先月、このブログのある記事に急にアクセスが増えていることがわかった。それは3年も前の「ザ・わらべのこと。」という記事だった。「なんで今ごろ?」と思ったのだが、どうも、YouTube や SNS を利用するのが当たり前になった昨今、たまたま「ザ・わらべ」の映像や関連記事を目にする方が増え、「ザ・わらべ っていったい何者?」と思われるのだろう。日頃、彼女たちの活動のフォロー記事はよくアップするものの、彼女たち自身については、しばらくきちんと紹介していなかったので、「ザ・わらべのこと。」の改訂版をアップすることにした。
左から くるみ18、のぞみ14、かな8、あかね12、れいな8、ゆりあ11、ゆうあ8、めぐみ9、きみか5、あやの16
※上の写真は舞踊団花童の専属カメラマンHIROさんによる撮影
彼女たちのことを紹介するに当っては、まず中村花誠(なかむらかせい)さんのことから始めなければならない。「ザ・わらべ」というのは「中村花誠ワールド」の化身たちにほかならないからである。中村花誠さんは女流鳴物師と日本舞踊家の二つの顔を持つ全国でも珍しい存在である。中村花誠というのは鳴物師としての名前で、舞踊家としての名前も別にお持ちなのだが、中村花誠さんという呼び方に馴染みが深いので、ここでもそう呼ばせていただく。熊本市に生まれ、祖母の影響で幼い頃から日本舞踊を始める。藤間流・藤間勢珠氏に師事し、15歳で名取となる。また、このころからお囃子(鳴物)を中村流・中村壽誠氏に師事、平成8年中村流師範となる。長く京都に住み、熊本に帰った後、京都のように伝統芸能が風情を彩る街づくりができないかと一念発起。まずは人材育成からと平成12年に立ち上げたのが子供の演奏・舞踊団「ザ・わらべ」だった。以来、伝統芸能を通じた熊本の文化発信と人材育成に実績を積み重ね、昨年には一般社団法人「舞踊団 花童(はなわらべ)」を立ち上げた。理事長として、指導者として、また演奏家として走り続ける毎日だそうである。
■「和楽(わがく)と邦舞(ほうぶ)」そして「歌舞伎舞踊」
現在、「舞踊団花童」として舞台に登場するのは、下は5歳から上は18歳の10名の女の子たちである。このうち高校生・中学生で構成するチームを「少女舞踊団ザ・わらべ」、小学生以下のチームを「子ども舞踊団こわらべ」と呼ぶ。演目によってその中からさらにピックアップする場合もあれば、合同で演じたりすることもある。彼女たちが演じるのは二つのキーワードで言い表される。
まず、「和楽と邦舞」。なぜ「邦楽と日舞」ではないのか。ここにポイントがある。彼女たちが踊ったり、時には演奏したりする音楽は、基本的に日本由来の音楽、すなわち「和楽」である。今日、「邦楽」という言葉には広義、狭義いろんな意味合いがあるので、花誠さんはあえて「和楽」という言葉を使われたのだろう。「邦舞」もまた然り。「日舞(日本舞踊)」にも広義、狭義の意味合いがあり、花誠さんのような創作舞踊は、五大流派を中心とする伝統的な日本舞踊家の中には眉をひそめる向きもないわけではない。「邦舞」という呼び方もまた、日本由来でありながら、新しい発想の舞踊を追究する花誠さんの開き直りを感じるのである。
そしてもう一つのキーワードが「歌舞伎舞踊」。「舞踊団花童」の基本となるのは、あくまでも「歌舞伎舞踊」。「歌舞伎舞踊」というのはその名のとおり、歌舞伎の中で踊られる舞踊のこと。「所作事」などとも言うが、音楽は長唄、義太夫、常磐津、清元などいろんな音楽が使われ、当然、ストーリー性があって、それに応じた扮装や小道具が必要となる。演目によっては踊り手自ら台詞を発したり、唄ったりする場合もあるのである。もちろん彼女たちが舞台で踊るのは「歌舞伎舞踊」だけではないが、これを基本として芸が洗練されて行くことは間違いないだろう。
なお、中村花誠さんは、自ら「日本現代舞踊」を標榜して熊本から国内外へ発信していくという。
僕が「ザ・わらべ」に初めて出会ったのは2009年10月10日のこと。熊本市秋の風物詩「みずあかり」のアトラクションとして桜町のNTT西日本前の特設ステージで彼女たちは踊ったり、太鼓を叩いたりしていた。もう日が暮れて辺りは真っ暗だったので、照明のなかに浮かび上がった彼女たちの姿に、まるでおとぎ話の世界に迷い込んだような気がしたものだ。以来、すっかりトリコになって5年。今や年間公演数200回を超える彼女たちの成長と芸の上達は目を見張るものがある。いったい中村花誠さんと花童の子たちはどこまで進化し続けるのだろうか。今後も目が離せない。
左から くるみ18、のぞみ14、かな8、あかね12、れいな8、ゆりあ11、ゆうあ8、めぐみ9、きみか5、あやの16
※上の写真は舞踊団花童の専属カメラマンHIROさんによる撮影
彼女たちのことを紹介するに当っては、まず中村花誠(なかむらかせい)さんのことから始めなければならない。「ザ・わらべ」というのは「中村花誠ワールド」の化身たちにほかならないからである。中村花誠さんは女流鳴物師と日本舞踊家の二つの顔を持つ全国でも珍しい存在である。中村花誠というのは鳴物師としての名前で、舞踊家としての名前も別にお持ちなのだが、中村花誠さんという呼び方に馴染みが深いので、ここでもそう呼ばせていただく。熊本市に生まれ、祖母の影響で幼い頃から日本舞踊を始める。藤間流・藤間勢珠氏に師事し、15歳で名取となる。また、このころからお囃子(鳴物)を中村流・中村壽誠氏に師事、平成8年中村流師範となる。長く京都に住み、熊本に帰った後、京都のように伝統芸能が風情を彩る街づくりができないかと一念発起。まずは人材育成からと平成12年に立ち上げたのが子供の演奏・舞踊団「ザ・わらべ」だった。以来、伝統芸能を通じた熊本の文化発信と人材育成に実績を積み重ね、昨年には一般社団法人「舞踊団 花童(はなわらべ)」を立ち上げた。理事長として、指導者として、また演奏家として走り続ける毎日だそうである。
■「和楽(わがく)と邦舞(ほうぶ)」そして「歌舞伎舞踊」
現在、「舞踊団花童」として舞台に登場するのは、下は5歳から上は18歳の10名の女の子たちである。このうち高校生・中学生で構成するチームを「少女舞踊団ザ・わらべ」、小学生以下のチームを「子ども舞踊団こわらべ」と呼ぶ。演目によってその中からさらにピックアップする場合もあれば、合同で演じたりすることもある。彼女たちが演じるのは二つのキーワードで言い表される。
まず、「和楽と邦舞」。なぜ「邦楽と日舞」ではないのか。ここにポイントがある。彼女たちが踊ったり、時には演奏したりする音楽は、基本的に日本由来の音楽、すなわち「和楽」である。今日、「邦楽」という言葉には広義、狭義いろんな意味合いがあるので、花誠さんはあえて「和楽」という言葉を使われたのだろう。「邦舞」もまた然り。「日舞(日本舞踊)」にも広義、狭義の意味合いがあり、花誠さんのような創作舞踊は、五大流派を中心とする伝統的な日本舞踊家の中には眉をひそめる向きもないわけではない。「邦舞」という呼び方もまた、日本由来でありながら、新しい発想の舞踊を追究する花誠さんの開き直りを感じるのである。
そしてもう一つのキーワードが「歌舞伎舞踊」。「舞踊団花童」の基本となるのは、あくまでも「歌舞伎舞踊」。「歌舞伎舞踊」というのはその名のとおり、歌舞伎の中で踊られる舞踊のこと。「所作事」などとも言うが、音楽は長唄、義太夫、常磐津、清元などいろんな音楽が使われ、当然、ストーリー性があって、それに応じた扮装や小道具が必要となる。演目によっては踊り手自ら台詞を発したり、唄ったりする場合もあるのである。もちろん彼女たちが舞台で踊るのは「歌舞伎舞踊」だけではないが、これを基本として芸が洗練されて行くことは間違いないだろう。
なお、中村花誠さんは、自ら「日本現代舞踊」を標榜して熊本から国内外へ発信していくという。
僕が「ザ・わらべ」に初めて出会ったのは2009年10月10日のこと。熊本市秋の風物詩「みずあかり」のアトラクションとして桜町のNTT西日本前の特設ステージで彼女たちは踊ったり、太鼓を叩いたりしていた。もう日が暮れて辺りは真っ暗だったので、照明のなかに浮かび上がった彼女たちの姿に、まるでおとぎ話の世界に迷い込んだような気がしたものだ。以来、すっかりトリコになって5年。今や年間公演数200回を超える彼女たちの成長と芸の上達は目を見張るものがある。いったい中村花誠さんと花童の子たちはどこまで進化し続けるのだろうか。今後も目が離せない。
余りの可愛さに、一度この目で拝見したいと思いました。問い合わせ先などござん字でしたら教えて頂けないでしょうか?
毎週末にはいくつかの舞台を掛け持ちで走り回っていますよ!
活動予定につきましては下記のフェイスブックに適宜掲載されますのでぜひチェック願います。
https://www.facebook.com/warabe.kasei
当ページでも目玉行事の予定などはご紹介していますので引き続きよろしくお願いいたします!
https://nonn634.blog.jp/archives/83861698.html
悪しからず御承知願います。
追伸
すぐに御挨拶するつもりだったのですが、その際にボケまして、「gooブログのコメント投稿の仕方が変わりgooユーザー以外はコメントできなくなった」と勘違いしてしまい、無断ということになってしまいました。
その後、ヒョンなきっかけで、私の勘違いである事がわかりまして、遅ればせながら御挨拶させていただきます。
重要
続(改訂版)を書いてください。
「ザ・わらべ」も育ったでしょうし、後に続いている子供達がいるだろうと考え、楽しみです
ご紹介いただき、ちょっと気恥しい思いです。ありがとうございました。
「ザ・わらべ」のメンバーもだいぶ入れ替わりました。小学生まではみんな無心に取り組んでいるのですが、中学生ともなると進学や将来の進路の問題が立ちはだかり、心ならずも辞めざるを得ない子も多いのが実態です。
もちろんその後に続く子たちもいるわけですが、技能レベルとしてはまた一からになりますので先生も大変だと思います。
コロナ騒動で多くの活動の場が失われましたが、熊本城城彩苑では定期的な公演を実施しておりますので、ぜひ一度おこしいただき、彼女たちを応援していただきますようお願いいたします。
ありがとうございました。