社が境内社の天満宮に合祀されました。
秋枝中佐顕彰碑
昭和17年、マダガスカル島に於いて特殊潜航艇で英戦艦等を撃沈した当地出身の秋枝三郎中佐を称える碑です。
イヌマキ巨樹群
本殿裏の社叢はイヌマキ巨樹群に覆われています。
山口県指定天然記念物
阿川八幡宮イヌマキ巨樹群
昭和五十三年三月三十一日指定
イヌマキは南西諸島に多い樹種であって日本列島では通常照葉樹林内に散見される程度で純林を形成する例は少ない。
イヌマキは適潤地に多く生ずるもので,本樹が低平地に位置すること,林内にホルトノキ,クス,(中略)などの沿海地に多い照葉樹林の主要構成要素である常緑広葉樹が散在することなどから自然林の遺存と推定することもできるがあるいは所伝のように植栽起源のものかもしれない。
何れにしても成長の遅いイヌマキがこのような巨樹群によって林分を形成することは稀なことでイヌマキ樹冠群の相観の典型を示すものとして生態学上の価値が高い。
これら巨樹群のうち道路に面したイヌマキ(目通り周囲四.三M)は枯損部が大きいとはいえ県下最大のものであり,社殿西側に接するもの(目通り周囲三.三M)は岩国市大蔵神社の三.八Mに次ぐもので樹勢はさかんである。
注意事項
一.木柵のうちに車を乗入れないこと
一.樹木にキズをつけたり根をいためないこと
一.付近ではたばこを吸ったり,たき火をしないこと
昭和五十三年十一月一日
下関市教育委員会
(案内板より)
拝殿から境内
阿川八幡宮(あがわはちまんぐう)
【鎮座地】〒759-5241 山口県下関市豊北町大字阿川3710 旧長門国 豊浦郡
【御祭神】仲哀天皇 應神天皇 神功皇后
【例祭】10月14日 秋季例祭 10月15日 秋季例祭
【旧社格等】村社
【御由緒】
現在地はもと三角州で、地主の神として天満宮があり、「吹上げの天神」・「砂吹きの天神」などと呼ばれた。「諸神祭祀記録」によると、八幡神は最初新宮崎に顕れ、のち村の中央の現在地に移ったという。鎌倉時代の弘長(1261~)と室町時代の応永年中(1394~)に、再建の棟札があったという。のち江戸時代の慶長十八年(1613)に、毛利元鎮・元包(のちの吉敷毛利)が再建し、万治二年(1659)に毛利就方、寛保二年(1742)に毛利広規、弘化二年(1845)に毛利親倫(いづれも阿川毛利)が重修した。また明治十七年(1884)に現拝殿を再建した。中世からの当社にかかわる地名に、土器免・修理免・鐘撞免・油田・粢田・桟敷田等があり、安土桃山時代の文禄年中(1592~)までは社領が八石前後あった。その後減少したが、開作による寄進田等もあって、幕末には田八段三畝、高六石三斗があったが、明治の御改正によって官に没収された。中世から名夫による宮座があり、七人衆・十二人衆と呼ばれたが、のちには警固といって土井地区から出仕した。正月七日には名夫による歩射があり、祭礼には流鏑馬が行われた。現在の祭組に「花前」がある。明治六年(1873)村社となり、同四十年(1907)に土井八幡宮・赤崎社を境内社の天満宮に合祀した。
(山口縣神社誌)
下関市の西北部、日本海側の油谷湾に面した豊北町阿川にあります。山陰本線阿川駅から北に数百mの国道191号線沿いに鎮座しています。
参道から拝殿
放生池に架かる橋を渡り、鳥居をくぐると広い境内、右手は児童遊園になっています、左に大きな銀杏の木、下に手水舎があります。
巨岩でできた手水舎から拝殿
拝殿
明治十七年(1884)に再建、平成10年改修されています。
流破風造の本殿
当社は鎌倉時代、弘長年中(1261~)に創建されました。
社殿全景
境内社、天満宮拝殿右手にあります。
明治四十年(1907)に土井八幡宮・赤崎社が境内社の天満宮に合祀されました。
秋枝中佐顕彰碑
昭和17年、マダガスカル島に於いて特殊潜航艇で英戦艦等を撃沈した当地出身の秋枝三郎中佐を称える碑です。
イヌマキ巨樹群
本殿裏の社叢はイヌマキ巨樹群に覆われています。
山口県指定天然記念物
阿川八幡宮イヌマキ巨樹群
昭和五十三年三月三十一日指定
イヌマキは南西諸島に多い樹種であって日本列島では通常照葉樹林内に散見される程度で純林を形成する例は少ない。
イヌマキは適潤地に多く生ずるもので,本樹が低平地に位置すること,林内にホルトノキ,クス,(中略)などの沿海地に多い照葉樹林の主要構成要素である常緑広葉樹が散在することなどから自然林の遺存と推定することもできるがあるいは所伝のように植栽起源のものかもしれない。
何れにしても成長の遅いイヌマキがこのような巨樹群によって林分を形成することは稀なことでイヌマキ樹冠群の相観の典型を示すものとして生態学上の価値が高い。
これら巨樹群のうち道路に面したイヌマキ(目通り周囲四.三M)は枯損部が大きいとはいえ県下最大のものであり,社殿西側に接するもの(目通り周囲三.三M)は岩国市大蔵神社の三.八Mに次ぐもので樹勢はさかんである。
注意事項
一.木柵のうちに車を乗入れないこと
一.樹木にキズをつけたり根をいためないこと
一.付近ではたばこを吸ったり,たき火をしないこと
昭和五十三年十一月一日
下関市教育委員会
(案内板より)
拝殿から境内
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