今日は従弟の葬儀に参列するため玉名へ。僕よりも9つ年下だが病魔には勝てなかった。というより若い頃から健康面の問題を抱えていたと聞くので彼なりに精一杯生きたのだろうと思う。思えば彼が生まれて間もない頃、小学生の僕は叔父の家によく遊びに行ったので、彼を抱っこしたり、あやしたりしていたことを思い出す。その叔父や叔母も既にない。お棺の中で眠る彼の顔を見て手を合わせながら、両親のもとへ旅立ったのだろうとちょっとホッとした。御導師さまの読経はまさに声楽を思わせる見事なもので、おそらく「声明(しょうみょう)」と言ったほうがいいのだろう。
出棺を見送った後、帰路は県道1号(熊本玉名線)を通ったのだが、途中、河内町野出の丘の上で休憩をとった。西の方に見える雲仙岳を眺めながら、きっとお浄土はその遥か向こうにあるのだろうと思った。「いのちの歌」が聞きたくなった。
有明海の向こうに雲仙岳を望む
出棺を見送った後、帰路は県道1号(熊本玉名線)を通ったのだが、途中、河内町野出の丘の上で休憩をとった。西の方に見える雲仙岳を眺めながら、きっとお浄土はその遥か向こうにあるのだろうと思った。「いのちの歌」が聞きたくなった。
有明海の向こうに雲仙岳を望む
合掌
親密な交流はなかった従弟でしたが、それでも私の叔父叔母が可愛がっていたことを思い出し、胸に迫るものがありました。