郵便受けに、先日、ちょっと大きな音がした。
皆さん、2月3日の節分に、この頃、「恵方巻き」を食べる習慣があるのはご存知ですよね。
恵方巻きというのは、この時に食べる太巻き寿司のことです。これを、その年の「恵方」に向かって、切らずに一気に食べると、「ご利益」があるというのです。
昔、こういうものはありませんでしたから、これは、どうやら、大阪あたりの寿司屋が、売り込みのために考え出した、苦肉の策だと思いますよ、私。
なんでも、昔、大阪の色街で、行われていた風習を、したたかな難波の商売人が、「これは、金になるわい」というわけで、売り出したのだと思います。
でも、第一、下品ではありませんか。
天皇陛下、こんなん、しやはらへん、おそらく。
その「いわれ」をここでご披露しますと、紳士淑女の皆様方は、顔を赤らめられて、私、顰蹙を買うと思いますので、控えることにいたします。また、寿司屋からも、苦情がくることでしょうし、。
流行っているからといって、どんなものでも、見境なく、真似することはありません。
そして、最後に、苦肉の策の極めつきとでもいうのがあるんです。
毎月22日は、「苺ショートケーキ」を食べる日だというのです。
なんでも、ペコちゃんの不二家が開発したものらしいのですが、不二家の社員、社長からこんなハッパをかけられたのではないでしょうか。
「ええ、我が不二家は、実に長い歴史を誇るが、この頃、売り上げが、目に見えて落ちておる。そこで、諸君のお知恵を借りたいんだが、何か、爆発的な人気商品になるようなものを、考えてみてくれんかな。我が社の命運は、ひとえに君たちの双肩にかかっておる、。」
そこで、社員の一人が、こんなのを思いつきました。
日本のカレンダーで、各月ごと、一週間づつ横書きになっているものを思い浮かべてください。すると、15(イチゴ)の真下には必ず22が来ますね。それを一緒にして、ケーキに見立てますと、苺ショートケーキに見えるというのです。
そこで、22日は、「苺ショートケーキを食べる日」。
なんとも、馬鹿らしいといえば、馬鹿らしい話ですが、私がもし不二家の社員だったとしたら、私だって、これくらいのでっち上げはすることと思いますよ。何しろ、生活かかってますからねえ。
でも、これは、さすがに広まりませんでした。
牽強付会すぎる。
小さな子供をお持ちの、お父様、お母様方に御忠告です。
夢夢、恵方巻きはともかく、苺ショートケーキのことは、子供さん達に知らせられませんように。
何しろ、こういう、抜け目のない商売人たちは、まず、子供にこそ取り入ろうとしているのですから、。
英国のグリニッヂに住んでいる。2000年10月からだから、ちょうど21年。
有名なグリニッヂ天文台があり、また、ここには子午線0が通っている。従って、世界の時間はここを基準にしている。ここでの時間を「グリ二ッヂ標準時(GMT)」という。
また、このグリニッヂは、かつて海軍士官学校があったところであるから、当然海に面していなくてはならない。といっても、グリ二ッヂの場合は、その士官学校、テムズ川の河口にあった。
海からさほど遠くないから、潮の干満があり、水深も深い。従って、大型遊覧船が、ここに停泊することもしばしば。日本の「飛鳥」を見かけたことがある。
私は、その目と鼻の先に住んでいる。そのような豪華客船が投錨しているのを見ると、何だか、こちらまで金持ちになったような気になるから、面白い。ことに夜。
そのテムズ川で、この春、ちょっとした「椿事」が起った。
一頭の鯨が、なんと、このテムズ川に紛れ込んでしまったのである。どうして、そういうことになったのかはわからない。鯨といっても、まだ幼児で、全長3Mほど。ミンク鯨という。
ただ、上流に向って進むものだから、当然、水深は徐々に浅くなり、結局、どこかで行き止まってしまう。
そういうことが、リッチモンドというところで起った。勿論、グリニッヂも通過したはずであるが、誰も気づかなかった。
そのリッチモンドでは、このことを耳にした人々が詰めかけ、椿事を見守った。動物愛護団体が懸命の努力を重ね、なんとかして、この鯨君を海にまで押し戻そうとする。しかし、いっかな事は捗らない。
”この程度の小さな鯨なら、大きな水槽のある、大型の船に入れ、それで、海の沖まで連れて行き、そこで、放したらどうなの?”
素人考えで、こう思ったが、そういうことができない何らかの理由があるのであろう。
鯨君は、その間も必死にもがいている。川とあって、食べるものなどほとんどない。体力は弱るばかり。観衆は、心配そうに見守っているが、どうすることもできない。
それやこれやで、この鯨君を助けるすべはないと判断した関係者、結局、この子を、成仏させてあげるのが、”人道的に最善”との結論に達した。
その後、遺体をどう処分したかについては、何の知らせもない。食べた? まさか、それはないであろう。
20年ほど前にも、同じことが起こったが、その時の顛末は記憶にない。
鯨肉といえば、思い出すことがある。
私、1976年に日本を離れ、それから13年、一度も日本に帰らなかった。
その13年ぶりに一時帰国した時のことである。1989年の秋。
あまりに久しぶりだからとのことで、何だか横井庄一さん扱い。皆様には、殊の外よくしていただいた。
そんなある日の夜、ちょっとした知り合いのお方が、私を京都のどこかのおでん屋に連れてくださった。
どうやら、その方お酒を召し上がる様で、私としても嬉しかった。
「何にする?」ー「はあ、別に、、」
「コロ食べる?」ー「ハイ、いただきます!」
コロというのは、ご存知の通り、鯨肉の脂肪の部分をカンカラカンに干したもので、食する時は、それをもどす。
私子供のときは、非常に安く、なんでも、肥料にしたこともあると聞いた。
そのことが頭にあったものだから、「ハイ、、、」といった時は、「”そんな安いもの”で結構です」という「最大の遠慮」の積りだったのである。
それが、私13年間、日本を留守にしている間に、とんでもない高級品になってしまっていた、 と言う。
「そんなん、知りませんでした。永らく日本を留守にしてんねんから、状況というものを、ちゃんと説明しておいて頂きたかったわあ、ボク」
当然のこと、そのお方からは、それ以降、お声がかからなくなってしまった。