徒然なか話

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大代寅次郎の世界

2020-01-20 20:16:50 | 美術
 小路永こずえさんのFacebookに、現在、山鹿市立博物館において行われている「大代寅次郎展」がシェアされていた。
 大代寅次郎とは、山鹿に生まれ、小中学校の教職に携わるかたわら、山鹿の風景や民俗行事等を水彩画に残し、郷土史家としても活躍した方である。僕は以前、大代さんの心に残る山鹿の明治、大正、昭和の風景を描いた画集「水絵にのこす山鹿」(熊日新聞社刊)を見て感動した。今回の展覧会にもぜひ行ってみたいと思っている。僕が特に好きな絵2枚を大代さんの説明文とともに掲載してみた。

▼菊池川筋 大舟橋場近し
 山鹿に集積された肥後米は、大橋際の米出し場から舟に積まれ、川を下り、高瀬から海路大阪へ運ばれた。菊池川は今日では想像もできない舟運の往還であった。帰りには黒砂糖や昆布などが積まれて、人力で山鹿まで遡行された。三つの瀬を越え大橋も近づくと自然掛声もはずんでくる。さんざめく橋の出迎えの人波には、妻子の顔も見えたに違いない。



▼山鹿ちんこ芝居(少女歌舞伎)
 大正のはじめ、木の香も新しい八千代座の人気芝居の一つに少女歌舞伎があった。人々はこれを「ちんこ芝居」と呼んだ。森峯吉一座の久丸、みどりという可憐な美女スターにあこがれて、町の若い衆がせっせと楽屋通いをしたという。舞台にはまだ電灯はなく、カーバイトの鼻をつくにおいがます席まで充満していた。




肥後のちんこ芝居の伝統を受け継ぐ舞踊団花童


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2 コメント

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Re:小父さん様 (FUSA)
2020-01-21 16:30:59
熊本では芦北町というところに「うたせ網漁」に使う「うたせ船」というのがあり、今では観光船として活躍しています。昭和の頃まで各地で同じような漁法が行われていたと思いますので、博多湾でご覧になっているのではないですか。(^_^.)

山鹿の八千代座はこの絵と同じ状態で残っています。江戸様式を今に伝える芝居小屋として、時々、歌舞伎役者がやって来て公演をしています。もちろん今では電気のライティングが使われています。
江戸時代はカーバイトではなくろうそくの灯りなんですけどね。(^_^.)
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Unknown (小父さん)
2020-01-21 16:14:02
とても風情のある水彩ですね。

帆掛け船って本物を見たことありますかね?
幼少の頃に、ひょっとしたら博多湾で見たかも知れません。
日本画を観ていた記憶でそう思ったのかも知れませが。

川を二人一組で遡行するなんて日本の歴史そのものですね。

山鹿ちんこ芝居の客席も正面に両脇とさらにその2階にまであるんですね。
西洋の歌劇場と同じような作りになっているのが興味深いです。

客席が満員なのもいいですね~。
ははは、カーバイトは昔の釣りに使っていたのかな?
いやー、日本の文化そのものの気がします。
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