徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

昭和35年(1960)の思い出

2023-02-23 16:11:52 | 歴史

熊本市西松尾町・小田部さん宅のしだれ梅(2023.2.22の様子)


 天皇陛下は、今日、63歳の誕生日を迎えられました。
 陛下がお生まれになった昭和35年(1960)は僕個人にとっても思い出深い年です。この年の出来事を思い出しながら、天皇陛下の誕生日をお祝いし益々のご健勝をお祈りしたいと思います。


昭和35年9月、1億8千万円の工事費と1年半の工期を経て復元された熊本城天守閣


昭和35年熊本国体が開催され、水前寺陸上競技場がメーン会場となりました。


開会式のマスゲームでは細川九曜紋をかたどった形で、婦人会による「五十四万石」が踊られました。


熊本城内プール(現城彩苑)で行われた熊本国体水球決勝、濟々黌(熊本)対鴨沂高(京都)の熱戦




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2 コメント

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Unknown (小父さんA)
2023-02-25 15:16:10
え~~~っ、この「しだれ梅」は個人のお宅の木なんですか!
なんとも素晴らしいです。
これって手入れも大変なんでしょうね。

今上天皇は、すべての帝王学を終えられているのか特に国民の前で話されるのがお上手ですね。

昭和天皇に感動したこともありましたが、昭和天皇は失礼ながらお上手でなかったような・・・。母曰く、「人前で話すような必要もなかったから・・・」と説明していましたが。

昭和35年というと私は中1で、長姉に甥が誕生した年ですね。確か家内の2番目のの弟も同年です。

熊本城天守閣の復元の写真は迫力ありますね。
多分、外部足場は丸太組みだったと想像します。

うわっ、熊本国体も同じ年ですか!
これはお目出たいこと続きできっと街も最高潮に達したことでしょうね。

開会式のマスゲームに水球決勝、濟々黌(熊本)対鴨沂高(京都)なんて感動の連続だったことでしょう。
FUSAさんは、この決勝への出場はあったんですか?

五十四万石の歌詞を、しみじみと読ませていただきました。
FUSAさんのような生粋の熊本県人は、東京ほか地方を回られていた頃はさみしくはなかったですか?

私は福岡に帰りたいとも思わなくなりましたし、今の福岡は私の知っている福岡ではなくなってしまったという印象です!

そうそう、加藤清正は尾張国に生まれて秀吉の小姓、秀吉の九州平定に従い・・・隈本城に入ったんだとか。
熊本弁は理解できたんでしょうか?(笑)
戦国時代の転勤?って大きいんですね。

有難うございました。
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Re:小父さんA様 (FUSA)
2023-02-25 21:12:51
この「しだれ梅」は個人宅ですが、今や熊本の春の到来のシンボル的な存在となっています。手入れは大変だと思います。

天皇陛下のご発言は戦前戦後をよくご存じの上皇様のご教育を感じます。

熊本城天守閣復元の頃は、足場は丸太組みでした。

国体水球決勝は私が入学する前年のメンバーです。

五十四万石など熊本民謡をじっくり聞くようになったのは会社を早期退職した50過ぎからです(笑)

転勤族の頃は私も熊本のことを思い出すことはあまりなかったと思います。

加藤清正を始め、家臣たちも他国から来た人が多いですから、おそらく公用語はいわゆる武士言葉だったのでしょう。おそらく熊本弁になじむということはあまりなかったのではないかと思います。
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