今日は熊本市現代美術館まで歩いて行った。ただ歩くのもつまらないので、わが家から美術館までの間で「夏目漱石」および漱石作品関連の文字をいくつ見かけるか数えてみようと思った。その結果が下記のとおりである。
まずわが家から最も近いのがこの新坂の案内板。塗料が落ちて読みづらくなっているので下に数年前の状態を添付した。
池田停車場(上熊本駅)から人力車で、五高の同僚となる菅虎雄宅へ向かう途中、この場所から熊本の市街地を見下ろして「森の都だなぁ」と言ったとか言わないとかいう話があるが、後年、漱石は九州日日新聞のインタビューに答えて次のように話している。
ーー松山の中学から熊本の五高に転任する際に汽車で上熊本の停車場に着いて下りて見ると、まず第一に驚いたのは停車場前の道幅の広いことでした。そうしてあの広い坂を腕車(人力車)で登り尽くして京町を突き抜けて坪井に下りようという新坂にさしかかると、豁然として眼下に展開する一面の市街を見下ろしてまた驚いた。そしていい所に来たと思った。あれから眺めると、家ばかりな市街の尽くるあたりから、眼を射る白川の一筋が、限りなき春の色を漲らした田圃を不規則に貫いて、遥か向うの蒼暗き中に封じ込まれている。それに薄紫色の山が遠く見えて、その山々を阿蘇の煙が遠慮なく這い回っているという絶景、実に美観だと思った。それから阿蘇街道(豊後街道)の黒髪村の友人の宅に着いて、そこでしばらく厄介になって熊本を見物した。ーー
次に見るのは「夏目漱石内坪井旧居」正面入り口の看板である。ここは漱石の熊本五番目の旧居で、他にも三番目の旧居、六番目の旧居も残っているが、「漱石記念館」として最も整備されているのがこの五番目の旧居である。
漱石旧居を通り過ぎ県道1号線(熊本玉名線)に出るとFMクマモトのビルの前に「わが輩通り」と書かれた標柱が見える。いうまでもなく漱石の小説第一作「吾輩は猫である」にちなみ、漱石来熊百年に当たる1996年に、漱石旧居にほど近い県道1号線の一部区間を「わが輩通り」と名付けられたもの。柱の猫のオブジェとデフォルメした漱石の顔が可愛らしい。
広丁の方へ歩いて行くと熊本信愛女学院の校舎の前にさしかかる。正門の脇に目につくのが「三毛子さん」の像。「吾輩は猫である」に登場し、吾輩のことを先生と呼んでくれる唯一の存在。吾輩のマドンナである。
三毛子さんから100㍍ほど歩くと広丁から上通に入る地点だが、上通側から広丁に出る正面の歩行者信号には「漱石記念館」(内坪井旧居のこと)の案内板が取り付けられている。この地点から450㍍だそうだ。
上通に入り、並木坂と呼ぶエリアを歩いて行くと、左側に漱石ゆかりの「舒文堂河島書店」が見えてくる。店舗の壁に下のプレートが貼られている。漱石はこの書店に足繁く通ったそうだが、初めて熊本に降り立った明治29年4月13日、上記の新坂の件の後、この書店に早くも立ち寄っていたことは知らなかった。
まずわが家から最も近いのがこの新坂の案内板。塗料が落ちて読みづらくなっているので下に数年前の状態を添付した。
池田停車場(上熊本駅)から人力車で、五高の同僚となる菅虎雄宅へ向かう途中、この場所から熊本の市街地を見下ろして「森の都だなぁ」と言ったとか言わないとかいう話があるが、後年、漱石は九州日日新聞のインタビューに答えて次のように話している。
ーー松山の中学から熊本の五高に転任する際に汽車で上熊本の停車場に着いて下りて見ると、まず第一に驚いたのは停車場前の道幅の広いことでした。そうしてあの広い坂を腕車(人力車)で登り尽くして京町を突き抜けて坪井に下りようという新坂にさしかかると、豁然として眼下に展開する一面の市街を見下ろしてまた驚いた。そしていい所に来たと思った。あれから眺めると、家ばかりな市街の尽くるあたりから、眼を射る白川の一筋が、限りなき春の色を漲らした田圃を不規則に貫いて、遥か向うの蒼暗き中に封じ込まれている。それに薄紫色の山が遠く見えて、その山々を阿蘇の煙が遠慮なく這い回っているという絶景、実に美観だと思った。それから阿蘇街道(豊後街道)の黒髪村の友人の宅に着いて、そこでしばらく厄介になって熊本を見物した。ーー
次に見るのは「夏目漱石内坪井旧居」正面入り口の看板である。ここは漱石の熊本五番目の旧居で、他にも三番目の旧居、六番目の旧居も残っているが、「漱石記念館」として最も整備されているのがこの五番目の旧居である。
漱石旧居を通り過ぎ県道1号線(熊本玉名線)に出るとFMクマモトのビルの前に「わが輩通り」と書かれた標柱が見える。いうまでもなく漱石の小説第一作「吾輩は猫である」にちなみ、漱石来熊百年に当たる1996年に、漱石旧居にほど近い県道1号線の一部区間を「わが輩通り」と名付けられたもの。柱の猫のオブジェとデフォルメした漱石の顔が可愛らしい。
広丁の方へ歩いて行くと熊本信愛女学院の校舎の前にさしかかる。正門の脇に目につくのが「三毛子さん」の像。「吾輩は猫である」に登場し、吾輩のことを先生と呼んでくれる唯一の存在。吾輩のマドンナである。
三毛子さんから100㍍ほど歩くと広丁から上通に入る地点だが、上通側から広丁に出る正面の歩行者信号には「漱石記念館」(内坪井旧居のこと)の案内板が取り付けられている。この地点から450㍍だそうだ。
上通に入り、並木坂と呼ぶエリアを歩いて行くと、左側に漱石ゆかりの「舒文堂河島書店」が見えてくる。店舗の壁に下のプレートが貼られている。漱石はこの書店に足繁く通ったそうだが、初めて熊本に降り立った明治29年4月13日、上記の新坂の件の後、この書店に早くも立ち寄っていたことは知らなかった。