日々感ずることを、徒然に書いています。ご笑覧あれかし。

言葉というもの、非常に興味があります。

私、間違っているでしょうか

2022-02-17 08:36:24 | ちょっとした出来事

郵便受けに、先日、ちょっと大きな音がした。

急いで駆けつけてみると、何と、日本から。
 
おや、まあ、何かいな?
 
私の行った大学からのものである。
 
何でも、今年は、創学125年にあたるのだそうな。
 
ついては、「記念行事」を計画しているので、何かと物入り、とか何とか、こうとか、。
 
要するに、寄付をしてほしいということである。
 
100年とか、150年とかいうのだった分らないこともない。
 
何で、125年という中途半端な年に、こんなことをするの?(125年って、大して古くないですよね。英国の大学の古さとは桁違い)
 
それに、記念行事って、どんなことなの? 学園祭の大きいものと思えばいいのですか。
 
だけど、どうして、それに卒業生までが、出資しなければならないの? 自分の母校の野球部が、甲子園にでるから、卒業生全員に寄付を募ってきたようなものだと思えばいいんですか。でも、これの方が、まだ理解しやすいです。
 
よくみると、最低100万円出すと、永久に私の名が後世に残る、、ですって。
 
何だか、近所のお宮さんにお金を出せば、私の名前が赤い縦杭に書かれて、後世に残るようなものですね。
 
やだー、そんなの。
 
私、自分の遺灰は、どっかに撒いて欲しいと思っている程の男だから、そんなことしたら、筋というものが通らないじゃない、。
 
私、確かにその学校出たけれど、ろくな学生じゃなかったし、学校に大して愛着もなかったし、。日本に学校制度に不満たらたらだし、。ごめんなさい。
 
目下、「寄付しない」と決めていますが、皆さんどう思われますか、
 
間違っているでしょうか、私?

恵方巻き

2022-02-07 00:25:59 | ちょっとした出来事

皆さん、2月3日の節分に、この頃、「恵方巻き」を食べる習慣があるのはご存知ですよね。

恵方巻きというのは、この時に食べる太巻き寿司のことです。これを、その年の「恵方」に向かって、切らずに一気に食べると、「ご利益」があるというのです。

昔、こういうものはありませんでしたから、これは、どうやら、大阪あたりの寿司屋が、売り込みのために考え出した、苦肉の策だと思いますよ、私。

なんでも、昔、大阪の色街で、行われていた風習を、したたかな難波の商売人が、「これは、金になるわい」というわけで、売り出したのだと思います。

でも、第一、下品ではありませんか。
天皇陛下、こんなん、しやはらへん、おそらく。

その「いわれ」をここでご披露しますと、紳士淑女の皆様方は、顔を赤らめられて、私、顰蹙を買うと思いますので、控えることにいたします。また、寿司屋からも、苦情がくることでしょうし、。

流行っているからといって、どんなものでも、見境なく、真似することはありません。

そして、最後に、苦肉の策の極めつきとでもいうのがあるんです。

毎月22日は、「苺ショートケーキ」を食べる日だというのです。

なんでも、ペコちゃんの不二家が開発したものらしいのですが、不二家の社員、社長からこんなハッパをかけられたのではないでしょうか。

「ええ、我が不二家は、実に長い歴史を誇るが、この頃、売り上げが、目に見えて落ちておる。そこで、諸君のお知恵を借りたいんだが、何か、爆発的な人気商品になるようなものを、考えてみてくれんかな。我が社の命運は、ひとえに君たちの双肩にかかっておる、。」

そこで、社員の一人が、こんなのを思いつきました。

日本のカレンダーで、各月ごと、一週間づつ横書きになっているものを思い浮かべてください。すると、15(イチゴ)の真下には必ず22が来ますね。それを一緒にして、ケーキに見立てますと、苺ショートケーキに見えるというのです。
そこで、22日は、「苺ショートケーキを食べる日」。

なんとも、馬鹿らしいといえば、馬鹿らしい話ですが、私がもし不二家の社員だったとしたら、私だって、これくらいのでっち上げはすることと思いますよ。何しろ、生活かかってますからねえ。

でも、これは、さすがに広まりませんでした。
牽強付会すぎる。

小さな子供をお持ちの、お父様、お母様方に御忠告です。

夢夢、恵方巻きはともかく、苺ショートケーキのことは、子供さん達に知らせられませんように。

何しろ、こういう、抜け目のない商売人たちは、まず、子供にこそ取り入ろうとしているのですから、。


暗雲去り、我が心、晴朗なり

2022-02-01 09:54:52 | ちょっとした出来事
私、ここ2月ばかり、心が、なんとはなく重かった。
 
何か、いつも、頭の上に重苦しい雲が立ち込めた様なもの。
 
それが突然、すっとなくなり、にわかに私の心は明るくなった。今日のことである。
 
その暗雲があっても、別に、大して困りはしないんだからと、自分に言い聞かせようとしていたが、やはり、それが、解決にはならなかった。なんだか、喉に魚の小骨がつかえたみたい。
 
私、日本の友人によく電話をかける。
 
それには、私、スカイプというものを通してする。それを使わずに、家の固定電話から、普通にかけると、当然お金が、かなりかかる。
 
それが、スカイプ電話では、一ヶ月、6ポンド(900円)。相手の電話は、固定でも携帯でも構わないが、ただ、かける時間に限度があり、一と月、計5時間まで。
 
これは私、重宝している。
 
私の日本での友人で、PCを持っておられない人もおられる。また、持っておられても、ラインに入っておられないかもしれない。
 
また、フェイスブック。これに、私入っているが、これだと、電話などしなくても、お互いの顔を見ながら話ができる。ラインも同じこと。
 
でも、日本におられる私の友人の皆様が、全てそうだとは限らない。
 
だから、電話が要る。
 
二ヶ月ほど前、スカイプ電話への支払いが、私の新しいカードでは、できなくなってしまったのである。
 
いろんな手を使って、なんとか解決できないものだろうかと思案投首。しかし、およそ機械というものに弱い私には到底無理。
 
銀行にも行った。また、PCに強い友人の助言にも耳を傾けた。しかし、いっかな、ことは解決しない。頭上の暗雲は、一向に立ち去る様子がない。そんなこんなで、私の心は、沈む一方。
 
ところが、ある時、あることに気がついた。
 
スカイプの会社に、直接相談すればいいのでは、。
 
要するに「正攻法で行けば?」ということである。そして、この考えが、まんまと功を奏した。
 
それが今日。
 
私の窮状を、簡潔明瞭に書いて、会社に問い合わしたところ、即座に、向うから「助け船」が出た。
 
一件落着である。
 
またスカイプ電話で、日本の人とお話ができる。ああ、嬉しい。
 
借金を抱えているのに、酒を飲んでも、あまり美味くないが、これからは、心置きなく、酒が飲める!
 
久しぶりの、実にさっぱりした気持ち。
 
風呂に入った。

英国、春の椿事

2021-10-11 07:12:55 | ちょっとした出来事

英国のグリニッヂに住んでいる。2000年10月からだから、ちょうど21年。

有名なグリニッヂ天文台があり、また、ここには子午線0が通っている。従って、世界の時間はここを基準にしている。ここでの時間を「グリ二ッヂ標準時(GMT)」という。

また、このグリニッヂは、かつて海軍士官学校があったところであるから、当然海に面していなくてはならない。といっても、グリ二ッヂの場合は、その士官学校、テムズ川の河口にあった。

海からさほど遠くないから、潮の干満があり、水深も深い。従って、大型遊覧船が、ここに停泊することもしばしば。日本の「飛鳥」を見かけたことがある。

私は、その目と鼻の先に住んでいる。そのような豪華客船が投錨しているのを見ると、何だか、こちらまで金持ちになったような気になるから、面白い。ことに夜。

そのテムズ川で、この春、ちょっとした「椿事」が起った。

一頭の鯨が、なんと、このテムズ川に紛れ込んでしまったのである。どうして、そういうことになったのかはわからない。鯨といっても、まだ幼児で、全長3Mほど。ミンク鯨という。

ただ、上流に向って進むものだから、当然、水深は徐々に浅くなり、結局、どこかで行き止まってしまう。

そういうことが、リッチモンドというところで起った。勿論、グリニッヂも通過したはずであるが、誰も気づかなかった。

そのリッチモンドでは、このことを耳にした人々が詰めかけ、椿事を見守った。動物愛護団体が懸命の努力を重ね、なんとかして、この鯨君を海にまで押し戻そうとする。しかし、いっかな事は捗らない。

”この程度の小さな鯨なら、大きな水槽のある、大型の船に入れ、それで、海の沖まで連れて行き、そこで、放したらどうなの?”
素人考えで、こう思ったが、そういうことができない何らかの理由があるのであろう。

鯨君は、その間も必死にもがいている。川とあって、食べるものなどほとんどない。体力は弱るばかり。観衆は、心配そうに見守っているが、どうすることもできない。

それやこれやで、この鯨君を助けるすべはないと判断した関係者、結局、この子を、成仏させてあげるのが、”人道的に最善”との結論に達した。

その後、遺体をどう処分したかについては、何の知らせもない。食べた? まさか、それはないであろう。

20年ほど前にも、同じことが起こったが、その時の顛末は記憶にない。

鯨肉といえば、思い出すことがある。

私、1976年に日本を離れ、それから13年、一度も日本に帰らなかった。

その13年ぶりに一時帰国した時のことである。1989年の秋。

あまりに久しぶりだからとのことで、何だか横井庄一さん扱い。皆様には、殊の外よくしていただいた。

そんなある日の夜、ちょっとした知り合いのお方が、私を京都のどこかのおでん屋に連れてくださった。

どうやら、その方お酒を召し上がる様で、私としても嬉しかった。

「何にする?」ー「はあ、別に、、」
 
「コロ食べる?」ー「ハイ、いただきます!」

コロというのは、ご存知の通り、鯨肉の脂肪の部分をカンカラカンに干したもので、食する時は、それをもどす。

私子供のときは、非常に安く、なんでも、肥料にしたこともあると聞いた。

そのことが頭にあったものだから、「ハイ、、、」といった時は、「”そんな安いもの”で結構です」という「最大の遠慮」の積りだったのである。

それが、私13年間、日本を留守にしている間に、とんでもない高級品になってしまっていた、 と言う。

「そんなん、知りませんでした。永らく日本を留守にしてんねんから、状況というものを、ちゃんと説明しておいて頂きたかったわあ、ボク」

当然のこと、そのお方からは、それ以降、お声がかからなくなってしまった。