李氏朝鮮時代の城郭都市であった「漢陽(ハニャン)」の東門である「東大門(トンデムン)」。東大門市場(トンデムンシジャン)というちょっとDEEPな市場と野球場などを備えた大きな運動公園がありました。日本の植民地時代からある大きなスポーツ公園のようでしたが、今ではショッピングモールとして生まれ変わり有名な観光地となっているようです。
東大門の前を走っているのはタクシーですが「ポニー」と呼ばれた車です。
当時の韓国では商用車を除けばこの国産車しかなく乗用車はもちろんタクシーもパトカーもすべてこの「ポニー」でした。当時の韓国ではタクシーは「相乗り」が当たり前。運転手は他の客を求めて右へ左へ。行き先が同じ方向であれば突然見知らぬ客が乗ってきました。その他マツダのグランドファミリアをコピーしたちょっとハイグレードな乗用車は「模範(モボム)タクシー」と呼ばれ、相乗りもなく外国人観光客や駐留軍、富裕層たちが利用していたようです。そして韓国入国後しばらくはタクシーの横でじっと突っ立ていることになります。ドアは自分の手で開けることに慣れるまで。ほかの国も同じだと思いますが。
飲み屋から旅館に帰る時タクシーに乗ったのですが、ちょっと不良っぽい運転手の兄ちゃんから韓国語訛りの英語で「チャパニジュ(Japanese)?」と聞かれたので「ネェ(はい)」と答えました。てっきり「怪しげな場所」にでも連れて行かれるのかなと思いましたが、笑いながらチューインガムをくれました。
東大門の前を走っているのはタクシーですが「ポニー」と呼ばれた車です。
当時の韓国では商用車を除けばこの国産車しかなく乗用車はもちろんタクシーもパトカーもすべてこの「ポニー」でした。当時の韓国ではタクシーは「相乗り」が当たり前。運転手は他の客を求めて右へ左へ。行き先が同じ方向であれば突然見知らぬ客が乗ってきました。その他マツダのグランドファミリアをコピーしたちょっとハイグレードな乗用車は「模範(モボム)タクシー」と呼ばれ、相乗りもなく外国人観光客や駐留軍、富裕層たちが利用していたようです。そして韓国入国後しばらくはタクシーの横でじっと突っ立ていることになります。ドアは自分の手で開けることに慣れるまで。ほかの国も同じだと思いますが。
飲み屋から旅館に帰る時タクシーに乗ったのですが、ちょっと不良っぽい運転手の兄ちゃんから韓国語訛りの英語で「チャパニジュ(Japanese)?」と聞かれたので「ネェ(はい)」と答えました。てっきり「怪しげな場所」にでも連れて行かれるのかなと思いましたが、笑いながらチューインガムをくれました。
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